Legend of The Last Dragon −第一章−

明るい太陽の光が降り注いでいる。太陽神ハーディスの恵みが満ちている証拠だ。この村はさほど広くもない。森に囲まれた、閉鎖的な集落である。そのうちの一軒、狩り人チェスターの家の煙突から、朝食の時間を示す暖かな煙が揺らぎのぼっていた。

部屋の窓からハーディスの恩恵が差し込んでいる。部屋の中央には手作りの木机が置かれていた。素朴なその机は何枚かの板を合わせた作りになっていて、表面は丁寧にやすりがかけられている。机のそばには揃いの椅子が四つ。これも素朴な作りだが、背もたれの部分には可愛らしい模様が彫りこんであった。台所と兼用の、それほど広くない部屋には、朝食の匂いが立ち込めている。その準備に忙しく立ち働いているのは、ほっそりとした女。その横で、身体を丸めて窯に火をくべているのは、長身の男である。顔が火に照らされて真っ赤に火照っている。亜麻色の豊かな髪を束ねた女が、男を振り返った。

「チェスター、ちょっと見ててくれる? 子供たちを起こしてくるわ」

「ああ」

チェスターと呼ばれた家の主人は無愛想に答える。妻のルクレリアは、前掛けで手をふきながら部屋の奥の階段を上っていった。二階には寝室が二つ。扉も二つ並んでいる。その片方を開けて息を吸いこむと、彼女は大きな声で呼びかけた。

「クリフ! クレオ! もうすっかり明るくなったわよ。さっさと起きなさいな」

その声と同時に、二つの寝台から男の子と女の子が飛び起きた。

「う、うわ!」

「きゃっ」

驚くような声をあげてはね起きた途端、顔を見合わせて奇妙な顔をしている。母親は首をかしげたが、軽く肩をすくめると、食事の用意が出来ている事を告げて部屋から出ていった。残された二人は、相変わらずお互いの顔を見たまま押し黙っている。

二人の子供が向かい合わせになると、まるで相手が鏡に映っているかのようだった。それほどまでに彼らは似ているのである。はしばみ色の瞳を携えた愛らしい顔立ちで、同じ服を着ていれば、父親でさえ見間違える事もあるくらいだった。いくら似ている兄弟とは言え、これほどまでに似ている兄弟というのは、そうはいない。二人は母親ルクレリアが、同じ日同じ時に生んだのである。運命の神クタールの気まぐれが二人を作ったとしか思えない。何故なら、この世界に双子というものは存在しないのだから。しかし紛れもなく、彼らは双生児であった。

「……」

「……」

「……見た?」

「……見た」

「また、いつもの……?」

見つめ合った姿勢のまま、男の子の方が暗い顔で問いかける。女の子はそれを受けて頷いている。

「うん。あれだった」

「やだなあ、なんでいつも見るんだろ」

「もう何日続けて見たっけ?」

「分かんないよ……」

彼らはもぞもぞと木の寝台を降り、ため息混じりで着替えを済ませた。、階下に下りていくと、既に机についている両親と挨拶を交わし、席につく。黙ったままで食事を続ける子供たちに、今度は両親が顔を見合わせた。

「どうしたんだ? ここんとこ、ずっと元気がないな」

「そうよ、いっつも黙ったままで。何かあったの?」

心配そうな両親の顔。子供たちはしかし、しばらくためらった。どう話していいか分からなかったからである。それと同時に、自分たちの話を信じてもらえるかどうか、迷ったのでもある。それでも、両親に重ねて問われ、二人はようよう話し出した。

「ここんとこ、毎日同じ夢を見てるの。私も、クリフもよ」

「なんて言うか……すごく嫌な夢なんだ。空も大地も割れて、人間がみんな争ってさ……。俺、夢なんか滅多に見ないのに、ここんとこ毎日のように見ちゃうんだ。クレオは、不吉な予感だとか言うし……」

「だって、世界の終りって感じなんだもん」

クレオはきっぱりと言いきった。チェスターは思わず笑い、「それで?」と促した。まるでお伽話を聞いてでもいるようだ。クリフはその様子に少し腹を立て、ほおを膨らませる。

「笑い事じゃないんだって。その夢を見ると、一日ぐったりしちゃうんだよ」

「そうよ、本当なんだから。それに……ね?」

隣の席の兄に同意を求めるように尋ねる。それから肘でつついて、「クリフが言ってよ」と囁いた。クリフは「えぇ? クレオが言えよ」と身をよじる。

「あのね……、その夢に、ね……竜が出てくるの。竜の吐く炎が世界中を燃やすの……ね、母さんならわかってくれるでしょ? 嘘じゃないの!」

クレオは急に早口になって母親に向き直った。その瞳には馬鹿にしないで聞いて欲しい、という意思が確かに感じられる。はなから信じていない様子のチェスターに比べて、母のルクレリアは神妙な顔だ。チェスターは、その表情を見て居住まいを正した。

――子供の言う事を頭から信じないというのは良くないな……。

心の中でそっと呟く。

「言わなかったけど……」

双子の母親はさじを置き、妙に小さな声で話し始めた。その顔色は少し青ざめたように見える。

「私もこないだから夢を見るの。二人が言ったみたいな夢。竜も……出てくるわ。……チェスター。私が昔、司祭をしていたのは知っているでしょ?」

問いかけられたチェスターは、もちろん、というように頷きながら、ルクレリアの肩に手を乗せる。

「ここのところ、不安だって言ってたのはその事だったのか?」

「……ええ。私の不安がみんなに移ってはいけないと思って黙っていたのだけど……まさかあなたたちも夢を見てたとはね」

「きっと、母さんの力が強いからだよ」

「うん、きっとそうよ。ね、本当だったでしょ」

クレオが、父親に対して正当性を主張する。チェスターは軽く頷いてそれを認めると、ルクレリアに向き直った。

「気づいてやれなくてすまなかったな」

「いいのよ。ありがとう、チェスター。……たいした事じゃないと思ってたけど、これは一種の予見だわ」

普段聞きなれない単語に、子供たちが首をかしげる。

「予見って……なんて言ったらいいのかしら、占いみたいなものよ。ただ、占いは当たらなかったりもするけど、予見にそういう事はないの」

「へー、じゃ絶対当たるって事?」

「というより、先の事を見るって感じかしら。生まれながら持った才能のようなもので、ほとんどの人には出来ないわ。それに余程の訓練を積まないと、出来るかどうかすら分からないの」

「司祭だった母さんには出来るんだね? それであの夢が予見だっていうの?」

「じゃあ私たちが見た夢は、必ず起こるって事……?」

「いや、そうとは限らないさ」

チェスターはすぐにそれを否定したが、ルクレリアの司祭としての資質を一番よく知っているのは彼自身である。不安を隠しきれるはずもなかった。

いつの間にか、机の上のスープはすっかり冷めてしまっている。なんとはなしに会話が途切れ、四人の家族は静かに食事を再開した。木枠にはめ込まれた窓からは、朝の清々しい光が差しこんでいる。いつもと変わらぬ、暖かく平和な春の朝。しかしそれにも関わらず、部屋の空気はどこか冷たく、よどんでいるような気さえしていた。

レノアでいうところの青葉の月は、非常に過ごしやすい季節である。雨の降る花の香月あたりから、レノアはどんどん暖かくなっていく。青葉の月と呼ぶのは、木々が青い葉を茂らせる季節だからだ。これから雨の月までしばらくの間、レノアでは穏やかで気候的にもあまり変化のない日々が続く。

サナミィはレノアの中でも北の方に位置するマグレア地方の村である。マグレア地方は丘陵地帯が多く、海抜も平野よりはやや高い。なだらかな丘や森が多く、畑を耕す人々もいれば、狩りなどで生計を立てる者もいる。森に囲まれたサナミィでは、多くの人々が狩り人、つまり猟師として生活していた。

午後遅く、日暮れも近くなってから、狩り人たちの幾人かが獲物を持って森から帰って来た。大きな鳥や獣を滑車のついた木の台に積んでいる。村の外れあたりまで来た時、その中の一人が何かを見つけたのか、目を細めるようにして言った。

「おい、あそこに倒れてるの、人じゃないか?」

その声で、他の狩り人たちも手をかざしたり首を伸ばしたりして、前の方をうかがう。どうやら道の中ほどに人間が二人、折り重なるようにして倒れているようだ。狩り人たちは台車を置き、慌てて駆け寄った。

「なんだなんだ、死んでんのか?」

「いや、死んじゃいないみたいだ。それより見ろよ、この鎧!」

「こりゃ貴族様に違いねーな」

「なんでこんな辺鄙(へんぴ)なとこに貴族様が来るんだ?」

「俺に聞くなよ」

「とりあえず転がしとく訳にもいかねぇやな。村に運ぼう」

「台車に乗せちまうか」

「あっはっは! そりゃいい、今日は大物を獲ってきたって訳だ」

命に別状はなさそうだと安心したのか、狩り人たちは腹を抱えて笑い出した。それから二人を台車に乗せて、村への道を再び歩き出す。

彼らが村へ帰ると、女たちが出迎えた。仕事から帰ってくる男たちを村の入り口で迎えるのはサナミィの女たちの習慣だ。村人たちはその日の収穫を、それぞれの家へ帰る前に分け合うのだった。村の入り口には杭が二本立っているだけで、そこを過ぎてしばらく行くと、村の広場に出る。そこで台車から獲物を下ろし、村にいる全員で、仕事が上手くいった事を猟の神ベルグに感謝してから獲物を分ける。しかし今日の広場はいつもと違って、騒ぎが持ちあがった。もちろん、村外れで倒れていた二人のせいである。

