LL index≫第四章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)
時は流れ、夕刻――。左手に広がる空に夕焼けが滲んでいる。右を見れば、地平線近くに小さな星が輝きだしていた。ひんやりとした夜が、ひそかに忍び寄ってきている。遥か遠くまで緩やかに続いていく丘、その間に畑や街道が見え隠れし、家々が寄り集まった小さな村もぽつんぽつんと見える。遠くに見える地平線を辿ってぐるっと回って見れば、これから進む先、南の方角にはシンジゴ山脈が黒々としたその姿を横たえていた。
「いつまでかかるんだ、この私を寒空に放り出したままで、手間取りすぎだぞ」
天幕を張ろうと悪戦苦闘しているクリフとクレオに向かって、エイルが高飛車に言う。シキは薪を拾いに行っているし、双子はばたばたと忙しい。エイルに構っている暇はない、という態度が、癪にさわって仕方がない。しかし彼は、口が裂けてもそれを言うつもりはなかった。クレオは「これ以上喧嘩しても始まらないよ」とクリフになだめられ、聞こえない振りを装っている。無視された事に腹を立てたエイルは、ひときわ声高になった。
「レノアの王子たる私が、お前たちに合わせて野宿してやるというだけでも、大変な譲歩なのだぞ。これだけお前たちに合わせてやっているのだから、私の座る場所くらい提供したらどうなんだ」
しかし相手にしている暇はないとばかりに、黙って作業を続けるクリフとクレオである。エイルはひるむ事もなく、いよいよ早口でまくし立てた。
「全く、王子たる私が野宿だなんて、信じられないな! 月明かりの下で、土の上に寝ろだなんて極悪非道だと言うんだ。食事すら机でさせないとはひどいものだ。ああ私はなんて惨めなんだ。運命の神クタールよ、レノアの守護神にして知恵者であるバダッフよ、こんな事が許されていいものなのだろうか」
「ちょっと!」
「なんだ」
「『なんだ』じゃないでしょ、私にはクレオって立派な名前があります! それより、いくらなんでも言いすぎよ。辛いのはみんな同じじゃないの!」
「王子である私と一般階級であるお前たちが、同じでいいはずがあるものか。いいか、私は寛容だ。ただ座る場所を用意しろと言っているだけなのだ。羽の布団と柔らかな寝床を用意しろとは言わん。だが食事くらいはまともなものを用意してもらいたいものだな」
「もう! 何度言ったら分かるの? 出来るわけないでしょ、そんな事!」
「ク、クレオ、まあいいじゃない。エイルは王子様だもの、こういう暮らしに慣れてないんだよ」
「何言ってんのよ、クリフまで。だからって何言ってもいいって事にはならないじゃない!」
怒り心頭に達したとでも言うように、クレオは顔を赤くして喚き散らしている。当のエイルはといえば、出来上がった天幕の中にもぐりこむ始末。それを見たクレオは、再び怒りをあらわにしている。と、そこへシキが帰ってきた。
「クレオ」
「あ……」
「気持ちはよく分かるが、エイル様はここへ来て間もない。クリフが言うように、元々の生活とはかなり差もあるし、ある程度は目をつぶってやって欲しい。頼む」
シキの深い緑の目に見つめられると、急にうつむいてしまうクレオである。クリフがその顔を覗き込み、無邪気に尋ねた。
「何だよ、そんなに落ち込むなよ」
「……馬鹿っ」
「何で俺が馬鹿なんだよ?」
「いいの! ほら、薪に火をつけなきゃ!」
シキはその様子を見て微笑んだ。
――サナミィで初めて出会った頃は全く見分けがつかなかったものだが……。
サナミィでの事が、もうずっと遠い昔のような気がする。たかが半年、されど半年である。相変わらず仕草や声などはそっくりだが、双子はそれぞれに成長しているようだ。クリフはこのところ成長期なのか、よく食べるようになり、シキが毎日欠かさない訓練に付き合うようになった。クレオは野宿をする時の料理担当だ。限られた食料で様々なものを作る。王宮料理に馴染んだエイルですら、関心する事があるくらいだった。
双子とはレノアで別れ、イルバで再会し、それからずっと一緒に旅をしてきた。最初の頃は、王子であるエイルに加え、旅慣れていない二人を足手まといとすら思ったものだったが、近頃ではそんな事も思わなくなっている。まるで弟と妹が出来たように、シキは同じ顔の二人を大切に思うようになっていた。
エイルは天幕の中でくつろぎ、クリフとクレオは火を焚きつけるのに夢中になっている。それを見やって、シキは再び顔をほころばせた。質素ではあると同時に、無駄のない生活。旅の暮らしは楽ではなかったが、元々慣れているシキにとっては、宮廷暮らしよりも性に合っている、という気がするのである。
冬の寒さが彼らを包み、焚き火のはじける音とともに夜は更けていった。
一本の街道が、レノア城下町から南へと出発する。とりあえずの到達点はシンジゴ山脈だ。山脈を越えた向こうは砂漠、そしてルセールである。山脈付近は荒地で、人家もかなり少なくなる。このあたりを通るのは旅人ばかりだった。そんな彼らが必ず足を止める町がある。それがラマカサだった。山脈のふもとにある大きな街で、人々はここで旅の鋭気を養ってから山を越えるのである。
「うっわぁ」「広ーい!」
