Legend of The Last Dragon −第二章(1)−

双子が失意の内に北へと向かった頃、シキとエイルは街道沿いの露店を覗いていた。本格的な旅具を揃えるためである。彼らはまず、馬を手に入れなければならなかった。しかし馬は誰でもが持っているわけではない。街に入れば旅人相手に馬を売る商人もいるが、何しろ今はレノアに入る事が出来ないので、隊商などに譲ってもらえないかどうか頼むしかなさそうであった。

「すまないが……」

シキが話しかけたのは、人の良さそうな顔をした一人の商人である。そこらには隊商の商人たちがいくつも天幕を張っていたが、その男は、そういった商人の群れの一つにいた。商人たちの輪から外れたところで、道端に腰を下ろしている。特に何をするというわけでもなく、頬杖をついて他の多くの人々と同じようにレノアに入れるようになるのを待っているようだ。ジョゼーと名乗ったその男は、年のころは三十五、六といったところで、日に焼けた肌は随分と痛み、短くばさばさした髪も滅多に手入れなどしていないだろうと思われた。いかにも朴訥(ぼくとつ)といった風体だ。

「そうか、馬が欲しいのか」

「長旅になるかも知れないからな。馬がないわけにはいかないんだ」

「ま、そうだな。俺たちゃレノアが到着点だ、馬はもう当分要らねぇから、譲ってやらん事もないが……。ただそっちの子が乗れるようなちっこいのは、残念ながらいないぜ」

「俺の馬に乗せるから一頭でいい。いくらだ?」

「うーん、そうだなあ、金貨二枚と銀貨三十……いや五十ってとこかな」

「それほどいい馬なのか? 金貨二枚でいいだろう」

「高価なレノア金貨ならそれでもいいぜ。まあまずは見せてもらおうか」

シキは金貨の袋から一枚を取り出して相手に確認させた。ジョゼーはそれを手にとり、ふと金貨の表面に目を留めて眉をひそめた。溜息を吐きながらシキに金貨を突き返す。

「なんだこりゃ」

「どういう意味だ?」

「こんなの使えるかってんだよ」

「そんな事は……」

「レノアの金貨にゃあ王様の顔と名前が彫ってあるって決まってるだろうが。エイクスってなあ、いつの王様だい?」

ジョゼーの言葉に、シキははっと我に返った。エイルがくってかかろうとしているのを、必死で押しとどめる。自分の父がエイクス王であって、金貨にはその父王の名が彫ってあるのだ、などと主張されたらたまったものではない。

考えてみれば当たり前の事だ。シキは己の迂闊さを責めた。今は七八四年。金貨に彫ってあるべき王はグリッド王であり、エイクス王の名が彫りこまれた金貨が通用するはずがなかったのである。単純な事ではあるが、しかし彼らがその事に気づかなかったのも仕方のない事だった。いまだに彼らは、自分たちが時を超えたという事実を認識しきれずにいたのである。

しかしシキは慌てた様子も見せず、冷静にその場を取り繕った。相手はシキたちの違和感に気づいた様子すらない。

「すまないな、古いものを間違えて持ってきてしまったようだ。馬は要らない、邪魔をしたな」

軽く手を上げて歩き出そうとした、その背中ごしにジョゼーが声をかけた。

「兄ちゃん、ちょっと待ちなよ。……その金貨、何枚あるんだ?」

「聞いてどうするつもりだ」

「いやその金貨、誰も受け取っちゃくんないだろ?  俺が引き取ってやろうかと思ってな」

ジョゼーは、悪い人間ではないようだった。話し方はぶっきらぼうで、愛想も良くはなかったが、笑うと日焼けした顔に白い歯が目立つ。彼はちょっと肩をすくめ、悪気があって言うんじゃない、という事を仕草で示した。

「嫌なら無理にとは言わねぇよ。……実はよ、知り合いに鍛冶屋がいるんだ。奴のところへ持ってけば、炉で金貨を溶かしてくれると思ってな。そうすりゃ延べ棒にして売れるだろうさ」

