Legend of The Last Dragon −第八章(5)−

部屋の中はこれまでとは様子が違った。洞窟ではあるが、壁や床は加工され、磨かれている。扉の向こうには一つの部屋が造られていた。名工ヴィーラントが造らせたのだろう。長い、長い時の流れを感じさせる部屋だった。立派だが狭い部屋の一角には台座が作られ、その上に大剣が置かれている。

「シキ」

エイルの声は固く、緊張していた。シキは剣の前に進み出ると、恐る恐る手を伸ばす。台から外すと、ずっしりとした重みが手に伝わった。クレオが紅潮した顔でクリフと顔を合わせ、クリフは妹の視線に応えて頷くと、興奮した声を上げた。

「ようやく、竜を滅する剣を手に入れたんだ!」

「困りますね」

それは、血も凍るような声だった。寒気を感じて振り返ったクレオは、そこに長身の男を見た。

世の中には、悪人と呼ばれる者がいる。クリフとクレオは奴隷商に売り飛ばされ、競売にかけられた時にそいつらを見た。燃えたぎるような欲望を秘め、だがどこまでも空虚でうつろな瞳。その恐ろしさは今でも思い出せる。彼らも生まれたての赤ん坊のころは純粋で無垢だったはず……だが、それすら信じられないほど、彼らは悪に身を染めていた。善の心など、遠い昔にどこかへ置き去りにしてきたのか。己の欲望だけに駆られ、金や名誉、あるいは優越感などに酔い、人を人とも思わぬ所業を平気な顔で繰り返していた。この世界には純然たる悪というものが存在するのだと、クレオはその身をもって知ったのだった。

――この瞳は彼らのものと違う。

クレオはそう直感した。氷のような冷たさを湛えた顔に、こちらを静かに見つめる双眸。そこには絶大なる自信と、相反してもだえ苦しむような哀しみが交錯している。そんな気がした。

だが次の瞬間、クレオはやはりその直感は間違っていると思い直した。男の瞳に冷酷な光がきらめく。シキの手にした剣に、その視線がひたと据えられる。

「封印を解いてもらったのは助かりました。当面の手立てがなかったので放置していたのです。ですが、それは渡してもらいましょう。交換条件は無事に生き延びる、というのでいかが」

「何を言うか!」

エイルの声で我に返ったクレオは、男を睨みつけた。

「竜を使って何を企んでいるのか知れないけど、これは絶対に渡せないわ!」

「そうか、別に交換などすることはないのだな。私としたことが間抜けな事を」

男はエイルやクレオの言葉など聞こえもしなかったかのように呟いた。

「全員殺してから拾えば良い」

言うが早いか、男は反動もつけずに動いた。余りの早さにクレオは男が急に目の前から消えたのかと思ったくらいである。だがクリフとシキは身構えていて、男の動きに反応した。シキがエイルを、クリフがクレオを背にかばう。クレオはクリフの肩越しに、シキが剣を抜いたのを見た。竜殺しの剣は大き過ぎて振り回せないと思ったのか、短剣を手にしている。次の瞬間――その剣が光り、弾けた。

「!」

シキが右手首を抑え、膝をつく。クレオは思わず走り寄ろうとした。

「クレオ、駄目だ!」

クリフの声に振り返る間もなく、クレオは体ごと何かに引きずられた。恐ろしい感覚と同時に、全身がきつく縛られるのを感じる。鈍い痛みが全身を襲う。声が出ない。すぐ横に男がいる。だが体を動かす事は出来なかった。

「さて、洞窟を出ましょう。外にアルヴェイスが……竜が待っていますよ。あなた方も見たいでしょう」

何事もなかったように男は言った。男の、レノアの宰相クラインの術法によってクレオは地面から浮き、ふわふわと移動させられる。抵抗は無駄だった。身をよじっても、体を包むねっとりとしたものはどうにも取れない。自由を奪うそれが何なのかも分からない。クレオは囚われの身から脱却を許されず、クレオを人質に取られた一行は黙って追従するしかなかった。怒りと悔しさを滲ませて、クリフは息が荒い。シキは言われた通りに大剣を手にし、エイルは思案深げな顔でその後についていく。

洞窟を出ると、外の明るさに目がくらんだ。思わず固く閉じた目をゆっくりと開けていくと、クリフたちの目に黒々とした鱗状の壁が映った。壁を伝って見上げ、ようやくそれが竜の巨体であると理解する。

「竜……!」

「そう、これがアルヴェイスという名の竜。我がレノアのために働いてくれた。……だが、もう用無しだ」

クラインの言葉に竜が反応し、恐ろしい唸り声を上げた。双子は恐怖に固まっている。シキですら身動きが取れない。

「どういう意味だと言われてもな。その通りの意味だ。ああ、私が心から敬服して仕えていたと思っていたのか。愚かな事だ。所詮は動物の類だな。長き眠りから起こしたのは、我が野望に利用するためだ。そうとも、お前の力は絶大だったよ。だが、もう用無しだ。ああ、それはもう言ったか。では」

クラインはそう言うと素早く両手を掲げた。両方の掌を内側に向かい合わせ、口早に呪文を唱える。竜は怒り凄まじくといった様子で首を振りあげ、その口中に炎を蓄え始めた。

「遅い」

クラインの掌の間に光の渦が沸き起こり、それはすぐに大きなうねりへと転じる。そして竜が口を開ける寸前に、クラインはその紫の光を竜へと向かってほとばしらせた。光が竜の頭上で弾け、竜の巨体が吹き飛ばされる。あわや崖から転落という寸前で、竜は大きな翼を広げて、かろうじて踏みとどまった。だが、光は消えずに竜の目を攻撃する。大きな咆哮をあげ、竜は体をくねらせた。

