砂の城

酒場はいつもと同じように、喧騒と、酒の匂いとに包まれていた。各国の政治や経済にまつわる噂話から、たわいもない与太話まで、男どもの話す事には限りがない。世間一般で「女はおしゃべりだ」などと言われているようだが、男だって相当なものだ。特に、酒が入っている時は。一体、誰がいつ、女はおしゃべりだなどと決めたのだろうか。まったく、女の私にとっては失礼千万である。

「……ははは、馬鹿な事を言うな。砂漠に井戸なぞあるものか」

「それが本当なんだってよ」

「大方、オアシスの泉か何かだろう」

「いやいや、どうやら本当に井戸があって、水が湧いているらしい」

馬鹿げた話。ふいに、聞こえてきたその会話も、私にしてみれば酔っ払いの戯言(ざれごと)である。気品の欠片もないような酒場。肩が触れ合ってしまうくらいの狭い席の後ろで、その男たちは見事なまでに酔っ払っていた。二人の男はどちらも赤ら顔で、私には見分けもつかない。

「するってーとだな、おい、砂漠を歩いてると、突然井戸があるってのか」

「いや、そうじゃねえんだ。広い砂漠のどこかに、大きな城があるんだってさ。何でも太古の昔に栄えた、古代王国の城だって話だぜ」

「ほほぅ?」

「この世のものとも思えないほど立派な城なんだってよ。それでその中に井戸があるってんだ。その水はこの世のものとも思えねぇほど旨いんだと」

「そりゃー見つけてみたいもんだな!」

「もしかしたら井戸だけじゃなく、王国の財宝もたんまりあるかもしれねぇぞ」

「さしずめ、宝石や金貨がたっぷりって事か!」

「わはははは、そりゃいい!」

酔っ払いというのは話に脈絡がない上に、大声を出す。だから嫌いなのだ。まあ私の場合は、酔っ払いというより、男そのものが嫌いなのだが。

「広い広いヤーデの中で〜」

「いつか誰かが見たと言う〜」

ついに二人は肩を組んで歌い始めた。私は、自分がここにいる事が間違いであるという結論を下し、机にルセール銀貨を一枚置いて席を立った。彼らはだみ声で歌い続けている。もちろん私は、彼らの歌など聞く耳も持っていなかった。しかし、店を出ようとした私の耳に、それは飛び込んできた。

「砂の城には〜、幻の井戸がある〜」

「井戸からは〜、奇跡の水が湧く〜」

その一節を聞いた瞬間、弾かれたように振り返る。私はしばらく立ち止まり、彼らを凝視していた。が、彼らは相変わらず酔っ払っていて、まともに話す事すら出来そうにない。……私は肩をすくめ、そのまま店を出た。

既に人通りも少ない通りを、一人、歩く。石畳に、固い靴音が響いていた。大分汚れて痛んだ長靴(ちょうか)が、長旅の疲れを訴えている。と、誰かが後ろから声をかけてきた。

「よっ、ねーちゃん、どうした? うつむいて歩いてっと、ろくな事ねぇぞ」

酔っ払いだ。へらへらと笑いながら、私の肩を抱こうとする。どうして彼らはこうも似ているのだろう。というより、私には彼らが全部同じに見える。

「なんか悲しい事でもあったのかい、俺がなぐさめてやろうか」

こういう輩には、視線すらくれてやる必要がない。無言のまま、私は歩く速度を上げた。宿に着き、部屋に入ると、知らず大きな溜息が出る。自分でも気づかぬ内に、随分と早足で歩いていたようだ。少々息が切れている。私はもう一つ息をつくと、両腰から二本の剣を外した。

女の剣士、しかも二刀流というのは相当に珍しいようだ。女一人で諸国を旅しているというだけでも珍しがられるのだが、二刀流の女剣士となれば、その希少価値は格段にあがるらしい。だが、人が何と言おうと、私にはこれが合っている。細く短い、私の剣。何度もこれで身を守った。今では、二本ともが手放せない大切な剣だ。そっとそれらを撫で、剣を下げていた革帯も外す。それから高く結い上げていた髪を下ろした。人前では髪を下ろさないと決めている。今日も朝から結いっぱなしだった深い藍色の髪は、今ようやく解放され、肩へ滑り落ちる。頭の痛みが和らぎ、同時に緊張感も解けた。ふと、店で見かけた酔っ払いを思い出す。調子っぱずれで、だみ声で、とても満足に聞ける歌ではなかったが、その内容が耳について離れない。

