Legend of The Last Dragon −第八章(1)−

年も明けた春の香月は、レノアなら花の咲き乱れる季節だが、ルセールでは長い乾季がまだ続いている。夏に比べれば気温は低いものの、乾燥だけはいかんともしがたい。人々は雨季を待ち遠しく思っていた。

王都マイオセールから港町コーウェンへ、街道は大きく曲がりくねりながら続いている。砂漠のように暑くはないものの、一年を通して気温が高い地方なので、決して涼しいわけではない。それでも、馬を走らせていれば風が心地良かった。エイルも、乗馬にようやく慣れてきたようだ。ここのところ急に身長も伸び、太腿や腕にも筋肉がついた。旅に出た頃は色白の痩せた少年だったエイルは、今、その水色の髪を惜しげもなく風になぶらせ、日に焼けた肌をハーディスにさらして、まっすぐに前を見て馬を走らせていた。

そうして、王都マイオセールを発ってから一ヶ月ほどが過ぎただろうか。エイルはある日、埃っぽい空気に、何か別の匂いが混じっているのに気づいた。ほんの僅かな違いであるが、それは確かに今までと違うものだった。

「これは何の匂いだ?」

「気づいたか」

リュークがにやりと笑う。

「これが潮の匂いってやつさ。コーウェンが近い証拠だ」

「そろそろなの? ようやく来たのね」

クレオがはしゃぐ。エイルとは対照的に、旅の疲れが彼女をほっそりとさせていた。その顔には旅の到達点が見えた喜びが溢れている。

「シキ以外は、海を見た事がないと言ってたな。港からの景色は格別だぜ」

リュークが楽しげに言う。みな、期待に満ちた顔だ。

「よし、早く行こう。先に着いた者が勝ちだ!」

リュークはそう言うと、自分の馬に鞭を入れた。双子もそれを見て、同時に馬の横腹を蹴る。

「行こう!」

「あっ、あっ、ずるいぞ!」

エイルはようやく一人で乗れるようになった馬を、急に走らせることが出来ずに慌てている。手綱を操るものの、焦っているので馬の方もどうしていいか分からずに首を振るばかり。シキが「落ち着いて」と声をかける。

「体を真っ直ぐに。手綱は緩めて、馬の自由に走らせれば良いのです。後はなるべく小さくなって、振り落とされぬようお気をつけを」

「分かった」

何とか態勢を整え、エイルは馬の背にしがみついた。

「よし、行け!」

馬は、引っ張られていた手綱が緩んだことを理解し、横腹に「走れ」という意思を感じて、勢いよく走り出した。シキはその様子を確認し、感心したように頷いている。それから馬の首を優しく叩いて言い聞かせた。

「では我々も行こうか。好きなだけ走っていいぞ。ただし、エイル様を追い越さぬ程度にな」

コーウェンは大きな港町である。帆船で遠海航行が出来るほどの技術はないが、港を利用する船は大きく、近海の島々を巡る。特に、湾の東にあるミクリナ島とは頻繁に交易があり、そこでしか産出されない絹製品などを多く届けてくる。深い湾と、この地方の優れた造船技術がそれを可能にしていた。船は毎日のように港を出入りし、また、ごく稀ではあるが、外の大陸との行き来もあった。

照りつける太陽と、べたつく潮風。空気に混じる香りは独特なものだ。町中に走る小さな運河の水面に、陽光がきらきらと輝いている。ハーディスの光は積み上げられた木箱や大きな樽の山にもたっぷりと降り注いでいた。

港の近くには、荷揚げされた商品がしまわれる倉庫街がある。倉庫街と港をつなぐ大通り、それに町の外と港をつなぐ大通りが三本。合わせて四本の大通りがこの町の一番賑やかな場所だ。石畳の広い通りには人が溢れ、喧騒が満ち溢れている。道端には日除けの天幕が張られ、店先では退役した軍人や水夫上がりの老人などが昔話に興じ、女たちは井戸端で魚売りを待っている。荷揚げを請け負う人夫、人足たちが酒を飲みながら仕事を探し、彼らの合間を縫って子供たちが走り回る。男の子たちはみな上半身が裸で、短い白い下穿きをはいているだけだ。港湾労働者たちもその日焼けした肌を惜しげもなくさらし、屈強な体をむしろ自慢するようにして忙しく働いている。

