LL index≫第二章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)
「亭主、じゃあこのクナートをいくつかもらおうか。それと干し肉と……」
シキが買い物をしている間、エイルはシキの服を握って離さなかった。普段の威勢のよさはどこへ行ったのか、まるで大人しい子猫のようにうつむいている。王宮での生活に慣れている少年にとって、商人たちや行きかう人々はまるで別世界の人間のように思えるのだった。城の中で会う者は、エイルの顔を見れば必ず頭を下げ、膝を折って挨拶をしたものだ。それがここではどうだろう、エイルのそんな常識はまったく通用しない。多くの場合、人々の視界にも入らないようだ。例え相手にされても、彼らはエイルを町の少年と同じように扱う。冗談を飛ばし、大声で笑い、がさつな手で自分に触ろうとさえする。エイルには我慢がならなかった。
八百屋の隣の店は、大きな麻の袋をいくつも地面に並べていた。袋には、様々な穀物や木の実がぎっしり入っている。細かい粒のようなものあれば、茶色で細長いものもある。赤くて大きなものもあるし、紫がかった先のとがったものもある。また、香料も扱っているようだった。机の上に置かれたいくつもの皿に、さらさらとした粉状のものが綺麗に山にしてある。シキはここでも買い物をする事にした。
「スクをもらえないかな。出来れば筒に入れて欲しいんだが……」
「お、兄さん、長旅かい?」
「ああ恐らくな。そうなれば、スクは欠かせない」
「シキ、スクって何だ? 何でシキはそんな事知ってるんだ?」
エイルが見上げる。シキはそれには答えず、微笑んで見せただけだった。
スクという穀物は、乾燥させて粉状にしておけば非常に長く保存できる。また、再び水分を吸うと膨らむ性質があるので、スープに混ぜて食べると、少量でも腹持ちがいいのだった。レノアではそれほど有名な穀物ではないが、旅慣れている者で、スクを知らない者はいないだろう。西方、タースク地方で一年中作られている穀物だ。
スクを木筒いっぱいに詰めてもらい、次の店を探す。旅に出るなら服も必要だ。寝袋代わりにも風除けにもなる大きな外套、砂や風から目を守るためのつばの広い帽子、暑さや寒さに強い山トカゲの上着などは欠かせない。そういったものを扱っている店は、今このあたりでは一軒だけのようだ。他の店とは違い、それなりに立派な店構えである。木材を積み上げて風や雨でも問題ないようにしてあり、なかなか考えられた造りになっている。
「いやぁ、締め出し食らってから長いんですよ、うちは。もう一ヶ月ほどレノアに入れるのを待ってる有様でさぁ」
と、店の主人は言う。禿げ上がった頭を撫でて、首をひねった。
「まったく、どうしたんでしょうねえ、レノアも。兵士はみぃんな横柄だし、グリッド王はいつもならきちんとおふれを出しなさるのに、今回はまったく音沙汰なしだ」
「何があったか、誰も知らないようだな。話を聞いても、みんな首を振ってばかりだ」
「ええ、私らも何にも分かんないんでね、困っとるんですよ。ただね、時たま兵士が出入りしてるようですよ。こないだの夜……なあおい、いつだったかね」
机の後ろに座り込んでいた女に声をかける。女が肩をすくめるだけなので、主人は悪態をついたが、再び話し始めた。
「えぇと……ありゃ確か十日ほど前ですよ。兵士が大勢、大きな荷物と一緒に城へ入っていくのを見たんでさぁ。ありゃあ一体何をしてたんだかねぇ……」
「レノアに、何が起こっているのかな。……少なくとも、反乱ではなさそうだな?」
「そりゃないですよ、反乱が起きりゃすぐわかりまさぁね。城壁の中はいたって静かなもんだ。でもねえ、町の人はどうしてんでしょうね。買い物だってろくに出来やしないと思うんですよ。いえね、私は思うんですけどね……」