「ちょ、ちょっと何よ、これ」

「いやあ、そこの外れで拾ったんだよ」

「何言ってんだい、こんなもの拾う訳がないだろう」

「だって落ちてたんだぜ。いい獲物だろう?」

あっはっは、と狩り人たちは大笑いだが、女たちの方は肩をすくめている。既に、狩りの獲物は台車から下ろされ、各家庭に振り分けられていた。村外れで倒れていた二人は残されて、台車の上に寝かされている。存命である証拠に息はしているが、ぐったりと目を閉じたままだ。

彼らは鎧とマントを身につけていて、着ている服は高価な絹で織られているようだった。その上それらには全て、手の込んだ細工がしてある。その細かな刺繍や、鎧に彫りこまれた模様などは、それらがとても高価なものである事を示していた。

いつの間にか、あたりには人垣が出来ていた。こんな田舎では、誰も貴族と言われるような階級の人間を見た事がなかったので、物珍しそうに覗きこんでは口々に噂(うわさ)しあっている。彼らの意識は主に、二人の容貌に引きつけられているようだった。

寝かされている二人の内一人は少年、もう一人は青年と言えるほどの年齢である。少年は金で縁取られた純白の鎧と水色の房つきマントを身につけ、小さな手には美しい刺繍の施された袋を大事そうに握っている。額には細い金冠をつけていて、柔らかく波打った髪が額にかかっていた。まだ幼い顔つきは愛らしく、目を開ければきっと可愛い表情を見せるだろう、と誰しもが思うような少年である。鎧には所々に美しい宝石が埋め込まれ、鎧自身もまた、実に美しく壮麗な品である。その事から、持ち主の少年が身分の高い者である事はすぐに知れたが、何より、鎧の胸の部分に彫りこまれた王家の紋章を知らぬ者はいなかった。

一方の青年は背が高く、立派な体格の持ち主だった。少年と同じく鎧とマントを身につけていたが、黒基調の鎧は少年のそれに比べるとずっと実戦向けで、よく使い込まれていた。彼の凛々しい顔立ちは精悍な青年のそれで、少し癖のある黒髪は丁寧に整えられている。若い女たちは彼を見ては、ほほを染めてひそひそと言い交わした。男たちはそれを苦々しく眺めていたが、といってこの青年と女性を取り合う気にはなれなかった。もし一人の女を本気で取り合い、決闘したとしても、到底勝てるとは思えなかったからだ。腰に装備している長剣を見て、それを扱えるのは余程鍛えた剣士でなければなるまいと誰もが頷いた。

しばらくして、誰かが呼んできたのか、村の長老が人々をかきわけて現れた。

「こりゃあ……」

長老はそう言ったきり、次にどう続けていいのか言いよどんでいる。周囲の人々の視線が、彼に集まる。長老がようやく口を開きかけた時、青年の方がつと目を開けた。体を起こして苦痛に顔をしかめる。彼は慌ててあたりを見まわし、人垣に驚いたような表情を見せつつも、すぐ横に少年がいるのを見つけて、ほっと息を吐いた。

「失礼ですが……お名前を伺えますか」

長老が、おずおずと声をかける。青年はそれに反応して台車を降りた。

「シキ=ヴェルドーレという。ここはどこか、教えてくれないか」

「サナミィという小さな村ですが……とにかく私のうちへお越し下さい。狭いところですが、台車の上よりはましでしょう」

「すまない」

長老は頷くと、村人たちに向かってそれぞれの家へ帰るように告げた。その声に、人垣はばらばらと散っていく。シキと名乗った青年は、まだ目を覚ましそうにない少年を軽く抱き上げた。

暖かい部屋では暖炉が赤々と燃えている。長老はシキの正面、ゆったりとした椅子に腰をかけ、こわばった表情を見せていた。

「すると、間違いなく反乱だと……」

「ああ、そうだ。以前から良くない噂はあったものの、まさか本当に反乱が起きるとは思ってもみなかったのだ。迂闊(うかつ)にもほどがある……」

「シキ様のせいではありませんよ。とは言え、心中お察し致します。……サナミィは田舎の村、まさかレノア城でそのような事が起きておりますとは、思いもしませなんだ。では、シキ様が連れておられたあの少年はやはり……」

「……長老よ。俺は、お前を信用に値する人物だと思っている。しかし確認しておくが、お前は忠実なるレノアの民だな」

「もちろんでございます」

「では、レノア王家に忠義を誓えよ。……俺がお連れしているあの方は、レノア国の王子、エイル殿下だ」

「おお! 紋章から王家の方だとは思っていましたが……」

「エイクス王と王妃、そして第一王子のシエル殿下がお亡くなりになった今、エイル王子だけが正当な王位継承者。王子が生きている事が王都の反乱軍に知られたらと思うと……ああ……」

シキの右手が額を押さえている。反乱が起きた城から無事に転移できたはいいが、辿り着いたのはレノアの片田舎。城は恐らく反乱軍に乗っ取られ、取り返そうにも王子と自分一人ではどうにもならぬ。とりあえず信用のおける人物に出会う事は出来たようだが、未来は闇に覆い隠されてると言っていい。シキは思考をまとめようと、精一杯努力していた。そのシキに向かって長老が問いかける。

「シキ様、今なんと仰られました? エイクス王……?」

「何か疑問か? たった今忠臣だと言ったその口で、自国の王の名を尋ねるとは……」

呆れたような顔で長老を見ると、老人はなんとも妙な顔をしている。不思議に思ったシキの眉根が寄った。

「いえその……エイクス王というのは……」

長老が再び質問しかけたその時、奥の部屋へ続く扉が開いて一人の少年が姿を現した。まっすぐな姿勢。溢れる気品が彼の育ちの良さを物語っていた。少年がシキに目をとめて歩き出すより早く、シキが少年の元へ駆け寄ってひざまずく。心配そうな瞳で主君を見上げる姿は、忠臣そのものといった様子である。

「エイル様、大丈夫ですか! お身体の具合は……」

「うん。平気だ。……それより、ここは?」

「ここはレノアの領地内、マグレア地方のサナミィという村でございます。長老に事情をお話し致しまして……」

「ああ、そうか」

最後まで聞かずに、エイルは椅子に腰掛けた。長老が席を立って、少年の前で腰を折る。

「初めてお目にかかります。サナミィのギフルダーラと申します」

少年はそれに一瞥をくれたが、ふっと視線をそらすと、やおらシキに向かって口を開いた。

「シキ、喉が渇いた。何かないか」

長老の挨拶に目もくれないといったその態度に、シキは心の中でそっとため息をつく。そして静かに、しかしきっぱりとたしなめた。

「王子。まずはギフルダーラ殿にご挨拶を。我々を救ってくれた村の長老です」

「ああ……ご苦労だった。礼を言うぞ」

ひざまずいたままの長老に軽く声をかけただけで、エイルは再びシキに飲み物をねだり始める。

「すぐに持ってこさせましょう」

長老は気にする様子もなく立ち上がり、小間使いを呼んでいくつか申し付けた。すぐに飲み物と軽食が運んでこられ、王子様は満足した様子でそれらに手をつけた。皿の上のものを全て片付け終わると、ちょっと不満げな顔で呟く。

「王宮の食事と随分違うんだな……まあ仕方ないか」

「殿下。ジルク殿は、詳しい事は王子に伺ってくれと言っておりました。これから先の事も相談しなくてはなりません、お話し下さいますか」

「……う、うん……」

そういって重たそうに開いたエイルの口から、王宮の老司祭から聞いた話がぽつぽつと零れ落ちる。反乱の起きた朝、ジルク老がレノアの行く末を占った事……。絶滅したはずの竜によって世界が破滅させられるという結果が出た事……。それを防ぐためには『同じ顔の子供が二人』必要だと言う事……。話し終わった時には、部屋には不自然なほどに重い沈黙が満ちていた。長老が緊張した顔で告げる。

「……同じ顔の子供なら、サナミィにおります」

「え?」

「本当か、長老!」

エイルとシキが同時に反応する。長老はそれに答えて頷いて、立ちあがった。

「ええ、すぐにでも呼びましょう」

「いや、もう夜も遅い。王子もお疲れであろうから明日にでも……」

気づけば、すっかり夜も更けている。シキは少年王子の身体を気遣ってそう言うと、一晩の宿を長老に願い出た。長老はそれを快く受け入れ、明日の朝にでも使いの者をやりましょうと約束した。

チェスターの家では、ルクレリアが本格的に予見をしようとしていた。夢で見た事が本当に起きる事なのか、司祭として調べようという訳である。しかしいざ始めようというところへ、長老からの使いがやってきたのだった。