『砂の城には井戸がある。そこには奇跡の水が湧く……』

いや、気にする事はない。たかが酔っ払いの噂話、虚言(たわごと)だ。明日になれば彼らは、話していたという事実すら忘れるだろう。私はかぶりを振って、布団にもぐりこんだ。しかし彼らの声が、私の頭の隅から消える事はなかったのである。

……広い広いヤーデの中で……いつか誰かが見たと言う……

三日後、私はヤーデを目の前にしていた。

広い広い砂漠。それを土地の者はヤーデと呼ぶ。この砂漠を超え、更にその先の山脈を越えればそこはもう北の大国レノアである。広漠(こうばく)たるヤーデ。私はここで何をしようと言うのか。

――まさか、あれを本気にしているわけじゃないでしょうね。

自分自身に問う。

――まさか砂漠で水が……「奇跡の水」が手に入るとでも?

答えは返ってこなかった。肯定も、否定も。

――……馬鹿馬鹿しい。

しばらく立ち尽くし、私は首を横に振った。けれど、そこから引き返す事はしなかった。引き返す代わりに、近くの宿場で借りた駱駝に餌をやる。おっとりとした駱駝は、どこを見ているのか分からぬような目つきをしていた。寝ぼけたような駱駝を供に、私はこの広い砂漠で水を探す気なのか? 本当に?

砂漠に埋もれる古代王国の城。その井戸に湧くという「奇跡の水」。ここ数年、ほんの小さな手がかりすら得られなかったそれが、この砂漠のどこかにある……かも知れない。まったく、雲を掴むような話である。

――酔っ払いの戯言を信じるというの?

駱駝の横で、自問自答は続く。けれど、その答えも出ないまま、私は歩き始めた。餌を食べ終わった駱駝がのったりと立ち上がり、体を左右に揺らしながらついてくる。目の前に広がる、果てしなきヤーデ。とりあえず、北西へ向かおう。近くにジュレイドという部落があるはずだ。

十日やそこらは十分に賄える食糧を持って来たにもかかわらず、私は五日もしない内にへたり込んでいた。ヤーデの気温変化を、あまりにも軽く考えていたのである。

日中は太陽神ハーディスが、私を死ぬほど痛めつける。焼けるような陽射し、とはよく言ったものだ。本当に肌が焦げて、焼き跡がつく気がする。もちろん日除けの布を頭からかぶってはいるが、駱駝に揺られているだけで意識が朦朧(もうろう)とするのだ。それが、夕刻になると体感出来るほどの速さで気温が下がっていく。夜になってメルィーズが皓々(こうこう)と輝くと、その下の私は寒さに凍えて涙も出ない。防寒用にと買った毛布を全て引っ張り出し、包まっているだけで、それ以外に何も出来なかった。ただ小刻みに鳴る歯を食いしばって、寒さに耐えているだけ。気温の変化に体力はどんどん失われ、方向感覚も薄れていく。

果てしなきヤーデ。それは人知の範囲をはるかに凌駕(りょうが)していた。ヤーデはただそこにあるだけで、ひたすらに静かだった。けれど、一度足を踏み入れた者はその激しさを痛感する。

砂漠には砂の神ヤーデがいるというが、彼の気まぐれで砂漠は刻一刻と姿を変える。人の手では作り得ない、芸術的な砂丘が、永遠に止まる事なく作り続けられていった。ルセールを建国したという勇者マイオス。彼はほんの一握りの部下とともにこのヤーデを渡ったと伝えられている。それはどれほどの苦難だったろうか。私はたった数日で、こんなにも体力と気力を消耗してしまったというのに。

駱駝は平然とした顔で脚を折って座っている。駱駝が作ってくれる、せめてもの日陰にうずくまり、暑さに喘ぐ。北西へ向かっているつもりではあったが、既に私の頭は正常に働いていないようだ。ジュレイドまで三日かそこらで着く予定が、もう十日以上歩いている。水も既にない。時折、意識が途切れそうになる。こんなところで気を失ったら、一日と持たずに死んでしまいそうだ。けれど、このまま歩き続けても結局は死んでしまうだろう。

