頂上

僕は、王子として生まれた。

そのことの意味について考えたことは特にない。それが僕にとっての当たり前だったし、ほかに同じような立場の者と話したこともなかったし、そのことについて話し合って考えを深めることもなかった。やりたいと思ったこともないし、やめたいと思ったこともない。僕は大国レフォアの第一王子。それはただの事実。それだけのことだった。

毎日、侍女が声をかけてきて僕は目覚める。幾人かの侍女たちが僕の湯浴みをし、着替えをさせ、朝食を持ってくる。小さなころからそばにいる乳母が髪を梳く。朝の支度が済むと、勉強の部屋に行く。教師が入れ替わりで僕に学びを授けてくれる。運動のために走ったり、馬に乗ったり、剣の稽古をしたり、弓をやったりもする。時折は狩りに行くこともある。外出をしたとしても必ず明るいうちに城へ戻り、夕食を食べる。よその国の人がきたりすることもあるが、それは外交という名の仕事なので失敗してはならないと緊張する。夜、父上にお会いすることもあるが、たいていは僕一人だ。本を読んだり、学んだことを書きつけたりして忘れないように努める。ああ、そう、時々弟のエイルと話すこともある。七つも年下のエイルは僕とあまり似ていない。母上が違うからだ。僕の母上は僕が三つの時に亡くなった。ほとんど覚えていない。僕は父上に似て黒髪に黒い瞳だし、多分母の面差しはあまりないのだろう。エイルの母君は現王妃マードリット様。エイルは彼女と同じように波打つ髪と透き通るような瞳。血は半分しか繋がっていないけれど、可愛い弟だ。まだ幼いエイルは僕と違って外遊びもあまり好きじゃないようで、ジルクのところで本ばかり読んでいる。僕は外へ出る方が好きだ。楽しみはたまに行ける狩り。馬に乗るのが好きだ。決められた範囲とはいえ、広い野原を走る馬の背で風を感じるのは気持ちがいい。

今日も外へ出ると言っていたが、どうやら城下の視察らしい。人々の様子を見るのも僕の務めの一つだ。しかし今日はいつものような公の視察と違うらしい。やけに汚い外套をかぶせられ、向かったのは城下町の外れ。貧民街のようだった。初めて見るそこでの景色に、僕は打ちのめされた。

そこに住む人々は、一様に汚い格好をしていた。笑顔の人はほとんどいない。疲れているか、怒っているか、酔っぱらっているか、うつろな目をしているか。活気が感じられない。道端で、痩せた子供が大人に殴られていたのを目にして、僕は息を呑んだ。付き添いの者たちが「目をそらして」と言ったが、彼らの肩の向こうの子どもから目を引きはがすのは難しかった。

別の路地では、パンを盗む者を見た。捕らえて罰するべきではと言ったが、きりがないのだそうだ。そしてこういった貧民街でも、まだ城の近くの町ではいい方で、城壁の外にはもっとひどい状態があるのだと教えられた。僕は城へ戻ってから食慾がなく、その日の夕食はスープしか食べられなかった。夜はあの殴られていた子どものくぼんだ目が脳裏から消せず、苦しくて眠れなかった。

次の日。授業の時間に、政治と経済の教師が僕に尋ねてきた。犯罪者はどうすべきか。貧困層をどうすべきか。僕は答えられなかった。

「犯罪者はすべて捕らえ、処刑しますか?」

「いや、それは……」

「では国外追放にしましょうか」

「うん……いや……そうだ、ね」

「野原に放り出された彼らは物も金もありません。身分保障もない。欲しいものがあれば奪うしかありません。近隣の民が襲われることになります」

「うう」

「もし庇護が欲しければ、彼らは近くの城に保護を求めるでしょう。でも、そこで助けてもらうには何か代わりに差し出すものが必要になります。何も持たぬ彼らが差し出せるものはなんでしょうか」

「……」

「情報があります」

「情報?」

「レフォアの国のいろいろなことです。橋の管理人の交代時間、城下町の様子、騎士団の規模……。彼らは追い出された国を恨み、知っていることはすべて話すでしょう」

「そんな。じゃあ、じゃあ……彼らを追放することはできない」

「そうですね。ではどうするのが良いですか」

「ええと……」

「それを考えるのが王の役目です。もちろん、我々も一緒に考えます。簡単なことではありません。国を豊かにし、人々に教育をし、罪を犯したくないと思うようにし、それでも起こるであろう犯罪を裁き……」

「終わりがなさそうだね」

「ありません。正解も見つからないでしょう。それでも、考え続け、できうる限りのことをなさってください」

「……分かった」

父上が亡くなったら、僕はこの国の王になる。この国の人間全員の命を預かる存在になる。それを、高い山の頂き、地位のてっぺん、頂上だと言う者もいるだろう。でも僕は、僕が一番下で、僕一人の上に全国民が乗っているように感じる。それはとてつもなく、重い。でも、僕は王子として生まれた。この生き方以外はできない。

例え僕が王子を辞めたい、王にはならないと言ったって、僕は他の生き方を知らない。それに、僕が辞めたらエイルが跡を継がなくてはならなくなる。エイルはまだ外の世界を知らない。エイルにこんな苦しい思いをさせたくない。僕が王になったら、エイルと一緒に、先生たちと一緒に、この国をもっと豊かにしていこう。国民がみんな幸せに暮らせるように。この国を恨む人が出ないように。この国に生きるみんながなんとかやっていけるように、国を作り続けていく。終わりのない仕事を、一生していく。それが僕の生きる道だ。

その夜、僕は誓った。

僕は、立派なレフォア王になる。

――現国王の弟による反乱により、レフォア王国第一王子がその若き命を散らしたのは、翌年の春。シエル十九歳のことであった。

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