「そういう訳ですので、朝早くからすみませんが、お子さんを長老の家によこして下さい」

「分かりました。用意をしたらすぐに伺わせます」

使者が帰るとルクレリアは子供たちを呼び、身支度を整えさせた。チェスターとルクレリアは、王侯貴族に会う事など滅多にない、と緊張していたが、子供たちはどちらかというとわくわくしている様子だ。

「遊びに行くんじゃないのよ。きちんとご挨拶しなきゃいけないし……」

「分かってるよ、母さん」

「大丈夫よ」

明るく言う二人を見ていると、どうも不安が拭い切れないルクレリアである。「本当に大丈夫かしら」と言いながら二人に上着と帽子を手渡した。

村は、運びこまれた二人の噂でもちきりだった。広場を横切って長老の家に向かう双子に、人々の視線が集まる。クリフとクレオはなんだかいい気分になった。自分たちが選ばれた、特別な存在であるような気がしたのだ。

クリフとクレオが生まれた時は、村中に驚嘆の声が上がったものだ。二人の子供が、一人の母から同時に生まれる事など、今まで絶対にあり得なかったからである。縁起が悪いからどちらかは殺した方がいいという意見すらあった。しかしルクレリアとチェスターの心は決まっていて、人々の声にも意思を変える事はなかった。これが運命なら、この子たちには何かしらの使命があるのだろう。それがルクレリアの言葉だった。

二人が育っていくと、騒ぎは更に広がっていく。子供たちの顔があまりにも似ていたからだ。似ているというより、まったく同じと言うべきだった。顔や瞳の色形、髪質、手足の形に至るまで……二人は写し取ったようにそっくりだった。村人たちは、双子は自分たちと違う異端の存在であるとして、ある者は恐れ、またある者は好奇心を持って彼らと接した。

サナミィでは、子供たちに教育を受けさせるほどの余裕のある者は少なく、子供たちは友達を村の中で作るほかはない。しかしクリフとクレオには、いまだに友達と呼べるような者がいなかった。村の子供たちとはどうも馴染めないのである。彼らはクリフたちの事をからかったり、気持ち悪がったりするので、クリフもクレオも彼らと行動を共にする事もなかった。また子供たちだけでなく、その親も、チェスター一家とはあまり付き合おうとしなかったのである。

しかし、二人が自分たちを孤独だと思っている訳ではなかった。いつでも相手が隣にいるからである。彼らは生まれた時からずっと一緒で、お互いがお互いを補い合って育ってきたのである。クリフにとってはクレオが、クレオにとってはクリフが誰より大切な兄弟であり、友達であり、自分の半身であった。彼らは、自分たちの事を二人で一組だと思っていたし、お互いがいればそれで満足だった。そしてこの絆は、彼らが成長するごとに深まっていったのである。

クリフたちが向かった長老の家は、村で一番立派な屋敷である。二階建てで、真っ白な壁に赤茶の屋根がよく映える。庭も広く、全体的に丁寧な手入れがされていた。クリフが大きな一枚板の扉を叩くと、先ほど彼らを呼びに来た少年が中へと招き入れ、長老が待っている客間に双子を案内した。暖かい部屋に入ると、赤々と燃える暖炉がすぐに目につく。暖炉の前にはゆったりとした長椅子があり、長老と青年が腰掛けていた。

「朝も早くからすまないな。ささ、そこへかけてくれ」

二人は長老が促すままに、向かいの長椅子に身を沈めた。

「こちらの方をご紹介しよう。シキ様だ」

その言葉に、長老の横の青年が軽く頷く。

「レノア王国騎士団、緑旗隊副隊長のシキ=ヴェルドーレという。以後よろしく頼む」

「クリフです」

「クレオです」

二人はさすがに緊張していたが、それを押し隠して名乗った。青年はクリフとクレオを順に見つめたが、特に顔色を変える事もなく、それと対称に、双子の顔に少々驚いたような表情が浮かんだ。初めて彼らに会った人に驚かれない、という事が今までなかったからだ。

小間使いが部屋に入ってきて、暖かいお茶の控えめな香りが部屋に広がった。

「シキ様には色々とご事情がおありでな。お話を聞いたのだが、どうやらとんでもない事になっておるようじゃ。……実は、レノアのお城で反乱が起きたらしい」

「残念ながら、本当の事だ」

シキが今までの事情を説明する。世界を救うために同じ顔の二人の子供を捜していた事、老司祭が自分と王子を逃がすため、双子のところへ送り込んでくれた事。その話を聞いて、クリフとクレオが納得したように頷いた。

「それで、僕らが呼ばれたんですね」

「同じ顔の子供たちなんて、私たちくらいのものですもんね」

自分たちが見た、世界が破滅するという夢は嘘じゃなかったのか……暗い表情のクリフとは逆に、クレオはむしろ得意気だ。目の前の青年騎士は真剣な眼差しで彼らを見つめている。

「正直に言おう。お前たちがいたとして、それで何がどうなるのか、俺にも分からないのだ。ジルク殿に会わねばならないが、城が、レノアがどうなっているのかすら分からない。ともかく、レノア城下の様子を見に戻ってみようと思っているが……」

「シキ様」

ずっと黙っていた長老が思い出したように口を挟んだ。

「昨日お話を伺った時から思っていたのです。大変失礼とは思いますが、どうか真剣に答えていただきたい」

「なんだ?」

「私はレノアの忠実な民です。田舎者とはいえ、国王の名を知らないはずもありません。昨夜、シキ様はエイクス王が亡くなられ、第二王子のエイル殿下をお連れだと仰いましたが……私の知っているレノア王の名は、グリッド王です。グリッド様は名だたる賢王としてその名を馳せています。そして、王には……世継ぎの王子がいらっしゃらないはずです」

「何を馬鹿な事を! グリッド王など、聞いたこともない。俺を謀(たばか)ろうと言うのか」

「め、滅相もない。そのような……私に何の得もありません。シキ様、どうかお教え下さい。エイクス王はレノアの何代めの王であらせられるのかを」

「下らぬことを。エイクス=ヨハネ=シュレイス=レノア様は第十三代レノア王だ」

「……グリッド王は、第三十七代レノア王」

クリフが呟き、その場の空気が凍りつく。その沈黙を破り、長老が静かに続けた。

「そう、レノアの民であれば子供でも知っています。……信じられないとは思いますが、やはり、反乱は起きていないのでしょう。そして、シキ様たちは……」

「いや! 反乱は確かに起きた。俺にはあの時の驚愕と、戦った感覚がまだ残っているのだ……」

「レノアに行けばいいじゃないか」

突然、木の扉から声が聞こえてきた。そしてその可愛らしい声の持ち主は、微笑を浮かべて扉の向こうから現れた。言わずもがな、エイル王子である。無邪気な笑顔のまま、少年は繰り返した。

「レノアに行けばいい。行ってみれば分かるだろう、反乱が起きているかどうか」

「元より、私は行くつもりでおりました。しかし殿下をお連れする訳には参りません」

シキが決然として答える。彼は反乱が起きたと信じている。確かに反乱が起きたのであれば、今や、残された正統な血筋は唯一エイル王子のみ。反乱軍が城を乗っ取っているとすれば、この人ほど命を狙われる存在はない。そんな危険な場所に大切なご主君を連れて行けようか。が、もしや……別の考えが頭をよぎる。もし、万が一にも長老の言う事が正しいのだとしたら……。

「では、こうなさいませ。エイル殿下は一時この村でお預かり致します。レノア城下までは片道十日と少し、シキ様が様子を見て帰ってこられては……?」

長老の提案である。しかしエイルは憮然とした表情で唇を尖らせる。

「嫌だ。シキが行くなら私も行く」

「殿下、それはなりません。輿もなく、従者もおらず、きちんとした準備も出来ぬというのに、王子が旅をするなど……」

「私は行く」

「いや、ですから殿下……」

「こんなところに残るなんて、嫌だ!」

クレオは、「こんなところとは何よ」と心の中で呟いた。王子様って言うからどんなに格好いいのかと思ったら、単なるわがままな子供じゃないの、偉そうに……。クリフはそんな妹を横目で見ている。クレオが何を考えているか、双子の兄には分かりすぎるほど分かるのだった。そっと苦笑をもらす。シキは何とか説得しようとなだめすかしていたが、結局はシキが折れることになった。エイルは得意満面で頷き、シキに向かって指を立てると言い聞かせた。

「もう私を置いて行くなどと言うなよ」

「はい、殿下。……では、くれぐれも言っておきますが、決してご身分を明かされないよう」

「分かった分かった」

目を閉じて軽く手を振って見せる。シキは諦めたように天を振り仰ぐと、ため息をついた。一転して真剣な顔つきで、双子を振り返る。

「お前たちもついてきてくれないか」

「えっ」

なんとなく予想していたとは言え、その言葉を実際に聞くと衝撃が走る。二人の子供たちは、お互いの顔を探るように見つめあった。しばらくの間、気まずい沈黙が流れたが、クリフは決心して口を開いた。