「賑やかだねえ」

クリフがきょろきょろとあたりを見回している。

「だろ? ここはルセールの一部ではあるけど、完全に独立した町だ。マイオセールがあんな状態でも、ここは元気を失いはしないのさ。昔、住んでたことがあるけど、暮らしやすい町だぜ。年中新鮮な魚介類は上がるし、女は綺麗だし」

「リュークはいつもそればかりだな」

エイルが呆れたように言うと、リュークが笑って返した。

「何言ってんだ、飯と女がこの世で一番大事なことだろ」

「あら、そんなこと言ったら……」

「ああ、女の場合は決まってる、飯と男が一番大事なのさ」

「もう、リュークったら!」

クレオも、リュークの軽口には思わず笑ってしまう。いまだに、ともすればふさぎこんでしまいがちなクレオも、リュークたちと笑い合っている時はあまり考え込まずに済むのだった。

「あそこが港だ」

町の東側は半円状に大きく開けた広場になっていた。北の大通りを抜けていくと、海が徐々にその姿を現す。エイルと双子は想像をはるかに超えて広いその水の広がりに絶句していた。湾曲に列をなす小舟や帆船、打ち寄せる波の音、どっと押し寄せる潮の香り。そしてどこまでもどこまでも、見える限り遠くまでつながっている水面には小さな波頭が白く、絶え間なく動く模様を形作る。その上にはどこまでも青い空が広がり、海との境界線は眩しくかすれて、海と空との二つの青が交じり合っていた。

「すごい……!」

クリフとクレオは同時に言って目を見張った。

「これが海か。砂漠の砂と、ここの水と、どちらが多いのかな」

エイルも驚きを隠せないようだ。シキは双子とエイルの様子を微笑ましく見守っている。クリフたちは大きな帆船や荷物が積み下ろしされる様子を見てはしゃぎ回った。

「港へ出るのは遠回りだったんだけどな、あいつらが海を見たいだろうと思ってさ」

前髪をかきあげながらリュークが言い、シキが頷いてそれに答える。

「北の山岳地帯出身のクリフたちにも、もちろんエイル様にも、またとない経験だろう。彼らの人生がこれでより豊かになるな」

「ははっ、そりゃ言い過ぎだ」

「そんなことはないぞ。彼らはお前ほど世界を知らない。知らない事を知るというのは、人間を成長させる。この旅が彼らにもたらしたものは計り知れない価値がある。少なくとも、俺はそう思う」

「そうだな。うん、俺もそう思うよ」

リュークは感慨深げに頷いた。

それから一行は広場を抜け、今度は町の北西部へと向かう大通りへ入っていった。北の大通りと同じくらい賑やかな場所である。人や馬、馬車が多く行き交い、商家が多く立ち並ぶ立派な町並みだ。

「このちょっと裏手のあたりに両替商があって……」

「両替商?」

「綺麗な言葉を使っちゃいるが、要は金貸しさ。商品の仕入れや造船、あるいは出来た船を買うのに大金が要るだろ? それを用立ててくれるんだ。ここの親父は裏の両替仕事もしてて、顔も広い。俺みたいなのも安心して利用できる店さ」

リュークが説明している間に、彼らはその店の前に着いていた。

「ヴィトはここの二階に住んでるんだ。いや、間借りって言ってたかな。まあどっちでもいいが。あ、こっちだ。裏の階段を上がるから」

そう言うリュークについて、細い路地から店の裏へ回り、階段を上がる。扉を開けると、中は半月形の居心地の良さそうな居間だった。以前、リュークがサーナを預けた部屋だ。本棚に囲まれ、床にも諸々の本がうず高く積みあがっている。エイルはジルクの部屋を思い出した。 リュークはいつもの癖で前髪をかきあげている。