延々と連なる砂丘に目をやる。見慣れたというのを通り越して、もはや見飽きた光景だ。形は違えど、そこにあるのは相変わらず砂、砂、砂……。どこまで行っても同じだ。白っ茶けたそれは、手ですくっても指の間から零れ落ちる。なんて頼りないものだろう。下らぬ噂話に踊らされ、あるかどうかも分からぬものを探して……結局、こんなところで死にかかっている私。ああ、なんと儚い人生だったか……。

と、世を儚んでいた時だった。

「こんなとこで何してんのよ、馬鹿」

突然黒い影が頭上に現れ、私に罵声を浴びせた。大陸共通語ではあるが、訛りが激しい。最後の力を振り絞って見上げると、駱駝に乗って、白い布に身を包んだ女性が見えた。ハーディスを背にしているので顔は真っ黒だ。当然、表情も判らない。

「行き倒れてんの? 本当に馬鹿ね、こんな道を外れたとこで」

「……」

何か言おうとしたのだが、言葉にならなかった。喉が貼りついたようになって、唇も乾ききっていたのだ。彼女はひらりと駱駝を降り、私に水筒を手渡した。

「ゆっくり飲みな。……一気に飲むとむせるから」

それは茶色く濁っていて、泥臭く、冷たいとはお世辞にも言えないようなものだったが、私はこれほど美味しいものは口にした事がないと思った。生き返る、という感覚を実感している私を見下ろして、彼女は肩をすくめている。そして駱駝の首を叩きながら、こう言った。

「あたしが丘の向こうからこいつを見つけなかったら、死んでたよ、あんた」

ジュレイドからほぼ真西に向かって一日半ほど歩くと、ケイズリーという部落があるらしい。彼女はそこの部落へ帰る途中だと言った。レザと名乗った彼女は私を駱駝に積んで――まるで荷物か何かと同じ扱いだった――部落へ連れて行った。

ケイズリーは、砂の神ヤーデを深く信仰している人々の住む部落だ。彼らは自分たちの家族を大事にし、それゆえに他民族を嫌う傾向にあるようだったが、砂漠で倒れていた私は手厚く看護された。子供たちは、珍しい客を喜んでいるようだ。異文化の客に興味津々、といったところだろう。家の入り口から時折いくつかの顔がのぞき、寝ている私と目が合うとびっくりして逃げていく。丁寧でもなく、洗練されてもいなかったが、彼らは優しく、穏やかだった。

私の体力も随分と回復したある日、部落の長老が訪ねてきた。ヤーデで何をしていたのか、問い詰めに来たらしい。彼らにとってヤーデは神聖なる地で、私のような余所者に妙な事をされては困るという事なのだろう。目的を正直に話しては笑われるかも知れない。そう思ったが、うまい誤魔化し方も思いつかなかった。

「砂の城を、探しているんです」

「ほほう。時折いるのだ、そういう輩が。お前さんもその仲間か。財宝目当てで……」

「違います!」

思わず、力を込めて否定する。

「では、何だというのだ」

「……この砂漠のどこかに遺跡があって、その中に井戸がある、という話を聞きました。財宝など、どうでもいい。私が求めているのは、その井戸に湧くという『奇跡の水』です」

「『奇跡の水』ねえ……お前さん、砂漠で水を探していたというわけかね?」

「……」

「馬鹿馬鹿しい話だと思いやせなんだか」

もちろん思った。限りなく馬鹿馬鹿しい。あまりにも下らない。酔っ払いの戯言だ。……だが、ほんの小さな断片でも、手に入った情報は全て試してみる価値があるのだ。例え、死にかけたとしても。

「人を探しているのです。顔も分からない、今どこで何をしているのかも分からない。その人を、私はどうしても見つけなければならないんです。占い師は言いました。謎を解く鍵がある、いくつかの重要な単語を辿っていけば、いつか見つかる、と……。その鍵の一つが『奇跡の水』だと言うんです。ですが、もう数年の間、何一つ手がかりがなかった。それがあるかもしれないと聞いて……。どんな小さな可能性でも、全て試したかった。試さずに諦める事は、私にとって死も同然です」

強い口調で一気にしゃべる。長老は白いひげを撫でながら、しばらく黙っていた。

「……砂の城と呼ばれるものは、ヤーデに住む者であれば誰でも知っている」

分かりやすいように、と思ったのだろう。それはゆっくりと発音されたのだが、一瞬聞き取れず、私は首を傾げた。長老は大陸共通語を話し慣れていないのか、言葉を選びながら、もう一度同じ内容を繰り返す。