「僕、行きます」

「そうか。聞けば一度も村を出た事がないそうだな。……危険な事もあるかも知れないが」

「僕らが、なんの役に立つのかは分かりません。でも、世界の破滅を救えるかもしれないんでしょう? ……それに、お城に行って帰ってくるだけかもしれないし」

「クリフが行くなら私も行きます」

クレオもきっぱりと言った。その唇がちょっと震えているのを目ざとく見つけたエイルが、意地悪くからかい出す。

「怖がっているのではないか、お前」

「何言ってんのよ、怖くなんかないわよ」

「何だと、無礼な口を利くな、田舎娘! 私を誰だと思ってるんだ」

「田舎娘って何よ! あんたこそ今は王子じゃないかもしれないのに……!」

そこまで言って、はっと口を抑える。エイルの大きな目がより見開き、口元とこぶしがわなないている。

「……無礼者め!」

勢いよくあがったエイルの手が、大きな手につかまれて止められる。

「離せ!」

「今のはエイル様にも非がおありですよ。……しかしクレオも、言い過ぎだな。王族に対する口の利き方ではない」

「ごめんなさい……そんなつもりじゃなかったんだけど」

エイルは何か言いかけたが、そのままシキの手を振り払うと奥の部屋に駆け込む。残されたのは気まずい沈黙だけだった。

ルクレリアは暗い表情でうつむいたまま、深い考えに沈んでいた。……自分が生んだ、二人の子供。同じ時に、まったく同じ姿形を持って生まれてきた子供たちには、きっと特別な運命が待っているのだろうと思っていた。でも、それがこんな形で来るとは思いもしなかった。あの子らは、このために生まれてきたのだろうか。夢に見た、世界の破滅を救うために……? 二人に一体、何が出来ると言うのだろう。

一方、チェスターもまた、考え込んでいた。子供たちが村の中で馴染んでいないという事は明白な事実だ。自分やルクレリアすら、陰口を叩かれる事があるのだから、子供たちはどんな思いをしているだろう。クリフもクレオも、このまま大人になり、この村で幸せに暮らしていけるのか……? チェスターの首は、力なく横に揺れるばかりだった。そして彼は、目の前の二人に向かって告げた。

「いいか、村を出るというのはそれほど気楽なものじゃない。いつも俺が言っている事、覚えているなクリフ」

「うん。家を出る時は、二度と帰って来られないかもしれないって……」

「そう、俺はいつもそう思って家を出る。クリフとクレオも、狩りに行くのではないが、帰って来られない可能性がないとは限らん」

「大丈夫よ、だってレノアに行って帰ってくるだけ……」

「いや。もし行くと言うなら、二度と私たちに会えないかもしれないと思って行け」

「お父さん……」

「チェスターはね、そのぐらいの覚悟がいるんだって言っているのよ。いい? あなたたちの運命は、クタールに握られているわ。予見でも、何も見えなかったでしょう? 運命の神クタールが隠しているのよ。チェスターも私も心配で仕方ないわ。でも……あなたたちは行かなくてはならない。そんな気がするの」

「ルクレリアが言うんだ、きっとお前たちは旅立つ運命にあったのだと思う。同じ日に同じ顔で生まれた事も、シキ様たちがこの村へ来た事も、きっと全てクタールの仕業なんだろう。……さあ、支度をしてきなさい」

クリフとクレオは真面目な顔で頷くと、準備をするために階段を駆け上がっていった。チェスターがため息をつく。

「……本当に、これでよかったのかしら」

世の中の両親がおしなべてそうであるように、この二人も親として、我が子が心配でならないのだ。ルクレリアは夫の顔を潤んだ瞳で見つめる。チェスターは黙ってその身体を抱き寄せた。

「大丈夫だ。きっと、レノアへ着いたらすぐに帰ってくる」

「そう、きっとそうね……」

そう言いながら、彼らは子供たちが二度と帰ってこないかもしれないと思っていた。何故かは分からずともそんな予感がして……そしてその不安はどうしても消す事が出来なかったのである。ルクレリアは声を立てずに涙した。支えるチェスターの手に、力がこもる。

そして旅立ちの朝――。

両親と違い、子供たちはすっかり浮かれていた。一度も村を出た事のないクリフとクレオにとっては、色々な事を見聞きし、経験する初めての機会である。その興奮のために昨夜はあまり寝られなかった。夜遅くまで暖かな布団の中でなんのかんのと話していたのだ。……どんな事があると思う? 夜はどこで寝るのかしら? ご飯もあんまり食べられないかもよ。でもきっと楽しいよ……話は汲めど尽きせぬ泉のように、次から次へと湧いて出た。不安ももちろんあったが、期待がそれを超えていた。レノアで反乱が起きているかどうかや、世界の崩壊や竜の存在といった話は、彼らにとって現実味のない夢物語に過ぎない。いまだにどこか別の国での話のような気がするのだ。それより彼らにとっては、王都レノアへ行ける、何よりこの小さな村を出られる事が嬉しくてならなかった。どんな冒険も危険も、自分の半身がいればきっと大丈夫、切りぬけられる。双子の胸は希望に膨らむばかりだった。

しばらく待っていると、騎士と王子が広場の反対方向から歩いてきた。サナミィへ現れた時とは違い、二人とも鎧は身に着けていなかった。恐らく長老が用意したのだろう、ごく普通の村人が着るような服を着ている。傍目から見る分には、一般的な青年と少年にしか見えない。ただ、シキがその腰に着けている長剣だけは、少々不釣合いにも見えた。

「おはようございます」

クリフが丁寧に頭を下げる。クレオは長いスカートを持って膝を折った。王侯貴族様は、こういう挨拶の仕方をするものだというのを、ルクレリアに聞いたことがあったのだ。シキは爽やかな笑顔でそれに答え、気取ったお辞儀をしてみせた。それから真剣な顔で言い聞かせる。

「さてこれからの事についてだが、いくつか言っておかねばならん事がある」

「はい」

「まずエイル殿下は身分を隠してのお忍びだ。俺にしても、王宮騎士という身分は隠しておかねばならん。鎧など身分の分かりやすいものは長老に預けたが……」

「特に王子の鎧は分かりやすいですものね、すぐばれちゃうわ」

「ええい、うるさいな。そんな事くらい誰でも分かる」

クレオとエイルはどうも反りが合わないようだ。つんとそっぽを向く双子の片割れに、エイルは舌を出して見せる。

「殿下、お行儀が悪いですよ。……えーと、それで心得ておいてもらいたい事だが、エイル殿下を王子と呼ばぬよう……」

「私が王子でなくてなんだと言うんだ! いいか、シキは知っていて当然だが、お前たちにも言っておくぞ!」

言いかけたシキの言葉尻を捕らえてエイルがくってかかる。重いものなど持った事もなさそうな細い指を振って、双子に対して早口に言い始めた。

「運命の神クタールの名に掛けて、私はレノア王国の正当なる王子、エイル=ダルク=レノアだぞ。無礼な口をきく事はもちろん、本当なら同じ高さでなど話さぬのだからな! 知恵の神にしてレノアの代々の守護神であるバダッフの名に掛けて、私はレノアの王子であると主張するぞ!」

一気にまくし立てた最後の方は、シキに向かっての言葉だ。シキはため息をついて頭を抱えた。

「殿下、よろしいですか、もし殿下のご身分が知れたら大変な事になります。この間も申し上げましたが、それを避けるためにご身分は決して明かされぬように……」

「そのくらいは分かっている!」

「では……」

「うるさい、分かった。もういい」

腕を組んで後ろを向いてしまう。双子はそのやり取りに、顔を見合わせて肩をすくめた。シキはこれから先の事を思いやると、その精悍な顔を少々曇らせざるを得なかった。

「まあ普段は気にする事もございませんが、人のいるところなどでは極力目立ちたくありませぬ。どうか、ご理解下さい殿下。ご気分を損ねた事は、このシキ、心より謝罪致しますゆえ」

シキがそう言うと、エイルの肩が反応した事を示して少し揺れた。少年はマントをひるがえして振り返ると、極上の笑みをたたえて言い放った。

「では、許してやろう」

クレオはその尊大な態度に呆れて声も出ない。駄々をこねてシキを困らせているのはエイルだ。どう見ても悪いのはエイルの方でしょ、と言いかけようとして、双子の兄に止められる。何で止めるの、といった顔で兄を睨む。クリフの「こないだも同じ事やったろ」という言葉は、口には出さなかったが、すぐに通じたようだ。クレオは大きく息を吸い込んで、自分を抑えている。クリフはその様子を見て笑う。シキもつられて微笑んだ。

「そろそろ行くとしようか」

こうして彼らは長い長い旅の、その初めの一歩を、踏み出したのである。

この出会いが後世に長く語り継がれる事になる『運命の出会い』である事を四人が知る術はまったくない。大陸全土を巻き込み、全ての運命が激変していく事に気づいている者もまた、世界中のどこにも存在していなかった。それはただ、自分の手の平に運命の四人を乗せたばかりの、運命の神クタールのみが知り得る事だったのである。