「留守みたいだな。さーて、これからどうしたもんか……」

突然、クレオがおかしな声を上げた。その声にみなが振り返ると、本棚や積まれた本の隙間から、何枚もの紙切れが出てきているのが目に入った。紙は、まるで水が染み出るように、音もなく次々と出てきては部屋中に舞い始める。

「なん……っ!」

どこから出てくるのか、紙切れはあっという間に増え、彼らにまとわりついた。

「やだ! これ、なんだか、くっついてくる!」

「取れないよ!」

「シキ! シキ、何とかしろ!」

振り払っても振り払っても、紙片はまたくっついてきて、どうにも取れない。自由意思があるかのようにくっついたり離れたりする。人や動物が相手なら敵なしのシキも、剣を振り回しても仕方ないので困惑するばかりである。

「ヴィトだ。間違いない」

リュークが呟いた、その名前に反応したのか、部屋中の紙片がすっとその動きを止め、少しずつリュークに近寄り始めた。

「やっぱり。……ヴィト、ヴィトだな? 俺の名前はリューク。お前らのご主人の知り合いだよ、分かるか?」

ゆっくりと、確かめるようにリュークが言う。紙切れに向かって一生懸命言って聞かせている様子は、どことなく面白いものだったが、そのリュークの声に合わせて紙片が動き出すと、双子たちは感嘆の声を上げた。

「これ、魔法なんだ!」

「すごいわ」

「どうなっているんだ、どういう術法なんだ」

エイルも興味深げに見守っている。

「ヴィトは精霊使いだからな。これも多分、何かの精霊に頼んでやってるんだと思うぜ」

紙片はひらひらと踊るように動きながら一箇所にまとまり、やがて一枚の紙になって動きを止めた。リュークが触れようとすると、それは急に力を失い、床にひらりと舞い落ちる。リュークが拾い上げた紙の表面には、いつの間にか文字が浮き出ていた。

『塔へご案内しましょう  扉を開けて外へどうぞ』

紙を裏返しても、こすっても、透かしても、それ以上の事は何も起こらないようだった。

「どうする?」

「言いなりになるのは多少しゃくだな。だが、他にしようがない」

シキが言い、全員一致で入ってきた扉を振り返った。 半月形の部屋には湾曲した壁と平らな壁があり、その平らな壁の中央に扉がある。取っ手に手をかけると、この部屋へ入って来た時と同じように軽く開いた。その向こうには先ほど上がってきた階段……ではなく、同じような半月形の部屋があった。驚いた彼らは思わずその部屋を覗き込む。恐る恐る踏み込んだその部屋には、家の主人が使うのだろうと思われる椅子があった。奥には小さな台所と食卓があり、部屋には誰の姿もない。一行は呑まれるように新しく現れた部屋に入り、扉を閉めた。と、その瞬間、扉とそれに続く壁が消え去ってしまったのである。先程の部屋と彼らが入りこんだ部屋とは、いつの間にか一つの丸い部屋になっていた。

「どう? 面白い趣向だったと思うんだけど」

背後から柔らかな声がし、彼らはまた大急ぎで振り返った。

「きょろきょろと忙しそうだね」

誰も座っていなかったはずの椅子に、青年が腰かけている。丸い眼鏡をかけ、清潔な服に身を包んだ青年は、彼にしては珍しく声を立てて笑った。

「ヴィト、お前って本当に性格悪いな」

「そう? 楽しんでくれると思ったんだけど」

リュークは「まったく」などと呟きながら髪に手を突っ込んでいる。ヴィトはゆったりとした椅子から立ち上がり、初顔の四人に向かって一礼した。いまだに何が起こったのか分からないクリフたちは、目を白黒させて立ちすくんでいる。

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