「なるほどな」

「随分古い金貨みたいだけどよ、保存がいいんだな、綺麗なまんまだ。質も良いしな。それにあんた、悪い奴じゃなさそうだ」

シキの「それはどうかな」という言葉にジョゼーは声を立てて笑った。シキも一緒になって笑い、二人はまるで古い友のように肩を叩きあった。こうして彼らは馬と、現在使う事の出来る貨幣をいくらか手に入れたのである。

ジョゼーの馬は気性のよい牝馬で、おっとりとした性格だった。「素直そうだな、よろしく頼む」とシキがその首を優しく叩いてやると、鼻を鳴らして擦り寄ってきた。エイルがベルカと名づけたその馬は、一時ジョゼーが預かってくれる事になった。旅支度を整えたら戻ってくると約束し、シキたちはその場を離れた。

通常であれば、レノアの城下町に入らなければ店はないはずだった。街道に店を出す事は禁じられている。ずっと南へ行けば、街道沿いにいくつも町はあるが、レノアの城下町付近の街道に店はないはずなのだ。しかし不幸中の幸いと言うべきか、今はレノアに入れない商人たちが、街道の脇にいくつも天幕を張っている。それらを見てまわれば、大抵のものは揃ってしまいそうだった。

最初に入った店は、濃い茶に染められた分厚い布を、地面に突き刺した杭の上に乗せてあるだけの簡素な作りだった。大きな台車の上には、色とりどりの野菜や果物、干し肉などが並べられている。夫婦者がその脇で手を揉みながら客を寄せていた。

「さぁさぁ、新鮮な果物と野菜だよ、レノアじゃ取れない珍しい果物もあるから見てっておくれ!  南国はルセール特産、ピークはいかが?  ミコルもあるよ!」

「お安くしとくよ、どうだいひとつ!  試しにかじってごらん。美味いよ、このクナートは!」

威勢のいい声が頭の上から降ってきて、緑色のごつごつとしたものが勢いよく突き出される。エイルは突然現れたそれにどう対応していいかわからず、たじたじとなった。シキが前掛けをした男の手からクナートを受け取り、右腰の後ろから短剣を抜く。

「ありがたく頂こう」

言いながら器用に皮をむいていく。すると中からはつぶつぶとした黄色の果肉が現れた。それをエイルに手渡す。エイルはそれを受け取ると、思い切ってかぶりついた。果汁が滴るようなそれは、ほのかに甘い。

「どうだい、美味いだろ」

にんまりと笑う男に、エイルは黙って頷いた。

「はっはぁ、恥ずかしいか?  可愛い顔してるじゃないか、まさか女の子じゃないだろうな?」

「無礼な! 私は男だ!」

「こりゃ失礼、だぁーっはっはっは!」

亭主が下品な声をあげて笑う。エイルは唇を尖らせて顔を背けた。その仕草は、ともすれば高慢と取られそうなものだ。しかし彼の可愛らしい表情が、他人を嫌な気持ちにさせる事はなかった。

「亭主、じゃあこのクナートをいくつかもらおうか。それと干し肉と……」

シキが買い物をしている間、エイルはシキの服を握って離さなかった。普段の威勢のよさはどこへ行ったのか、じっと黙ってうつむいている。王宮での生活に慣れている少年にとって、商人たちや行きかう人々はまるで別世界の人間のように思えるのだった。城の中で会う者は、エイルの顔を見れば必ず頭を下げ、膝を折って挨拶をしたものだ。だがここでは、エイルのそんな常識はまったく通用しない。多くの場合、人々の視界にも入らないようだ。例え相手にされても、彼らはエイルを町の少年と同じように扱う。冗談を飛ばし、大声で笑い、がさつな手で自分に触ろうとさえする。エイルにはどうしても我慢がならなかった。

