「……世界は、竜によって破滅する、と。……いえまさか、竜が復活するなどという事はあり得ませぬ」
エイルの不審そうな顔に、老司祭は手を振って打ち消した。
「そこでもう一度占い直しましたところ、『二人の子供、それも同じ日に生まれ、同じ顔を持った二人の子供が必要である』との結果。ですが、二人同時に生まれる子供などおりません。もちろん、兄弟でも同じ顔という事はありませぬ。一体この結果がどういう意味なのか、私にも分からないのですが……。とにかく、誰かが彼ら二人を連れてこなければなりませぬ。でなければこのレノアはおろか、世界の危機でございますから」
「ジルクの占いは絶対だものな……」
「運命の神クタールには負けますがな」
老人はささやかな微笑を漏らした。しかしすぐに気を取りなおし、真剣な顔つきで説明を続ける。
「『同じ顔の二人』の居場所は既に突き止めました。禁断の秘術と言われる本を紐解きまして、転移の術法も準備してございます。ただ……その『場所』というのがどこであるのか、はっきりとは見えませんで……。いやしかし、何はともあれ誰かがその場所へ行き、二人の子供を連れ帰らない事には……」
エイルの背後、重そうな鎧の音がシキの入室を知らせた。塔の階段を駆け登ってきたせいだろう、シキは少し息を切らしている。しかし何よりもまず目に入るのは、その必死の形相であった。彼の緊張した面持ちから、一大事である事が見て取れる。どうやら事態は楽観視出来ない方向に進み始めているようであった。シキは二人に向かって早口で告げる。
「既に……塔の下まで反乱軍が来ております。私は守りを隊長に任せ、こちらまでご報告に参りましたが、すぐに戻ります」
訓練された騎士であるシキには、それ以上余計な事を言う必要はなかった。要点のみを言うと、くるりと背を向ける。ひるがえったそのマントをエイルとジルクが掴んだのは、ほぼ同時だった。焦って振り払おうとするシキを手で制し、ジルク老は口を開いた。
「行ってはなりませぬ。シキ殿には、エイル様をお守りいただかなくてはなりませぬゆえに」
「だから、戦いに行かねばならんというに。離してくれ、ジルク殿」
「そうは参りません! ……エイル様、『同じ顔を持つ二人』を探しに行くのは、殿下にお任せ致しますぞ」
「えぇっ?」
エイルは突然の宣言に戸惑った表情を見せたが、ジルクの眼差しは有無を言わせぬ迫力で、反論する事は出来なかった。慌てた様子のジルクに促されるままに、丸い台座の上に押しやられ、エイルは助けを求めるようにシキに視線を投げる。高い台座に登ったおかげで、エイルの視線はちょうどシキと同じ高さになっていたのである。シキはその視線に答えながらも、ジルクに反抗しようと試みた。
「ジルク殿、今はそれどころでは……」
「それはこっちの台詞じゃ! 早くシキ殿もこちらへ。説明している暇はありませぬ、さあ早く」
ジルクの切羽詰まった声にただならぬ雰囲気を感じたのか、シキはとりあえず抵抗をやめてエイルが乗せられている高い台座に登った。エイルがしがみつくようにしてシキのマントを握り締める。ジルクは積み上げられた本の山からぼろぼろの一冊を抜き出し、慌てた様子でめくった。
「ジルク殿、私には話が見えませぬ。エイル様をこの城から脱出させる手段でもあると……?」
「その通りですぞ。反乱軍がここまでやってきたのなら、いくらシキ殿が一騎当千の剣士であろうとも、持ちこたえられはすまい。王子の逃げ場がなくなる前に、転移の術法を使います。……ああ、これだ」
そういうと、本から一枚の羊皮紙を破り取った。そしてそれをエイルに示しながら、慌てた口調でまくし立てる。
「よろしいですか、殿下。『同じ顔を持つ二人の子供』をお探し下さい。彼らが世界を救うたった一つの手段です。これが大陸図で、レノア城はここです……よいですか、竜からレノアを、ひいては世界を守るためです。大役ですぞ!」
老人はそう言うと、エイルの持っていた袋に羊皮紙を詰めこむ。それからシキに向かって語りかけた。熱っぽい光をたたえた目が、その必死な思いを伝えている。
「事情は向こうへついてから、王子にお聞き下さい。詳しい事をご説明申し上げている暇がありませんでしたが……。とにかくエイル様をお守り下さい。シキ殿なら安心ですからな。……それから、御身もお大切に。必ず、必ず王子とお二人でお戻り下さいますよう、お願い申し上げる」
「ジルク殿」
司祭はシキとエイルに一瞥(いちべつ)をくれてから、かたわらの分厚い書に手を伸ばした。大きな、まるで鐘を叩くような音が響いてくる。どうやら塔の扉を叩き壊そうとしているようだ。老人は急いで本の一節を読み上げ始めたが、エイルにもシキにもその言葉は理解出来なかった。不思議な抑揚をつけてジルクは朗読を続ける。しばらくするとエイルは、自分の身体が熱くなるのを感じた。不安を感じて振り仰ぐと、黒い鎧を着込んだ剣士も自分を見つめ返していた。
「何があってもお守りします」
シキは王子に向かって笑顔を作る。それを見て安心したエイルは、これから起こる事に慌てないよう、息を整えた。王国騎士団の中でも五本の指に入る剣士の笑顔は、幼い王子を満足させるに足るものであった。
眉を寄せているジルクの額には、じんわりと汗のつぶが浮き出していた。エイルとシキが乗っている台座が光を放ち始める。どうやら台座全体が魔法陣の役目を果たしているようだ。その光の中、エイルとシキの姿がだんだんと薄れていく。ジルクはほっと息をついたが、次の瞬間、目を見開いた。台座の光がゆっくりと、その色を変えていく。淡い黄色に光っていたのが、徐々に緑色へと変化しつつあった。
「おかしい、おかしいぞ、こんなはずではない……! これは、サキュレイアの効果ではないか!」
ジルクがそう叫んだ時、大きな音とともに部屋の扉が開け放たれた。怒号と鎧を着た兵士の足音が塔を駆けあがって来るのが聞こえる。振り向いたジルクの目に、武器を掲げて走りこんでくる兵士達の姿が映っていた。
序章 完
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