Legend of The Last Dragon −第八章(6)−

「一つ誤解されているようだが、私は人々を苦しめるつもりではない。複数の国があり、覇権を争う種を残しておくのは憂慮すべき状態だ。大陸は統一され、適切に統治されるべきだ。私にはその力がある。そして最早、竜の手助けは不要だ」

「クリフ、矢を……」

背中にエイルのささやき声を感じ、クリフは体を固くした。背後に強い熱気がある。それまで静かにしていたエイルは、その気配を感じさせなかった。だが今、水色の髪の少年王子は大きな力を持ってクリフの背後に隠れ潜んでいたのである。

「動かず、黙ったまま、ゆっくり……私が叫んだら、放つんだ。なるべく早く、多くの矢を……もう少し……」

エイルの声は切羽詰っている。クリフはそろりそろりと腕をあげ、狙いを定めた。クラインは話を続けている。

「君らには力がある。解放しては今後の憂いとなりそうだ。私の大陸統治を見せられないのが残念だが、眠りについてもらおう。……しかし、分からないな、竜というものの生態は。まだ死なないか。どこかに急所があるのか……」

「クリフ!」

エイルの声がし、クリフは反射的に矢を放った。目に見えぬ壁が矢を防御する――そう思いながら、けれどクリフは次々と矢を番え、放ち続けた。矢は続けざまに空を切って飛び、そしてそれは炎の蛇へと姿を変えた。クリフの背後から姿を現したエイルが両手に力をこめて詠唱を続けている。

「無駄なあがきをする」

クラインはせせら笑い、反撃のための呪文を唱え始めた。

――そうはさせない! 

クレオは顔のすぐ下にあるねっとりとしたものを、気持ち悪さに耐えて食いちぎった。そしてそれをクラインの顔に向かって吐き出す。それは、小さな抵抗だった。ねっとりとしたそれはクラインの頬につき、すぐに落ちた。自由になるためには無駄な抵抗と言わざるを得ない。だが、クラインの意識を一瞬そらす効果はあった。

「ちっ」

気が散って呪文が途絶え、クラインは再度反撃に出た。だがその時には炎と化した蛇が防護壁に突き刺さっていた。最初の数本はすぐに燃え尽きる。呪文が終わる前に、クラインの術法が発動する前に、防護壁が破れなければ……エイルの切なる願いは、聞き届けられた。何本目かの蛇がクラインの防護壁を食い破り、中へ侵入したのである。

「シキ! 剣を投げろ!」

エイルの命令にシキは瞬時に反応した。失った短剣以外にも身につけていた短剣を三本、続けざまに投げる。昔、旅の芸人一座にいた頃、それを見世物にしていた事を、シキはほんの一瞬の間に思い出していた。……きっと当たる。シキは確信した。そして、それらはシキの思惑通り、矢の蛇たちが開けた穴に吸い込まれるように飛び込み、クラインの詠唱が終わる前に、その体に突き刺さった。

「おっ……お前にそんな力が……」

クラインはのけぞったまま、エイルを指差した。

「お前の身の上話の間に準備していたのだ。分からなかったか? 有能なお前にも分からないことがあるのだな。……我々の力を見くびった、それがお前の敗因だ。さあ、アルヴェイス!」

その声に、双子とシキは思わずエイルを注視した。エイルが、竜に呼びかけたのである。アルヴェイスと呼ばれた竜は、その声に反応するように渾身の力を振り絞った。クラインは、己の頭上に大きな黒い影が映るのを感じた。だが時既に遅く、振り返るクラインの上にアルヴェイスの巨体が倒れこむ。クラインの叫びは竜の体が地面に叩きつけられる轟音にかき消された。竜の体が、次いで長い首と、翼が落ち、あたりの小石や埃が巻き上がる。双子は目を見開き、目の前の惨状を見つめていた。上空には重く暗い雲が広がっていたが、その隙間からハーディスの光が差し込んでいる。塵(ちり)や埃がその光に舞う様は、まるで小さな妖精が踊り狂っているようにも見えた。

……昔。

それは遠く、遥か昔のこと。

砂漠の砂丘に、繁栄を極めた王国があった。王国は長い間、平和そのものだった。敵はいなかった。彼らは優れた頭脳と、優しい心を持ってその地に君臨し続けていた。

だがある時、敵が攻めてきた。敵は小さかった。だが、その欲は果てしなく強かった。情け容赦なく、王国の者は次々と殺された。

城の奥深く、王と王妃、それに王子や姫たちは恐れに慄(おのの)いた。

老術者が言った。

「皆様に術をかけます。長き眠りに……」

目覚める時は分からない。目覚められるかさえ定かではない。だが、敵の手を逃れるにはそれしかなかった。術者たちによって王たちの部屋は氷漬けにされ、封印された。 王子は、深い眠りにつきながら思った。

――どうしてこんな事になったのか。私たちが何をしたというのか。私たちはただ、平和に暮らしていただけなのに……。

――これが、私の、物語だ。

竜は、ゆっくりと言った。それはもちろん、低い唸り声にしか聞こえない。だが、それにエイルが答えた。

「そうだったのか」

――私の言葉が、分かるのだな。

「ああ。先ほど、すべての力を使い果たして術を行ったが、その後で、頭の中が鮮明になった。今は、貴方の言葉が分かる」

――レノア王家には、生まれつき竜の言葉が分かる者が生まれる事がある。我々の王国が健在だった頃も、レノアという国はそうだった。クラインは、血統主義など馬鹿馬鹿しいと言っていたな。だが、レノア王家にはそれなりに意味があったようだ。お前の、眠っていた能力は、今ようやく覚醒したのかも知れないな。

