Legend of The Last Dragon −第六章(8)−

昼の間は食堂として使われている酒場だが、昼時の喧騒も終わり、穏やかな時間が訪れている。静寂を取り戻した食堂に残ったナールは、一人、夜のために机を拭き始めた。明るい午後の陽射しが、冷たい石の床に奇麗な線画を描いている。

扉につけられた木の札が軽い音を立て、一人の青年が入ってきた。

「何だ、誰もいないのか。まあ、もう遅い時間だもんな。まだ食事は出来るかい?」

青年は華やかな声でナールに話しかける。ナールは無言でうなずき、机の一つを示した。

「表に食事は出来ると書いてあったからな。うまいものがあるといいんだが。そうだ、何か酒もあるといい。キームーシュがいいな」

「ああ」

ナールは相変わらずの調子で答えると、カウンターへ入り、キームーシュを注いだ。

「ずいぶん無愛想だな。まあ男に愛想よくされても嬉しかないか。女の子がいるといいんだけどな。この店に女の子はいないのかい? そうだな、あまり背が高くなくて、痩せすぎていなくて、目のくりくりっとした可愛い娘が……」

立て板に水といった調子で続ける青年に、黙りこくって酒を出すナール。対照的な二人である。

「まあいいや、とにかく腹が減ったよ。何か食事を頼む。って、さっきも言ったな。何でもいいけど、腹にたまるようなもんがいい。もちろん、旨いに越したことはないわけだが」

しばらく後。ナールが出したキームーシュを二杯と食事を平らげ、青年は満足そうな笑みを浮かべていた。人懐こいような、悪戯っ子のような笑顔である。

「うん、思ったよりずっと旨かったよ。兄さん、無口だけどなかなかの腕だね。値段は? へえ、結構するんだな。でもこれだけの料理を出すんだ、文句は言えねえ。いいさ、今日は運よく金持ちなんだ」

にっこりと笑って懐から取り出した財布は、緑の布で出来ていて、茶色のひもでくくってあった。

「ごっそさん!」

青年はそのまま店を出て行こうとした。が、扉のところで振り返る。

「おおっと、大事な用を忘れてた。これを忘れちゃ意味がないんだ。兄さん、ここらの宿に変な客が泊まってないか、聞いたことがないかい?」

「変な、とは?」

「黒髪の剣士、青い髪の子供、そっくりな二人組っていう四人なんだけど」

ナールははっとして青年を見つめた。

「顔色を変えたところを見ると、知ってるな。すげえ、一発だ。いやしかし本当に俺はついてるぜ。デュレーにいるって話だったけど、まさか最初の宿屋で見つかるとは思ってもみなかった。……ああ、俺は悪者じゃないから安心してくれ。あんたにも、彼らにも危害を加えたりするつもりはない。俺はただの案内役なんだ」

「……」

「信用できないといった顔つきだな。はは、怪しむのも仕方ねえや。でもそう言うな、ともかくそいつらに俺を紹介してくれないか? 俺の名はグレイ……いやあ、やっぱり本名を名乗っとくかな。俺はリューク。普段はグレイって通り名を使っているんだ。『コーウェンの魔女』のところから来たと言ってくれ」

シキもエイルも、もちろん双子たちも、驚嘆するほかなかった。ちゃらちゃらとした遊び人風に見えるその青年は彼らの事を知っており、さらにその目的を知っていたのである。その見かけとは裏腹に、彼は真面目くさった顔でマイオセールでの事件を一通り説明した。

「信じられないのも無理はないぜ。俺も最初はそんなもん信じちゃいなかった。世界の存亡がかかってるだとか、そんなことを急に言われたってな。けどな、俺は確かにあれを見たんだ」

「竜、か」

エイルが呟く。

「ああ、この世のものとは思えなかったぜ。だが、あれは紛れもなく本物だ。生きて動いたし、炎を吐いた。おっそろしい化け物だ。マイオセールはあいつのせいで滅亡した。たった一人の皇女を残してな」

そう言うと表情が翳(かげ)り、リュークは目を伏せた。けれどまたくるりと表情を変え、彼の昔からの知り合いの事を親しげに、そして少し憎々しげに話し出した。

「さっきも話したが、ヴィトってのは何でも知ってやがるんだ。普通の人間には見えやしないが、火だの水だのには精霊がいて、そいつらが色々教えてくれるんだとよ。それが本当かどうかは知らないし、俺はそういうもんを信じちゃいないんだが、とにかくあいつの持ってきた情報に嘘はないのさ。で、そいつがデュレーへ行けと行ったんだ。運命を担う四人組がいる、彼らをコーウェンへ導け、とな」

「ヴィトさんが『コーウェンの魔女』なの?」

クレオの問いに、リュークは手を振って否定の意を示した。

「あいつは男だよ。コーウェンに住んでるわけでもない。俺には訳が分からないが、とにかくそう言われたんだ。『コーウェンの魔女のところから来た』と言え、ってな」

「そのヴィトと魔道士とが知り合いなのか、それとも何かの暗号なのか……コーウェンの魔女とやらが大陸一の魔道士なのか? 何にせよ、ずいぶんと回りくどいことをする」

「ヴィトは他にやる事があるから俺に行けって言ってたぜ。まあ、サーナも預けていたしな」

サーナ皇女の名が出るたびに、リュークはほんの僅かに複雑な表情を見せる。だが四人にはそれに気づくほどの余裕がなかった。

「まあともあれ、仲良くやろうぜ。コーウェンは遠いんだ」

この青年を信じる根拠は何もない。すべて作り話かも知れぬ。だが、クリフとクレオを双子だと言い当てた。それに――ヴィトが言うには、とリュークは前置きしたが――シキとエイルは他の者たちと違う、別の時代の人間だ、とも。