「ヤーデに住む者は、みな、砂の城を知っている。砂に埋もれた、古い城の遺跡があるのじゃ。砂漠に住む部落全てに伝わる古代王国の伝説がある。その話を聞きたいかね?」

当然だ。ここまで来て、何も聞かずに帰れるものか。黙って頷く私に向かって、村長は目を細めた。その表情は私を哀れんでいるようにも、慈しんでいるようにも見える。

「そこは今、神殿として使われておる。我々にとって大切な領域じゃ。お前さんはそこらの盗賊やなんかとは違うようだし、随分と必死なようだ。誰にも言わんと言うなら話してやってもよいが……。お前さんにとって、いい話ではないかも知れん」

「どんな話でもいいのです。知っている事があるなら、どうか聞かせて下さい。誰にも言わないとお約束します」

村長はひげを撫でながら、随分と長い事黙っていた。が、ようやく、一つ溜息をつき、ゆっくりと話し始める。

「古代王国は滅亡前、砂漠に君臨する巨大な国だったと言う。滅亡した理由は謎じゃ。内乱が起きたとも、竜に襲われたとも言われておる。どういった理由だったにせよ、古い話じゃよ。本当のところは誰にも分かりゃせん。しかしとにかく、国がそこにあった理由こそが、お前さんが口にした井戸のおかげだったのじゃ」

まさか。本当にあったというの? 私は唾を飲み込み、身を乗り出した。

「ヤーデには、オアシスなど数えるほどしかない。滾々(こんこん)と湧く井戸があれば、当然のように人が集まり、国は栄える。なぜ井戸が湧くのか、それは誰にも分からん。が、その井戸があったからこそ、そして水が尽きなかったからこそ、古代王国は栄え続けたのだ。それゆえにその井戸は『奇跡の井戸』と呼ばれ、そこに湧く水は『奇跡の水』と呼ばれた。だがしかし、もはや井戸から水は湧いておらん」

「そ、そんな……」

「そもそも、『奇跡の水』が湧いていたわけではない。単なる水じゃ。ただ砂漠に湧いているという不思議さから、そう呼ばれていただけなのじゃ」

二の句が告げない。ここまで来て、死ぬような思いまでして、なかったなんて。井戸はなく、水が湧いているわけでもなく、しかも過去に湧いていたと言う水も、「奇跡の水」ではなかったなんて……。

「お前さんの探しているものは、ここにはなかったという事じゃな」

黙りこくる私に、村長はとどめの一撃をくれた。私は食い下がる。

「人は、一生をかけて何かを求め続け、探し続けるものです。私も同じです。一生かけても探し続けます。例えここにはなくても。例え、一生見つけられずとも」

「探さずに諦める事は死に等しい、か」

「はい」

「……では、ヤーデで干からびとる場合ではなかろう?」

いたずらっ子のような顔で、長老は言い、くぐもった声で笑った。私も思わずつられて笑う。そして、こんな単純な事で笑ったのは久しぶりだ、と思った。

数日の内にケイズリーを発ち、私はジュレイドへ向かった。最初に私を助けてくれたレザという女性が、道案内を申し出てくれたので、ありがたく受ける事にした。

「あんたって馬鹿ね」

「どうして」

「私が道案内するって言わなかったら、一人で行くつもりだったんでしょ? また行き倒れるってのに」

「そうと決まったわけじゃ……」

「いいや、決まってるね。知識のない者が一人で砂漠を歩こうだなんて、自殺行為に等しいんだよ。砂漠で生きている人間から言わせりゃ、馬鹿そのものだよ」

「……でも」

「実際、こないだだって、死に掛けてたじゃないか」

「……」

「あたしが水をあげなかったら村までもたなかっただろうね。あんたが助かったのは奇跡ってもんだよ」

彼女の言葉に、私は目を見開いた。

「奇跡の水……」

「そうだよ、あたしの水筒にはいつも奇跡の水が入ってんのさ」

レザはそう言うと、からからと豪快に笑っている。私の全身に震えが走った。

「レザ、ありがとう」

「何だい、今更」

首を傾げる彼女にもう一度礼を言うと、私は勢いをつけて駱駝の背に登った。

ジュレイドには何が待っているだろうか。また酔っ払いの与太話かもしれない。だが、下らぬと思える情報でも、試す価値はある。例え、再び死にかけるとしても。

――さあ行こう。次なる鍵を見つけに。

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