同時に言ったのはクリフとクレオだった。まるで大河のような幅の大通りが彼らの前に延びている。通りには大勢の人が溢れ、今までの荒野が全て夢のように思える程だ。規則正しい建物の列と、等間隔に植えられた街路樹。均整の取れた美しい町並みが彼らの前に広がっている。シキはこれでようやく人心地がつけると安心し、双子は早速街を見に行きたいと言い出した。いつもは仏頂面のエイルも、珍しくはしゃいでいる。
「シキ、ここにはしばらくいると言ったな? な?」
「そうですね。まずは宿を探さなくてはなりませぬ」
「よかろう。ではシキは私と宿を見聞に行こう。いい宿を探そうな」
「はっ。では、クリフたちは買い物がてら町を見物してくるといい。遅くとも日暮れの鐘までにここへ戻ってくるようにな。危なそうなところへは近づくなよ」
「はーい」
「もう、子供じゃないんだから大丈夫です……じゃないや、大丈夫だって!」
シキが苦笑して手を振るのを見ながら、二人は嬉しそうに駆け出した。クレオはすぐに洋服屋を見つけて入っていく。クリフは一緒に行こうかなとも思ったが、少し考えるとそれを止め、町の中心部へ向かって歩き出した。
――本当に、何もかもが大きいや。
きょろきょろあたりを見回しながら歩いていると、誰かが肩にぶつかった。と、相手がひらりと身をかわしたので、クリフは勢い余って転んでしまう。もんどりうったクリフに手を差し伸べたのは、布の服と革の胸当てを身に着けた女だった。
「前見て歩きなよね」
クリフよりいくつか年上だろうか。短く切った茶の髪は少々赤みがかっていて、彼女の瞳の色によく似合っていた。余計なものは身に着けていない格好。もう冬だというのにすらりとした腕や足が露出されていて、クリフは思わず目を背けてしまう。何故だか、見てはいけないもののように思えて気が咎めた。
「す、すみません」
「あたしはいいけどね。前見て歩かないと田舎もんってばれちゃうよ」
あはははは、と明るく笑う。悪い人じゃなさそうだな、とクリフは思った。軽く手を挙げて行こうとする彼女に、思い切って声をかける。
「あ、あの、俺こんな大きな町初めてで……だから何がなんだか……その、もしよければ案内してもらえませんか?」
「やっぱり!」
「え?」
「い・な・か・も・ん!」
「……」
「あ、ごめんごめん! 馬鹿にしてるわけじゃなくって。喜んで案内引き受けるよ。さ、行こう」
男のような、さっぱりした口調で言うと姿勢よく、さっさと歩き出す。クリフは慌てて後を追った。追いついて初めて、彼女が自分より背が低いという事に気づく。あたりを見回せば、そこらを歩いている人に比べて自分の背が意外と高いような気がする。
――背が伸びてるんだろうか。そういえばここんとこ、足が痛いと思ってたけど……。
夜、体のあちこちが軋(きし)むように痛む事がある。シキに相談すると、成長期にはよくある事だと言われた。考えてみれば、レノアの城下町では、まるでみんなが覆いかぶさってくるように感じるほどだったのが、今ではそれほどでもない。彼の身体は少しずつ、しかし確実に成長していっているようだった。
「……で、あの奥が闘技場よ。それでもってこっちの八百屋を曲がると……ほら、さっきのとこに戻ってきた」
最初に二人がぶつかったところまで戻って来ると、彼女は両腕を腰に当てて笑った。サナミィのあったマグレア地方では見かけない顔立ちに、異国の香りがする。晴れやかな笑顔を見ていると、クリフは「何だか俺まで笑顔になっちゃうな」と思った。
彼女の案内は的確で、分かりやすかった。彼女についていくつもの通りを歩いたが、朝から馬に乗り続けて疲れていたことを、クリフはいつしか忘れていたくらいである。
「まあこんなとこかな。とにかくここは店も多いし、武器や防具を買っておいて損はないと思うよ。そうだ、武器で思い出したけど、あんたは何をやってるの?」
「何を、って?」
「職業さ。あたしは、もう言ったっけ? 戦士、武闘家って奴なんだけど」
「えっと、何もしてないです」
「旅してるって言ってたよね? じゃあないって事はないでしょ」
「でも……」
「ま、しょうがないか。見たとこ十五、六ってとこだしね。それにしても、何も知らないんだね。一緒に旅してる人も教えてくれなかったの?」
それじゃこの先も大変だよ、と彼女は言う。クリフは何がなんだか分からずに鼻の頭をかいた。年もそう変わらないだろう彼女に子供扱いされた事が気になってはいるが、何を言えばいいか分からないのである。その時丁度、日暮れを告げる鐘が鳴り始めた。耳に心地いい鐘の音が、暮れなずんだ茜色の空に響いている。涼やかな風が彼女の髪を揺らした。
「あ、そろそろ待ち合わせの時間だっけ。じゃあ夜になったらさ、そこの酒場へおいでよ。旅の心得とかについても話したげるから。どう?」
「う、うん。あ、いやその、よろしくお願いします」
「そんなかしこまらなくていいって! じゃ、また後で」
そう言うと、もうさっさと歩き出している。クリフは軽く手を挙げている後ろ姿を見ながら、彼女の名前すら知らない事に気づいた。さっぱりとした性格としゃべり口はクレオにちょっと似ているかもしれない。けれど、クレオとはやはり違う。クリフは首を傾げてしばし考えたが、よく分からなかったので諦めた。待ち合わせの門のところへ戻ると、クレオが手を振っている。
「エイルがお腹空いたとか言ってさ、もう食事始まってんのよ。わがままよね」
「しょうがないさ。俺もお腹空いたなー」
「そうだね、早く行こ!」
「うん!」
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