サナミィからレノア城まではそれなりの距離がある。彼らはかなりの間歩き続けたが、その先の道のりはまだまだ長そうで、双子は早くも挫折しそうになった。ふと、クリフの目の前に木の葉が舞い落ちる。彼は、いつの間にか自分がうつむいていた事にも気づいていなかった。顔をあげると、木々の合間を縫うように、風に煽られた多くの木の葉が舞っている。

――まるで、雪が降っているみたいだ。

足が、降り積もった柔らかな木の葉を踏んでいく。秋ならば乾燥したそれらは乾いた音をたてるのだが、今クリフたちが踏んでいく葉は「青葉の月」の名の通り、青々としたものが多い。ここらの樹木はおかしな性質があり、まだ青々としている若葉を次々と落としていく。その代わり、新しい葉がまたすぐに茂るのだ。降り積もった青葉のおかげで足元は柔らかく、非常に歩きやすかった。

歩きやすいとはいえ、この森の中を延々と歩いていては疲労もたまるというものだ。双子はこんな長い間歩き続けた事はなかったので、足が軋(きし)んでいた。彼らより歩き慣れていないはずの人と言えば……。エイル殿下は、シキの背にいた。足が痛いと何度も繰り返して訴えるエイルを、シキが背負っているのだ。エイルがいくら軽いとは言え、シキにもそろそろ疲れが見えてきていた。

彼らがくたびれ果てて腰を下ろした頃には、この大地に住む全ての人々を守ってくれる太陽神ハーディスは、既にその顔を地平線の向こうへ隠そうとしていた。周りには多くの木が立ち並び、先へ行くほど陰が濃くなっていく。ここまでの道のりのほとんどが森ではあったが、進んでゆく先はそれまでと比べて格段に木の本数も、その種類も違う。今までののどかな風景とは明らかに違う雰囲気が醸し出されていた。彼らは誰一人知らなかったが、ここは妖精の森と呼ばれる、異形の者たちが住む森なのである。

知らぬとはいえ、止まる訳にもいかない彼らはもう一度立ちあがると、うっそうとした森の中へと入っていく。火を焚くための枝を集めながら、あまり口を利かないまま、疲れた足を引きずっていった。

「も、だめ……疲れたぁ」

そう言ったのはクレオである。膝に手を当てて、首もがっくりとうなだれてしまっている。立ち止まってしまったクレオを振り向いて、シキが苦笑する。

「こんな程度で音を上げているようじゃ、まだまだだな」

「そうだそうだ」

シキに背負われたままエイルが同調する。それを、クレオが睨みつけた。

「そんな格好の人には言われたくないわよ。第一、私たちは荷物を余計に持ってんのよ? 誰のせいだと思ってるの、シキがエイルを持つので精一杯だからでしょ」

「持つとはどういう言い草だ。私は荷物ではないぞ」

「……十分、お荷物じゃない」

「無礼者め! 私を誰だと思っているんだ。私はいいんだ、王子だから歩かなくて! 馬車か輿(こし)を用意するべきなんだぞ」

「そんなもの、サナミィにある訳ないじゃない」

「だから我慢してやっているんだろうが」

「ふんだ!」

クリフは肩をすくめる。シキは苦笑が絶えない。エイルを大事そうに下ろすと、一旦ここらで休もうかと提案した。まだ日が沈みきってはいないのに、あたりはすっかり薄暗くなっている。クリフは少し不安になった。

「あの、ここで野宿するんですか?」

「仕方ないな。まあ小さいながら天幕がある」

「寝具はないのだろう?」

「そのくらい我慢しなさいよ」

「そんなの分かってる! 指図するなと言っているだろう」

一事が万事、この調子である。クリフとシキは顔を見合わせてため息をついたが、どうしようもない。荷物を下ろし、天幕を張り始める。それからシキは双子に、火を焚くための枝を集めてくれるように頼んだ。森の中では一晩中火を絶やしたくない、という意見に納得した双子は、早速森の奥へ枝を拾いながら入っていった。

時は過ぎ、二人は森の中ほどにある広場にいた。焚き火を前にして寄り添っている。枝を拾い歩いている内、いつしか戻る道を見失ってしまったのだ。クリフは下手に動き回らない方がいいと判断し、集めた枝に何とか火をつけて座り込んでいるのだった。二人とも眠気と疲労感に対して、まだ若干の粘りを見せている。何より、シキたちとはぐれてしまった不安のために眠れはしなかった。太陽神ハーディスは朝にならなければ、その顔を見せない。既に、暗闇が二人を包んでいた。しかし木々の生い茂った森の中で辛うじて、この広場の焚き火のそばだけに、昼の明かりがまだ存在している。

クレオが焚き火を枝でつつきながら、不安げにため息をつく。それは、まるであたりで息を潜めている暗闇にその音を聞かれでもしたら、たちまち二人のいる場所が無くなってしまう、とでもいうかのように、密やかに吐き出された。しかしすぐ横の双子の兄には聞こえたようだ。心配そうな瞳が、同じ色の不安げな瞳を見つめる。

「クレオ?」

「クリフ……。何か、怖いわ。誰かが見てるような気がして。ねえ、そんな気がしない?」

クリフはあたりを見回すが、そこにはただ夜がひっそりと佇んでいるだけである。薪がはぜる音以外は静寂が森を満たし、生き物の影は感じられない。兄は妹に向かって首を振る。クレオはまだ不安そうにしていたが、疲れのせいもあり、やがてクリフの肩に頭を乗せた。クリフは少しの間警戒してあたりに気を配っていたが、やがて妹と共に、静かに寝息をたて始めた。

――月が昇る。大きな、月神メルィーズの象徴である月は、この森の中に少しの光しか投げかけない。木々が枝をかけ、その丸い姿をまるでひび割れが入ってしまっているかのように見せているのだ。それでも、森の中の双子が肩を寄せあって眠るこの広場には、多少の明かりが差し込んでいた。あたりに音はなく……いや、何かの音がしている。木々のざわめきとも、人の笑い声ともつかぬ奇妙な物音が、いつの間にか、森全体に満ちていた。密やかなその音は風が森を吹き渡る音と共に少しずつ大きくなってきており、かすかではあるが、耳をよく澄ませば聞き取れる位にはなっていた。さわさわ……ざわざわ……ひそひそ……くすくす……。どうやら、話し声のようである。

「……ねえ、人がいるわ……」「くすくす……」「本当だ……珍しいね」「からかっちゃおうか……」「止めなさいよ……可哀想よ」「……さわさわ」「……そっくりね」「寝てるみたいだよ……」

木々の合間から、幾つかの影が見える。彼らこそがこの森に住む異形の者たちだった。クリフとクレオはまだ夢の中、彼らに気づいてはいない。異形の者たちは木々の間から姿を現し、徐々に広場に集まってきた。

彼らの多くは形こそ人間に似てはいたが、翼や角、尻尾などを持っていた。背丈や衣服などもかなりばらばらで、中には発光している者まで混じっている。最初に口を開いたのはその中の一人で、尖った耳を興味津々といったふうに動かしている。

「とりあえず、起こしてみようか」

その声の最後に、綺麗な旋律が重なった。ふわふわと浮いている小人とも動物ともつかぬ者が発した音のようだ。その旋律が終わると、頭の横に丸っこい角のある女の子が口を開く。

「そうね、アルの言う通り。このままじゃ、私たち何も出来ないし……。とにかく、起こしてみましょ」

クリフとクレオは目を覚ました後も、まだ夢の続きを見ているのかと驚いた。あんぐりと口を開け、異形の者たちを見つめる。目の前の人々が口々に話し始めた。それはあまりにも立て続けに話されたので、双子はその勢いに圧倒されて何もしゃべる事が出来ないまま、目をきょろきょろさせるばかりだ。いまだに自分たちの目の前にあるものが現実であるという事に対して、疑問を持つ事を禁じ得ない二人は、ただ彼らの話を聞くばかりだったが、やがて話の流れを理解したようだ。まだまだ話そうとする彼らの隙をついて口を挟む。

「じゃ、じゃあ今日はお祭りの日だって事ね?」

「満月を見に来たんだね?」

最初に口を開いた男の子は、ローレルと名乗った。どうやら彼が指導者的な存在のようだ。他の者を静めてから、頷いた。

「そう、今日はメルィーズが満月だから、お祭りなんだ。驚かせたよね、ごめんよ。人間なんてこの森に滅多に入ってこないから、こっちも驚いたけど」

「そうだ、俺たち迷ってるんだ。仲間とはぐれちゃって……」

「知ってる知ってる! ぼく、知ってるヨ!」

飛び出した一人の少年が、猫のようなひげを震わせ、甲高い声で言う。そして、クリフとクレオの回りを飛び跳ねながら、舌足らずな調子で説明しだした。

「あんね、ぼく見たよ、森の入り口に天幕張ってる、そうでしょ? あの、大きい人間と、小さい人間だよね」

「リーガル、彼らがどうしてるのか知ってる?」

「今ね、今は知らないの。でもさ、さっきはうろうろしてたヨ。小さい方、水色の髪の方は天幕に入ったの。だけど大きい方、黒髪の大きい人間はうろうろ」

うろうろ歩いている様子を、妙な素振りを交えて熱演して見せる。クレオは思わず口に手をあてて笑い出してしまった。ローレルが指を立てると、その先に小さな明かりが灯った。その明かりに向かってローレルが話しかける。