シキが、仕方がないとでも言うように息を吐いた。

「信じないわけにはいかぬようだ。どうせ、コーウェンへは行くつもりだったのだ。案内役がいるなら感謝するべきだろうな」

リュークの軽薄そうな容貌やしゃべり方にはどうも信用が置けない。だが、悪い人間ではないようだ。

――あまり好きにはなれないが。

シキはそう思ったが、あえて口には出さなかった。

「じゃ、行くか」

事もなげにリュークが立ち上がる。双子は面食らって、同時に「え?」と口を開けた。

「もうここには用もないだろ。さっさと支度して来な」

「で、でも」

「そんな急に言われても」

「世界の滅亡がかかってんだぜ? ぐずぐず言ってる暇はないだろ。それとも何か、家財道具一式を包む手間がいるとでも言うのか? 可愛いお姉ちゃんなら待っててもやろうってもんだが、男三人、それも一人はガキで……ああクレオだっけ、あんたは割といいな。まあまだちょっと発展途上気味だがな……」

リュークはあごに軽く手を添え、首をかしげながらクレオをしげしげと見つめる。

「失礼ね!」

「何言ってんだ、見られてんだから光栄に思っていいんだよ。見られなくなったら女は終わりだぜ? さあ、ほら、もういいから荷物を作って来いよ」

リュークに急かされ、クレオたちは二階へ向かった。荷物をまとめる間もリュークはしゃべり続け、エイルすらも口を挟む隙がない。いつもの調子で「私を誰だと……」と言う暇も与えられなかった。

四人がまたもやリュークに押し立てられるように階段を下りてくると、ティレルとナールが彼らを待っていた。ティレルはナールに支えられて立っているといった様子である。怪我はまだ治っていない。話を聞いていたナールがティレルに説明したのだろう。これが別れになると思った彼女は、痛みをこらえて部屋を出てきたのだった。

「もう行くのね」

ティレルは、シキを見て言った。シキの返答はない。クレオは視線を床に落とす。シキがどんな顔をしているか、怖くて見ることが出来ない。クリフが申し訳なさそうに口を開いた。

「俺たちのせいでこんな事になって……宿を再開するまで手伝おうと思っていたんだけど……。ごめん、ティレル」

「それは大丈夫よ。私ももう歩けるし、何日かすれば仕事も出来るわ」

クリフを励ますように、ティレルは笑顔を浮かべる。寂しさを口にする気はなかった。だが、もはや彼女の言葉を聞かずとも、その心は伝わっている。この宿に滞在した日々は、彼らの心を十分に近づけていた。ティレルの瞳の奥に隠れた想いは、容易に汲み取れる。

「無理はするな」

どういう深意があってその言葉を口にしたのだろうか。シキもまた、余計な言葉を言いはしなかった。どこまでも深く、優しさに満ちた緑の瞳が、ティレルを真っ直ぐに見つめている。

「ありがとう」

そう言ったティレルの声は、いつも通り柔らかだった。

「私、この宿が好きよ。宿の仕事も好き。そして歌も。これからもずっと、歌いながら宿をやっていくわ。……私ね、母の気持ちが少し分かった気がするの。多くの旅人が訪れ、また去っていくこの町に、ずっと留まった母の気持ちが」

「そうか」

「母は……きっと、幸せだったんだと思う」

シキは何も言わなかった。クリフも、エイルも、黙っていた。そして、クレオも。

「あのな」

リュークの軽口が空気を一変させる。

「俺、こういう雰囲気って嫌いなんだよな。こう、何てのかな、湿っぽいっつーか……とにかく、俺は先に行くぜ。じゃあな!」

「お、おいちょっと待て、コーウェンへ案内すると言ったろう」

エイルが咎める。既に扉に手をかけていたリュークは振り返り、にやりと笑った。

「ずっと一緒に旅をするとでも思ってたのかい? ガキみたいなこと言うなよ」

「ガ、ガキだと……! 失礼な、お前は一体何様のつも……」

「俺様はリューク様さ。じゃあ俺はチェジャって町の宿屋にいるから」

エイルの語尾をすくい上げるように言うと、リュークは身を翻して出て行ってしまった。後に残された面々は呆然と口を開けている。

「面白そうな人ね」

「そうか?」

シキはティレルの言葉にしかめ面を返した。

「あら、ああいう人って嫌い? 私は好きよ」

ティレルがからかうような口調で言う。

「俺も嫌いじゃないけどな」

「私はあんまり好きじゃない、かも」

「正直に言えば好きになれぬ」

「大っ嫌いだ」

四人がそれぞれに感想を述べ、最後にナールがこう呟いた。

「よくもあれだけしゃべれると思う」

クレオが思わず吹き出し、食堂に笑い声が溢れた。

「さあ、行こう。まずはチェジャという町へ。そして砂漠を越えて、南へ。コーウェンへ!」

クリフの宣言とともに彼らは再び旅人となった。

エイルははるか遠くの祖国に思いを馳せて。

シキは過去を振り返ることなく。

クリフは高く昇ったハーディスに顔を向けて。

クレオは切なさを胸に秘めて。

そして運命の神クタールは、彼らの行く末をただ黙って見守っていた。

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