「竜は……人間に滅ぼされたのだな」

エイルが苦しそうに声を絞り出す。アルヴェイスはゆっくりと赤き目を閉じた。さきほどクラインがつけた傷は、いつの間にかふさがり、出血も止まっている。

――それまでは、互いの領域を守り、平和に過ごしていたのだ。だが、竜の鱗や、硬い皮が、人間同士の争いに不可欠だったのだろう。それに気づいた人間たちは、あっという間に竜を殺し尽くした。今よりずっと魔術の力が強かったのだ。彼らの本気の攻撃に、抵抗する術はなかった。私は家族とともに氷漬けになり、長い眠りについた。いつの日か目覚める事を、そして王国を復興させる事を夢見て……。だが目を覚ました時、家族はみな死んでいた。どうやらクラインが目覚めさせようと試みて失敗したようだ。生き残っていたのは私だけだった。

話が分からないシキと双子に、エイルが要約を伝える。クレオは口を覆い、クリフは怒りに震え、シキは眉根を寄せてその話を聞いた。アルヴェイスは目を閉じたまま、その生涯を語った。

――現在の人々は、ただ竜を悪者にして空想的な童話として伝えていた。私は怒り、私を覚醒させたクラインの申し出に従って人間に復讐することを誓った。だが、あいつは私を利用していただけだった。それを知った今、人間への怒りはもう……薄れた。人間をすべて殺して復讐を遂げたとしても、竜の王国が復活するわけではない。復讐は、また別の怒りと悲しみを呼ぶ。人間を殺しても、竜族のみなは帰ってこない。人間を殲滅しても、もはや何の意味もない。いや、分かってはいたが、怒りが私を狂わせ、あいつの言葉が私を踊らせていたのだろう。

「人間を代表する立場ではないが、私は人間の一人として、竜族への仕打ちを恥じる。詫びても済むものではないが……」

――いや、これでいいのだ。その気持ちがあるだけで嬉しい。眠りについたあの時から今まで、一度も私は喜んだ事がない。だが今初めて、私は嬉しいと感じたのだ。素晴らしい事ではないか。そして少年よ、お前たちは『運命の者』、救世主なのだ。だから、これでいい。だが……世界を救うというのは難しいものだな。お前たちの世界は救われた。だが、クラインにとっては破滅だ。そして、竜の世界ももう戻っては来ない。

四人は、アルヴェイスがゆっくりと紡ぎ出す言葉に耳を傾けていた。舞い上がった埃や砂が徐々に治まり、柔らかなハーディスの光が竜の巨体と四人の影を作っている。あれほどに恐ろしく見えたアルヴェイスの黒い鱗は、艶やかで、幻想的なまでに美しかった。

――何が正しいのか、何が正義か、それはその者の立場によって変わる。竜が人間の世界を滅ぼすことも、人間が竜の世界を滅ぼすことも、どちらかが善、どちらかが悪なのではない。みな、それぞれに自分の正義を貫いて生きるしかないのだ。私は竜族として、怒りや悲しみを人間にぶつけようとしていた。お前たちは滅ぼされんとして私と戦い、また人間同士でも戦った。絶対的な悪、また絶対なる正義など、そこには決して存在しない。

エイルが静かな声で呟く。

「獅子は兎を殺し、餌にする。食わねば生きてゆけぬ。だが、兎から見れば死そのもの。その事自体が善なのか悪なのか、誰も決められない。それは……世の理(ことわり)なのだ。違う立場の者が、どう感じるか、それだけの事。クラインにはクラインの、アルヴェイスにはアルヴェイスの目的があった。どちらも、それを全うし得なかった。それを善悪で判断するのは意味がない。あるとするなら、後世の人々が勝手に判断する事が、歴史として語り継がれるだけだ」

――そうだ。竜がいつの間にか悪の象徴になったように、事実とは違っても、後に残った人々が好きに判断するものなのだ。歴史というのは勝者が作る。……小さき者よ。お前たちはその世界をますます繁栄させるが良い。私はもう、怒りに燃えてはいない。私は、自分が最後の生き残りになるとは思わなかった。竜族の最後を、この目で確かめる事になろうとは、想像だにしなかった。だが……いいものだ。最後に素晴らしい者たちと出会えた。私にとっては、これが真実……。

「アルヴェイス」

エイルの声は僅かに震えている。アルヴェイスはその大きな目を開いた。負の感情が微塵もないその瞳は、深い湖水のように透き通り、限りない優しさに満ちている。

――弓使いの少年、そして少女よ。お前たちはクラインに向かったその勇気をもって生きよ。勇猛なる剣士よ。お前はこれからも強き心を持ち、少年を助けよ。エイル。賢き少年よ。お前は良い統治者になるだろう。自分の信念を貫いて生きるがいい。さあ、私は……寝るとしよう。剣士よ、大剣を手にしなさい。

エイルがその通りに言うと、シキは大剣をその手に握った。双子は悲しみをこらえ、そのゆっくりとした動作を見つめている。

――私の喉に、特に固い三枚の鱗があるだろう。……そう、そこだ。その中心部分に剣を突き刺すのだ。そこが私の急所だ。クラインには分からなかったようだがな。

そう言うと、アルヴェイスはその大きな口を広げ、笑って見せた。

しばらくの後。

アルヴェイスの首から剣を抜いたシキは、近くの地面にそれを突き立てた。

「立派な墓標ではないが……飾り立てる意味もなかろう。安らかに眠れ」

そして彼らはその場を立ち去った。二度と訪れる事はないだろう。空はいつの間にか晴れ渡っていた。いつもと変わらぬハーディスの柔らかな光が、この世で最後の竜の亡骸を照らし出している。

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