「じゃあレイラ、悪いけど彼らをここまで連れてきて」

「いいわ! ローレルのためなら〜」

歌うように言うと、小さな小さな妖精は翼をはためかせて飛んでいった。双子はほっと安心して、彼らに礼を言った。ローレルは耳をぴんと立てて、「お祭り、一緒にどう?」と彼らを誘った。

「喜んで!」

「うん!」

月は、彼らの頭上高くにその姿を現していた。その姿全部は見えなかったが、彼らは妖精の森の不思議な住人たちが持ち寄った食べ物や飲み物を口にし、月神メルィーズの地上での姿である月の、輝くような白銀の光を浴びて踊った。食事が終わるまでにはシキとエイルも合流し、それぞれはすっかり打ち解けていった。シキは目の前の異形の者たちに驚きの表情を隠せなかったが、エイルはすぐに馴染み、あっという間に彼らと仲良くなっていた。

夜明け近くまで祭りは続いた。住人たちは自分らが森を出られない事を告げ、非常に残念がって、またいつか寄ってくれるようにと、口々に頼んだ。クリフたちは楽しかった時間に別れを告げ、森に帰っていく友人たちを見送り、再び焚き火の前でしばしの睡眠を手に入れた。

……鳥のさえずりが聞こえる。クレオが目を開けると、ちょうど目を開けたクリフと目が合った。

「おはよう」

「ん、おはよ」

言ってから、何故か急に笑いがこみ上げる。二人は何がおかしいのか分からないまま、声を上げて笑った。その声でエイルも目を覚ましたようだ。広場には昨夜の跡などかけらもなく、森は普通の森と何ら変わりのない、朝が訪れた事を知らせる生命の活気に溢れている。シキはとっくに起きていて、荷物を詰め直していた。その脇に、果物などが山のように積んである。エイルが目を丸くして尋ねる。

「これはなに? どこから持ってきたんだ?」

「これは起きた時からありましたよ、殿下」

「じゃあきっとローレルたちからの贈り物ね!」

彼らはそれぞれに昨夜の事を思い出し、夢ではなかったのだろうかと言い合った。それから、レノアへ向かって再び道を辿り始める。レノア城までは、まだかなりの道程を残していたが、不思議と昨日までのようには疲れなかった。そして彼らは着々とレノアへ近づいていったのである。

太陽神ハーディスと月神メルィーズは交互にその姿を地上に現す。そうして十日ほどが経った頃、少年王子と騎士、そして世にも稀な双子はレノア城とその城下町付近にまで到達していた。大国レノアの王都はやはりレノアという名の街で、高い城壁が町全体を囲むように建てられていた。その周辺は平野で、穏やかな農村地帯が延々と広がっている。畑に植えられた作物は様々で、収穫できるようなものあればまだ青い葉を茂らせているものもあるので、畑はまるで色とりどりのつぎはぎを当てた布のように見えた。その大きく広げられた布の向こうに、高い城壁に囲まれた壮麗な王宮が見えている。細い尖塔がいくつも連なった王宮は、丘の上に造られているので、その大半が城壁の上に姿を現していた。その大きさがどれほどのものであるか、ここからではまだ分からないが、相当大きな城である事は確かである。

「我がレノア城……。父上……」

エイルが小さく呟く。隣を歩いているシキだけがそれを聞きつけ、唇を噛んでいる少年の肩にそっと手を乗せた。

「早く行きましょう! ね、早く!」

少し先で、クリフとクレオが手を振っている。シキがそれに振り返すと、双子は駆け出して行ってしまった。エイルは立ち止まり、シキを見上げて確認するように言った。

「あれは……我が城だな……?」

「ええ、エイル様がお住まいになる城、我が主の城、正当なるレノア王家の城です」

「……ん」

断固とした調子で繰り返すシキに、エイルは少し安心して息を吐いた。胸を張ってまた歩き出す。その心中を思うと、声には出さずともシキの胸は熱い想いでいっぱいになるのだった。もしあの時の事が現実で、反乱が起きているのだとしたら……もう随分と近くに見えるあの城は、エイルのものではないのだから。それを取り返すには、どれほどの人手、どれほどの時間が費やされるだろう。今の状態では不可能と言っても過言ではない。現実的に考えれば、レノアの兵士は今、その全てがエイルの敵だと言わねばなるまい。反乱軍を率いていたのは王弟コジュマール大公……。軍部を束ねる武官長でもある彼が、既に王位継承を執り行ったとすれば、レノア軍全体がエイルの敵である。レノアは、絶対的に王家の力が強い。反乱を起こしたとは言え、レノアの民はコジュマールに忠誠を尽くさねばならない。エイルは一夜にして王家を名乗る反逆者として手配され、処刑対象とされるだろう事は疑いようがないのだ。

幼い少年王子には、まだその実感がない。自分は正当なレノア王家の王子であり、レノアの民はいまだ自分と、その王家に対して忠誠を誓っていると思っているのだ。その期待が裏切られた時、少年がどんな顔をするのか、そしてその後はどうするのか。考えただけでもシキは息苦しくなる。自分たちを転移させてくれた老司祭、ジルクの言葉がふと蘇った。

『とにかくエイル様をお守り下さい。シキ殿なら安心ですからな』

シキは心の中で呟く。

――俺は、何があろうとエイル様の味方です。……まだ存在しているかすら定かではない「レノア王家」にではなく……エイル様ご自身に、俺の忠誠を捧げます。

自分が守らなくて、誰がこの少年を守れると言うのだろう。自分の目の前を歩いている幼き少年、まだ何も知らぬ、「現実」というものを感じた事すらない少年を……。

そうこうしている内に、レノアの城下町は随分と近くなってきた。遠かった頃はそれほどだとも思っていなかった城壁は、今や目の前にそびえ立っているように感じられるほどだ。双子はその大きさに驚嘆の声を漏らしている。

王都レノアは南北に長い町だった。北側がレノア城、南側が城下町という具合になっている。町の一番南に開かれた城門が、町の南門として使われていた。サナミィから来ると、レノアの北東あたりに到着する事になる。クリフたちは城壁を右手に見ながら、南へ回らなければならなかった。

南門からは大きく太い街道が南へと続いている。春の市が立つこの季節、街道には多くの人が溢れていた。南方からやってきた旅人も多くいる。あちこちで色々な地方の言葉が飛び交っていた。街道の脇には露店も作られ、気の早い商人が商売に精を出している。今、この街道には種々雑多な人々が入り乱れていた。その様子を眺めながら、シキはいまいち合点がいかない様子である。

「いくら市が立つ時期とはいえ、このような場所での露天商など、許されるはずがないのだが。それに……」

独り言のように呟くシキの目線の先には、レノアの南門があった。そこでは兵士が数人立ちはだかり、入ろうとする者と問答しているようだ。門番の様子からすると、誰も門を通すまいとしている。普段であれば大勢の旅人や商人が出入りしているはずなのに、人々が街道でうろうろしている理由はそこにあるようだった。人々は皆一様に、何かを待って街道やその付近に集まっているのである。

「レノアの城下に入るために通行証などいらぬはず。それに天幕を張っている者がいるという事は、もう何日も門は開けられていないということか? ……やはり何かがおかしいな。しかしこれでは反乱が起きているのかどうか、はっきりとは……」

考え込むシキの周りでは、エイルと双子が目を丸くしていた。エイルにしてみれば、城から出た事など数えるほどで、それも全て輿の中から覗ける、狭い範囲しか見た事がないのである。双子はと言えば、ただただ純粋に、これほど大勢の人間を見た事がないので唖然としているのだった。

「サナミィの収穫祭よりすごい人……」

「う、うん。これでもまだ、城下に入ってもいないんだよ、すごいなあ」

三人ははぐれないようにとシキのそばを離れはしなかったが、あたりを物珍しそうに眺めてはきょろきょろし通しである。

クレオがそばにいた女の子を羨ましそうに眺めている。クレオはいつも着ている白い綿の服にフードつきのローブを羽織っているだけだったが、クレオと同じくらいの年のその子は、花模様の刺繍がはいったケープを肩にかけている。スカートは綺麗な草色に染めてあり、ケープとおそろいの刺繍が裾に入っていた。髪も高く結い上げ、可愛らしい髪飾りでとめている。あまりにも自分と違うその子を見て、クレオは思わずうつむいた。

一方のクリフは露天の武器屋に見とれている。彼が持っているのは父が作ってくれた手製の弓で、柔らかくしなるカゴラの木を削りだしたものだ。露天商では、クリフが見た事もないような弓が、数多く並べられていた。木製のものも多くあったが、金属の持ち手がついたものや、弓自体が鉄で作られているものもある。その大きさも千差万別で、小さな手弓から、クリフにはとても使えないような長い弓まで様々だ。色が塗られ、綺麗に飾られた祭礼用の弓などもある。それ以外にも、短剣や長剣などが山程あった。店は布を張って作る簡単なものだったが、その中にはどうやって運んだのかと思うほど多くの品物が所狭しと並べてある。それらの内のいくつかは表からも見えるように綺麗に並べられ、店主は終始笑顔を絶やさずに、商品の一つ一つを丁寧に磨き上げていた。