「さすがだ。これでも致命傷にならないとは。やはりあの剣が必要だな」

シキはしっかりと手にしていたつもりだった。だがその大剣は、恐ろしいほどの力でもぎ取られクラインの元へと飛んだ。

「おお、これは重い。私の手では扱えないな」

死にかけている竜と青ざめた顔の一行を横目に、クラインは楽しそうですらあった。紫の光は激しい音を立てながら、竜を攻撃し続けている。シキは長剣の柄を握りしめたが、やはり何も出来ぬと悟っていた。口惜しさに体中の水分が沸騰するかと思う。自分が無力である事を、シキはこれまでになく呪った。

クラインは見えない手で剣を操り、竜に切りつける。何箇所もの切り口から赤黒い血が噴き出し、竜はさらに咆哮を轟かせた。バラミアの空に、竜の苦しみが響く。傷はどんどん増え、噴き出す血で大地が染まっていく。双子やシキの頭上にも竜の血が降りそそいだ。クラインはどういう手段を用いてか、全く汚れていない。クリフが悔し紛れに放った弓も見えない壁に突き当たり、力なく地面に落ちた。

そして、竜は死ななかった。いつまで経っても。憎悪と、悲しみと、痛みと、苦しみと……ありとあらゆる負の感情をその目に浮かべ、だが竜は生きていた。

「やれやれ、きりがないな」

「いい加減にしろ!」

クラインが嘆息した時、ついに叫んだのはクリフだった。恐ろしい敵であるはずの竜だったが、その苦しみを目にして、クリフは目に涙を溜めていた。

「殺すなら、早く殺してやれよ! こんな……こんな……!」

「面白い事を言う。君は竜を可哀想だと言うのか? まあ、私も早く殺したいのは山々だが。急所が分からんのでな。首を落とせるほどに大きな剣でもないし」

「いくらなんだって、こんなの、ひどいわ……」

囚われのクレオも、息苦しそうに呟く。だがクラインは気にも留めていないようだ。

「しばらくすれば失血死するかな。……暇な間、おしゃべりでもしていようか」

「下らん事を」

シキが吐き捨てる。それにも構わず、クラインは話し出した。

「幼いころ、夢を見たかい? 大きくなったら何になる、というやつだ。他愛ない、子供の夢。私もやったよ。生まれた国の、レノアの王になりたいという夢を描いた。だが、笑われた。レノアは血統主義だからな。有能な者でも力を発揮できない。無能でも王位につける。何のための国だ。国民を平和に導き、正しい統治をするのが王の責務だと言うのに、王の息子というだけで王になるとは。馬鹿げていると思わないか? 血が大事なのか? 王の息子であるという事が、何の役に立つ。無能な王が国を滅ぼしたら誰が責任を取る。国とはなんだ。人とはなんだ。政治とは、社会とは、平和とは? 善悪とは? 正義とはなんだ?」

立て続けにまくし立てるクラインに対し、エイルは黙っていた。双子は聞く耳を持たぬという態度だったが、エイルはその言葉の意味を、深く考えていた。そして、両の掌を強く握った。クラインは続ける。

「私はごく一般的な庶民の生まれだ。だが、明らかに周囲の人間とは違った。力があり、魔術の素地もあった。学べば学ぶだけ私は有能になった。だが、就ける仕事はたかが知れている。階級制度のせいだ。そんな私が国を統治するためにはどうしたらいいと思う? 反乱を起こす? 準備には時間がかかる。富、人手、後ろ盾……多くのものが必要だ。国のあらゆる地方はもちろん、城下、そして城も大いに乱れる。後始末は大変だ。そして、良き王に対して反乱を起こした者は、例え強くとも国民の信頼を得られん。損失が多過ぎる。私は皆と同じように新兵として城に入っただけさ。上官を暗殺し、階級を上げ、上層の貴族を数人抱えこんだ。弱みに付け込むか、なければ作る。笑ってしまうほど簡単だった。そしてそいつらをさらに昇格させるために、必要な職を空ける。醜聞の一つでもあれば簡単に失脚する。噂一つで席が空く。誰にも気づかれなかった。実に容易(たやす)かったよ。次に、病を流行らせた。流行り病の素は私が作ったのだ。それほど難しくはなかった。レノアを封鎖させ、王宮を中心に振りまいた。グリッド王は割とすぐに死に、王位継承権を持つ不要な者もみな死んだ。残ったのは私が操りやすい凡庸な男だけ。そう、その頃だったな、あれを見つけたのは」

紫の光にさらされ、苦痛の呻きを上げ続ける竜に一瞥をくれる。

「氷漬けになっていたアルヴェイスを起こすには、さすがに少々苦労した。その言葉を判別するのにも。……後は大体知っているかな? 宰相の私がレノアに大陸制覇させるまで、予定では半年だった。少々過ぎてしまったな」

「そのために……自分の野望のためだけに、竜を、利用したの……?」

クレオが弱々しく問う。クラインは鷹揚に頷いた。クリフが噛み続ける唇には血が滲んでいる。彼はいまだ弓に矢を番えていたが、放っても無意味だと分かっていた。

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