それから後は、店主の世間話が延々と続いた。彼の想像とおしゃべりはとどまる事を知らないようだった。しまいにはシキも閉口してしまって、なんとか逃げ出したいと考えるようにまでなっていた。さっさと買い物をして店を出たいのだが、服をたたみながら、勘定をしながら、店主の話はいつまで経っても終わる気配がなかった。もはやその大半は、店の愚痴や客の噂話である。エイルは、呆れ顔を隠す事もしていなかった。うろうろしたり、店の外を眺めたりしていたが、しばらくすると我慢が出来なくなったのか、シキの服を引いた。
「シキ、もう行こう。私は飽きた」
その言葉に店主の口があんぐりと開く。シキはこれを幸いとばかりに荷物を抱えると、店主の言葉を避けるようにそそくさと店を後にした。外に出ると、既に夕闇が近づいている。人々があちらこちらで火を焚き、夕飯の準備を始めていた。
「困りましたね、殿下。これでは今から旅立つというわけにも行きませぬ」
「下らぬ話をいつまでも聞いているからだ」
「はは……。あまり金を遣いたくはないのですが、近くに宿がないか聞いて参ります」
「私も行く」
道ゆく人を捉まえて訪ねると、東へ少し行ったところに旅人の宿があると教えてくれた。今夜はそこに宿を取るしかなさそうである。
ジョゼーのところへ馬を引き取りに行くと、商人たちも夕飯の支度に追われているようだった。聞くと、ジョゼーは馬の手入れをしている、と言った。確かに、派手な布を巻いたジョゼーの頭が、馬の後ろに見え隠れしているのが見える。
「ベルカの調子はどうだ?」
「おお、シキじゃないか。戻ってくるのが遅いから、心配したよ。ベルカってこいつかい? 絶好調だよ、夜通し走ったって大丈夫だろう」
「それは有り難いな。だが今夜は『烏と木馬亭』に泊まる事にしたよ」
「ああ、それはいいな。もうすぐ夜になるし、出発は明日にしたらいい」
「ジョゼー、ここらで情報を集めるならどこがいいかな。なるべく大きな街がいいだろう?」
「そうだなあ、一番大きな街といったらやっぱりイルバだろうな。あそこはたくさんの人が集まるから、色んな話が聞けると思うぞ」
「イルバ……街道沿いの街か?」
「なんだ知らないのか? 有名な町だがなぁ。そうさ、街道を南に下っていきゃすぐわかるよ。馬で行くなら……三日もあれば着くだろう」
「そうか、ありがとう」
小さくまとめた荷物を鞍の両側につるすと、エイルをひょいと抱き上げてベルカの背に乗せる。シキは左足を鐙(あぶみ)に乗せると、軽く身体をひるがえしてその後ろにまたがった。
「色々と助かったよ」
「いやぁ、こっちこそ思わぬ儲けが出たよ」
ジョゼーはそう言って、日に焼けた顔で笑った。旅の安全を祈るジョゼーに別れを告げ、シキはベルカの腹を軽く蹴った。
エイルはまだ馬を操る事が出来ない。一人で馬に乗る必要性などなかったからである。たまに城の外へ行く時などは馬車であったし、武術の訓練などで練習する機会もないではなかったが、エイルは大の苦手でさぼってばかりだったのだ。馬を操ってみたいと思わないでもないのだが、今のところはこの大きな動物に近寄る事も出来ないのだった。シキはそんなエイルを両腕の間に挟みこむようにして、ベルカを歩かせる。
「これからは王宮にいた時と違い、きっと色々な事がありますよ。ご覚悟を、殿下」
「うん、分かってる。……でもシキがいるからな、平気だ」
そう言うと、エイル=ダルク=レノア殿下はその愛らしい顔に微笑を浮かべて振り返った。王子を守る青年騎士は優しく頷いて見せる。馬は整備された広い街道を外れ、一晩の宿を求めて、夕闇迫るレノアの大地を進んでいった。
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