浮かれる双子たちとは逆に、エイルは言い知れない不安に襲われていた。

今までは、人々から見下ろされる事など皆無に等しかった。いつでも自分は壇上にいて、目の前でひざまずく人々を見下ろしていた。自分が見上げるのは父王と母くらいのもの。兄王子も自分より背がそれほど高い訳でもない、同じ目線で話していたのである。それがどうだろう、今自分の近くにいる人々は、全て自分を見下ろしていく。中にはエイルにぶつかっても「邪魔だな」といった顔をしていく者さえいる。だがそれは、当たり前の事だった。エイルはまだ発展途上の少年で、身長も六サッソ半しかないのだから。世間知らずの少年を、人々が目に留める訳もなかった。しかしエイルにとってはそれが何だか恐ろしくて仕方ない。自分は王子なんだぞ、偉いんだ……主張しようとしても口に出す事は出来なかった。

――なぜ、誰も気づかないんだ……。レノアの民はレノア王家に、私に、忠誠を誓っているはずなのに……。

無意識にエイルはシキの服にしがみついていた。シキはそれに応えるようにエイルの肩を抱き、その顔を隠すようにしてあたりに眼を配る。そして、双子に話しかけた。

「お前たち、悪いが『彼』を頼む。俺はちょっと中へ入れないかどうか門番に聞いてこよう。険悪な情勢というわけでもなさそうだから、心配はないと思うが……人ごみに紛れぬよう、ここいらで待っていろ。あまり『彼』の顔を見られないようにな。……すぐ戻る、心配するな」

置いて行かれるのか、とやや不安げな表情の三人に向かって軽く微笑んで見せ、シキは門のほうへ歩き出した。

門衛所では幾人かが門番と言い争っている。どうやら中へ入れろ、いや駄目だと押し問答を繰り返している様子だ。

「いかんと言っているだろう! 通行証がいるのだ!」

「そんな話は聞いてねぇです」

「そうだそうだ、第一どうやって手にいれるんだ!」

「申請しているから待っていろと何度言ったら……」

「私たちはそれでもう三日も待ってるんでしょ!?」

「どうして入れねーのかを教えろって言ってんだよ、兵隊さんよぉ」

「いずれ王宮の方からお知らせが出るはずだ」

「いずれって言われたって……なあ」

これではいつまでたっても埒(らち)があかないな、シキは人々に混ざって観察を続けていたが、ため息をついた。

――しかし通行証とは……俺もそんな話は知らん。やはり俺の知っているレノアとはどこか違うようだ。

そんな考えを巡らせていると、後ろの方からざわめきが起こった。振り向いてみると人々を乱暴にかきわけてレノア兵士が二人現れた。護身用の軽い鎧を身につけた兵士たちは手に細い槍を持ち、それで人々を威嚇しながら道を開けるようにと指示している。研ぎ澄まされた切っ先に人々は慌てて道を譲り、何が起こるのかと脇から覗きこんだ。二人の兵士は口々に言う。

「さあ道を開けろ、騎士団のご到着だ」

「邪魔だてするな、緑旗隊のお帰りだぞ」

――緑旗隊だと!

その言葉に真っ先に反応したのはシキだった。誰もが騎士団の到着に驚いてはいたが、シキがその中にいて誰より驚いていたに違いない。緑旗隊というのはレノア王国騎士団の中でもある種特別な存在で、王家に一番近い親衛隊、一般的に言うところの近衛隊である。レノアの王国騎士団には、本隊といくつかの分隊があるが、そのどの隊も紋章は旗の下にうずくまる獅子と決まっている。しかし緑の旗を交差させた緑旗隊の紋章だけは、王家の旗紋章と同じ意匠で、色は違えど王家に一番近い存在である事を示していた。緑旗隊は騎士団に所属はしているが、独立した王家の護衛隊なのである。緑旗隊がいるという事は、そこに王族がいるという事を示しているのだった。

「さあさあどいていろ、さっさと道を開けろ!」

「邪魔だ邪魔だ、蹴散らされたいか!」

物騒な声を上げながら、二人の兵士は道を作っていく。呆然としていたシキは取り残され、気づくと道の中央に立ち尽くしてしまっていた。兵士たちが彼の前に立ちはだかっている。

「おいお前、何を考えている、そこをどけ!」

「レノア王国騎士団、王家直属護衛隊の緑旗隊をなめとるのか?」

「い、いやそんな事はないが……」

「……おい」

「?」

「何様のつもりだ。『そんな事はない』だと? 我々は貴族階級だぞ、平民が対等に話をできる身分ではないのだ!」

「ちょっと待て! いつから緑旗隊はそんなに柄が悪くなった? お前たちの上官はどんな指導をしているんだ」

シキは思わず言い返したが、すぐに今の立場を思い出し、自分の失態を思い知った。

「なぁんだとお? 偉そうに、何が指導だ! 平民が!」

「ええい、邪魔だ!」

そう言うと兵士の一人が槍を突き出す。シキは身をよじってそれをかわし、道の脇へと走った。複雑な感情と、様々な考えが交互に彼を攻めたて、ひどい混乱に陥らせていた。

二人の兵士たちは、意気揚々と南門に到達した。すぐに、先導二人によって広く開けられた道を、大勢の騎士たちが埋めていく。まずは馬の一団が姿を現した。その一番先頭を、王家の白い旗と騎士団の青の旗、そして緑旗隊の緑の旗を掲げた三人の兵士が歩いてくる。すぐ後の二頭が、騎士団の中で最も立派な馬だった。毛艶のいい葦毛と、これまた美しい栗毛が飾り立てられている。

背の高い葦毛に乗っているのは、深い緑の鎧を身につけ、真っ直ぐな姿勢で前を向いている体格のいい男で、見たところ四十に近いだろうという騎士だ。栗毛の手綱を握るのは、黒い鎧の青年でやはり背筋をぴんと伸ばしている。こちらの騎士はずっと若いが、それでも三十前後だろうか。二人とも面をつけていなかったので、その表情がよく見えた。緑の甲冑の男は厳しい顔つきで太い眉をぴくりとも動かさず、まるで人形のような表情だが、栗毛を操る黒い甲冑の男は優しげな笑みを浮かべている。シキはその様子をまんじりともせず眺めていたが、まわりの人々が言い交わす言葉に己の耳を疑った。

「ほら見てごらん、あれが緑旗隊の隊長と副隊長だよ」

「ああ、姫を迎えに行っていたんだろ。サニエール隊長と……」

「副隊長のフォード様!」

「綺麗なお顔立ちだねえ、あの人は……やっぱり貴族様は違うよねぇ」

「なんたって気品があるもの。サニエール隊長は、とてつもなくお強いんでしょ? 騎士団の中でも一番だって言うじゃないさ」

「お父様は大戦の時の英雄でいらしたしねぇ」

「あら、フォード様だってすごいわよ。剣もお上手だし、頭もよいので有名じゃない」

「いやあ、あの人は怒らせたくないね……、国中の女を敵に回すのと同じだもんなぁ」

「フォード副隊長がご結婚されるとなると大変だろうね」

「いやっ、フォード様がご結婚なんて信じられないわぁ」

人々の下賎な噂はひそひそと切れる事もなく続いていたが、シキの心中はそれどころではなかった。レノア王国騎士団、緑旗隊長の副隊長と呼ばれる人間が目の前を通っている、それ自身が、まさに信じられない事実だった。相手は甲冑を身につけ、人々の羨望の眼差しの中、馬を歩かせていく。一方の自分は、平民と間違えられるような服装で、人々に混じってそれを眺める事しか出来ないのだ。もしここで自分が緑旗隊の副隊長だと名乗り出れば、不届き者と罰せられる事は明白である。

それに加え、人々のやり取りから確かになったいくつかの事実も、信じられない事ばかりだった。……やはりこれでは、サナミィの長老が言っていた通りではないのか。態度の悪すぎる兵士も、緑旗隊とも思われない。『姫を迎えに行っていた』などと言っているが、エイクス王に娘はいらっしゃらない。……それに、サニエールにフォードなど、騎士団の中でも聞いた事のない名だ。まして、自分以外の『緑旗隊副隊長』が存在するなど……! それがシキにとって、一番の衝撃だった。「まさか」「そんなはずが」といった言葉ばかりがシキの頭に溢れかえっていた。

混乱し、頭の中を整理しきれないシキの目の前を、緑旗隊の鎧をつけた兵士の乗る馬が何頭も通りすぎていく。その後には、美しい馬車が数台、そしてまた騎乗兵の一団が続いていた。一番最後は大勢の歩兵の列である。彼らはみな厳粛な面持ちで、列を崩さぬまま静かに行進していく。シキは彼らをただ見つめている事しか出来なかった。