八百屋の隣の店は、大きな麻の袋をいくつも地面に並べていた。袋には、様々な穀物や木の実がぎっしり入っている。細かい粒のようなものあれば、茶色で細長いものもある。赤くて大きなものもあるし、紫で先の尖ったものもある。また、香料も扱っているようだった。机の上に置かれたいくつもの皿に、さらさらとした粉状のものが綺麗に山にしてある。シキはここでも買い物をする事にした。

「スクをもらえないかな。出来れば筒に入れて欲しいんだが……」

「お、兄さん、長旅かい?」

「ああ恐らくな。そうなれば、スクは欠かせない」

「シキ、スクって何だ? 何でシキはそんな事知ってるんだ?」

エイルが見上げる。シキはそれには答えず、微笑んで見せただけだった。

スクという穀物は、乾燥させて粉状にしておけば非常に長く保存できる。また、再び水分を吸うと膨らむ性質があるので、スープに混ぜて食べると、少量でも腹持ちがいいのだった。レノアではそれほど有名な穀物ではないが、旅慣れている者で、スクを知らない者はいないだろう。西方、タースク地方で一年中作られている穀物だ。

スクを木筒いっぱいに詰めてもらい、次の店を探す。旅に出るなら服も必要だ。寝袋代わりにも風除けにもなる大きな外套、砂や風から目を守るためのつばの広い帽子、暑さや寒さに強い上着などは欠かせない。そういったものを扱っている店は、今このあたりでは一軒だけのようだ。他の店とは違い、それなりに立派な店構えである。木材を積み上げて風や雨でも問題ないようにしてあり、なかなか考えられた造りになっている。

「いやぁ、締め出し食らってから長いんですよ、うちは。もう一ヶ月ほどレノアに入れるのを待ってる有様でさぁ」

と、店の主人は言う。禿げ上がった頭を撫でて、首をひねった。

「まったく、どうしたんでしょうねえ、レノアも。グリッド王はいつもならきちんとおふれを出しなさるのに、今回はまったく音沙汰なしだ」

「何があったか、誰も知らないようだな。話を聞いても、みんな首を振ってばかりだ」

「ええ、私らも何にも分かんないんでね、困っとるんですよ。ただね、時たま兵士が出入りしてるようですよ。こないだの夜……なあおい、いつだったかね」

机の後ろに座り込んでいた女に声をかける。女が肩をすくめるだけなので、主人は悪態をついたが、再び話し始めた。

「えぇと……ありゃ確か十日ほど前ですよ。兵士が数人、大きな荷物と一緒に城へ入っていくのを見たんでさぁ。ありゃあ一体何をしてたんだかねぇ……」

「レノアに、何が起こっているのかな。少なくとも……反乱などではなさそうだな?」

「ああ、そりゃないですよ、反乱が起きりゃすぐ分かりまさぁね。城壁の中はいたって静かなもんだ。でもねえ、町の人はどうしてんでしょうね。買い物だってろくに出来やしないと思うんですよ。いえね、私は思うんですけどね……」

それから後は、店主の世間話が延々と続いた。彼の想像とおしゃべりはとどまる事を知らないようだった。しまいにはシキも閉口してしまって、なんとか逃げ出したいと考えるようにまでなっていた。さっさと買い物をして店を出たいのだが、服をたたみながら、勘定をしながら、店主の話はいつまで経っても終わる気配がなかった。もはやその大半は、店の愚痴や客の噂話である。エイルは、呆れ顔を隠す事もしていなかった。うろうろしたり、店の外を眺めたりしていたが、しばらくすると我慢が出来なくなったのか、シキの服を引いた。

「シキ、もう行こう。私は飽きた」

その言葉に店主の口があんぐりと開く。シキはこれを幸いとばかりに荷物を抱えると、店主の言葉を避けるようにそそくさと店を後にした。外に出ると、既に夕闇が近づいている。人々があちらこちらで火を焚き、夕飯の準備を始めていた。

「困りましたね。これでは今から旅立つというわけにも行きませぬ」

「下らぬ話をいつまでも聞いているからだ」

「はは……。あまり金を遣いたくはないのですが、近くに宿がないか聞いて参ります」

「私も行く」

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