そして最後の一人が城門へと吸いこまれていき、南門はすぐに閉められ、人々はため息とともにそれを見守った。シキはようやく我に返ると、あたりの人にいくつかものを尋ねてから、残してきたエイルと双子を案じて駆け戻った。

「あ、帰ってきた!」

「シキ!」

小走りで帰ってくるシキにむかってエイルが駆け出す。それを抱きとめるようにしてシキが立ち止まり、そこへクリフとクレオが歩いてきた。

「すごかったですね、なんだったんですか、あの集団は」

「びっくりしちゃった」

クリフとクレオは無邪気そうに尋ねる。シキはなんと答えたらいいか迷ってしまった。エイルは、事の意味を理解しているようだ。

「シキ、緑旗隊というのはどういう事だ。あれは、あれは王家の馬車か」

「……レノアの姫が、お戻りになったそうでございます」

「姫ぇ?」

その答えにエイルは、訳が分からないといったように叫ぶ。それを抑えてシキは続けた。

「ここでは目立ちすぎます、まずは街道から離れて……」

「あ、はい。……実は僕らも思ってたんです」

「あの、双子ってすごい目立つみたい。みんな私たちの顔を見ていくんです」

見れば、クレオは先ほどからずっとフードを目深に下ろしている。なるほど、同じ顔の子供が二人いれば注目されるのは道理、ただでさえ目立ちたくないのにこれでは……。シキが、街道から一旦外れて話をしようと申し出た。

「先ほどの一団は……王国騎士団緑旗隊だった」

シキが冷静に話し始める。自分の感情を抑え、淡々と話していく。

「どうやら国王……グリッド様には姫が一人いて、異国へ親善大使としてお出かけだったらしい。それが、ご訪問の期間が終わってご帰国になったのだとか。緑旗隊は、その護衛だ。隊長はサニエール、副隊長……が、フォードという名で」

「緑旗隊の副隊長はシキ=ヴェルドーレという名だ」

エイルが憤慨して胸を反らし、きっぱりとした口調で言ってのけた。双子はお互いに困ったような顔を見合わせている。シキはほんの少し、淋しげに微笑んだ。

「殿下……どうやらここは我々が知っているレノアとは違います。人々に尋ね聞いたところ、王の名はグリッド=リヨール=シュレイス=レノア、第三十七代レノア王でございます。残念ながら今が、レノア暦七八四年だというのは、誰に聞いても同じ答えで……」

「今年は四三八年だってば」

「エイル様は、シキが嘘をついていると、そうお思いですか」

「……」

広がる沈黙がその場の気まずい雰囲気を演出し、クリフとクレオはその沈黙に耐えられなくなってしまった。比較的明るい雰囲気を出そうと務めながら、交互に言い出す。

「ってことはやっぱり、時間がずれていたんですね」

「すごいね、三百年以上前の人に会えるなんて」

「そうだよね、すごいや。でもなんでだったんだろう」

「その、ジルクという司祭が間違えちゃったのかな」

「そうかも知れぬ。あの時、ジルク殿は焦っておられた」

「いや、違う」

シキの言葉に、エイルが弾かれたように顔を上げた。そして、転移した時の事を、一つずつゆっくりと思い出すように話し出す。

「……あの時、ジルクは確かこう言った。『双子の場所は突きとめた。転移の術法も準備した……だがその場所がどこだか見えなくて』……と。クリフとクレオがいる場所は分かっているが、それがどこだか、そしていつの時代なのか、ジルクは知らなかったんだ」

「あ、そうか……じゃあジルク様にしても、予想外だったって事なのかな」

「恐らくそういう事だな」

この言葉に、三人の視線がシキに集まる。

「ジルク殿は、双子が存在するのが三百年以上先の事だとは知らなかったのだ。知らずに俺らを送ってしまった。……そう、確かに、今このレノアでは反乱などは起きていないのだ。……とすると、俺はエイル様を連れて、なんとか元の世界へ戻らねばならない」

「どうやって戻るつもりなんですか? ……いや、その……」

クリフが尋ねる。その答えがない事は、聞いた本人もよく分かっている上での質問だった。この先どうなるのか、分からない……その不安がただ口を突いて出ただけのようなもので、クリフもその後どうすればいいのか困ったような顔でうつむいてしまう。シキは少し考え、その考えをまとめるように話し出した。

「時を越えるような方法を俺は知らないし、そこらの誰でもが知っているような事ではないはずだ。まず、情報を得なくては……。しかしレノアの城下に入るには通行証がいる。それを手にいれるのは困難だろうな。先ほど見た様子ではここでずっと待たされ続けるだけで、いつまで経っても中には入れなそうだ。ではどうするか……」

クレオが手を上げている。何か考えついたのか、ちょっと得意そうな顔で右手を軽くあげ、何かを主張していた。その頬が興奮している証拠に紅く染まっている。硬い表情をしていたシキはそれを見て、ふっと表情を崩した。

「なんだ、クレオ?」

「思ったのだけど、時を越えるにはすごい力が要るわ。大魔法使いでもなきゃ出来ないのでしょう? きっと」

「それくらい誰でも分かる」

「うるっさいな、エイルは黙っててよ」

「エ、エイルだと! 呼び捨てにするなど、私を誰だと……」

「もうっ、いいから黙ってて下さいませ、エイル殿下! ……でね、大陸一の魔法使いならきっと時を越える魔法も知ってると思うの」

「なるほどな、理屈は合ってるが」

「ね? でしょう?」

「しかしその、大陸一の魔法使いとやらがどこに住んでいるのか知ってるのか?」

「えっ……うーん、それは知らないけど……」

「なら言うな」

「……もう! 文句あるならこっち来て言いなさいよっ!」

脇の方で別の方角を見たままぶつぶつ文句を言っている少年王子に向かって、クレオが怒ってみせる。しかしエイルはクレオに一瞥をくれただけで、ふいっと目を逸らしてしまった。その態度にクレオの顔が更に紅くなり、ほおが脹らむ。

「まあ落ちつけ、クレオ。そうだな、優秀な魔術師か……」

「そうです、魔法使いを探しながら旅をするの! きっと素敵です!」

「おいおいお前たちも来る気なのか」

「行きますよ、もちろん!」

クリフまでが興奮して話に加わってきた。

「レノアに入れないのは残念だけど、大陸中を旅して魔法使いを探すんです! 色んな人たちに情報を聞いたり、町から町へ旅して……」

「ちょっと待て」

双子は、これから始まるであろう魅惑的な旅を期待して目を輝かせている。シキは苦笑し、それからきっぱりと首を横に振って見せた。

「お前たちを連れていく気はないぞ。……いや、実を言えばレノアに着くまで、俺は反乱が起きているのだと思っていた。それならなんとかジルク殿を助け出し、世界を竜から救うための双子を連れてきた事を報告せねばと思っていた。だからこそお前たちにもついて来てもらったが、現状では『世界の破滅』より元の時代へ戻る方が先だ。お前たちはもういいからサナミィに帰りなさい」

「でも……」

「旅をするという事は、楽しいばかりではない。むしろ辛い事や苦しい事の方が多いだろう。お前たちにはまだ分からないだろうが、両親がいて、住むところがあるというのは、どんなに幸せな事か。……とにかくお前たちを連れていく訳にはいかない」

そう言ったシキの口調は厳しく、クリフもクレオも何故それほど拒否されるのかが分からなかった。なおも言葉を継ごうとするクレオを、シキが指を立てて黙らせる。

「今のお前たちでは、正直に言って足手まといになるだけだ。それに、この先どうなるのかも分からない。我々と一緒にいては、危険な目に遭う事もあるだろう」

「……」

「お前たちに何かあってみろ、サナミィのご両親に、俺はなんと言えばいい?」

双子には、それ以上言うべき言葉が見当たらなかった。同じ顔を見合わせて、お互いに何かを確認し合うと、クリフが小さく頷いた。

「……分かりました」

「せめてサナミィまで送っていこうか」

シキの申し出に、クリフとクレオは再び顔を見合わせたが、今度も、何も言わずに意思が通じているようだった。

「いえ、大丈夫です」

「僕ら二人でサナミィまで帰れます。道も分かるし」

「サナミィまでは、そう危険な事もないですから」

「そうか。では気をつけて帰れよ。……殿下、我々も参りましょうか」

「……うん」

そのまま、シキは振り返る事なく歩き出す。双子はすぐに歩き出す事が出来ず、しばらくその場に立ち尽くしていた。自分たちが想像していた展開とは程遠く、あっという間の事態の進展についていく事が出来ないのである。シキが立ち止まり、何か言ってはくれないだろうかと、ほんの小さな期待を胸にしばらく立ち尽くしたが、エイルが一度だけ、そっと振り返った以外は何も起こらなかった。

双子がレノアを離れ、とぼとぼと歩き出した時、太陽神ハーディスはまだ頭上高くに輝いていた。二人は言葉もなく、歩いていく。サナミィへ続く道を、彼らは沈んだ気持ちで、一歩ずつ進んでいった。時にレノア暦七八四年、青葉の月の事である。

第一章 完

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