Legend of The Last Dragon −第三章(3)−

王都マイオセールは現在、ルセールの首都として栄えている。

ここはずっと以前、小さな名もなき田舎町だった。だが、ルセール地方の中でも特別な場所として扱われていた。何故なら、この町の付近にだけは水が豊富に湧くからである。地下水脈から汲み上げられた水は人々の生活を潤し、またより多くの人々を呼び集めた。人口が増えるにつれ、町はいびつな円形を保ちながら徐々に広がっていった。

そこへ英雄マイオスがやってきて、ルセール建国を宣言したのである。町は英雄の名を取ってマイオセールと名づけられ、多くの移住者がやって来た。マイオスは国力増強のために住民増加を呼びかけ、そのためにますます家が足りなくなった。町の設計は、家が建てられるたびに複雑になっていく。そして現在に至って、沢山の袋小路がこの町に存在する事になったのである。

今、その袋小路の一つにリュークは入っていった。大通りから二つほど角を曲がった先の細い通りに面した、誰も気づかないような小さな路地だ。そこに入ると、なんとはなしにあたりが薄暗くなったような印象を受ける。ルセールの家々は大抵の場合平屋なので、どんな細い路地も、光がまったく当たらないという事がない。まして、この南国では陽射しが強い。暗いと感じる路地は少ないはずである。しかしリュークの歩いている路地は、どうもそんな感じがするのだった。この路地が他と比べてやけに狭く、人影がまばらで、さらに言えば塀に重ったるく絡んでいるつたのせいなのだろうか。何にせよ、あまり楽しい雰囲気の道ではないようだが、とにかくリュークは歩いていった。彼自身、歩き慣れた道のようである。その道の突き当たりの扉を叩くと、中からの声が名を尋ねた。

「私を尋ねて来られるとは珍しい方だ。どなたですか?」

「俺だよ、リュークだ」

「本当にリュークなら、私の一番好きな言葉を知っているはずだね」

リュークは少々うんざりした顔で髪に指を入れた。何かを思い出すように眉を寄せる。

「ええと、『太陽はその剣を熱して鍛え、月はその剣を冷やして鍛える。そうして強くなった剣をかざした男は、運命の神を父に持ち美の神を母に持つ、優れた勇者であった。勇者は多くの神々に見守られ、己の人生を歩き始める』だったかな」

「では『彼の前に立つ男』は?」

「何だっけな……ああ、時の神サキュレイアだ」

目の前の扉が開く。リュークとそれほど変わらない背丈の男が立っていた。身体全体を覆い隠すローブのせいで、年齢や身体つきなどは判然としない。顔にかかるフードと眼鏡のせいで、顔つきを読み取るのも困難だった。しかしリュークはそれが誰だか知っていたし、その男も来客が誰なのか知っていた。男の口が微笑みを浮かべる。

「その通り。どんな勇者も時を超えるわけにはいかないね。さあ入って」

「よお、ヴィト。しっかし長い合い言葉だよな、分からなくならないか?」

「君と同じにしないでくれるかな。その詩が入っている本は全部覚えているんだよ」

ヴィトの家は綺麗に片付けられていて、こざっぱりとしている。リュークたちが机につくとほぼ同時に、下働きの侍女が冷たくした甘蜜(かんみつ)を持ってきた。この地方に多く生息する虫が好むラクレシという花があるが、甘蜜というのはそのラクレシから採った蜜を精製し、液体状に加工したものだ。暑い日には冷やして飲むのが美味しい。

丈の短いスカートと白い前掛け姿の侍女に、リュークは特上の笑顔を送った。が、彼女は目を伏せたままで杯を二つ、黙って机に置くと、奥の部屋に去ってしまう。リュークは「相変わらず躾が厳しいんだろ」とからかったが、ヴィトはその言葉を軽く無視した。リュークは肩をすくめると、甘蜜の杯を傾ける。渇いた喉に冷たい液体が心地よく流れ込んだ。半分ほどを一気に飲み干してから、彼は黒いベロアの袋を取り出した。

「ガライって奴の依頼、完了したぜ。トーラスの屋敷からサファイアの首飾りを取り戻してきた」

「お疲れ様、ありがとう。報酬はガライからもらってあるよ。いつものように二割は私に。残りの八割が君だね」

ヴィト=キルヒアは、柔らかな声の持ち主だった。高すぎず低すぎず、その声は、とても柔らかく響く。ゆっくりとした話し方も手伝って、上品で優しげな雰囲気が醸(かも)し出されている。しかしリュークは心の中で「騙されねえぞ」と自分に言い聞かせた。ヴィトはそれを知ってか知らずか、微笑みを崩さずにいる。

「情報の売り買いだけでも儲けてるんだろ? 仕事の依頼報酬まで取るんだからなあ。ヴィトお前、がめついぜ」

「心外だなあ。仕事を紹介したのも私じゃないか」

「そりゃまあ、な」

「リュークはちゃんと払ってくれるだろう」

「しっかりしてるっていうか、なんて言うか……」

「あ、それから。依頼は完了したって言っていたけど、まだ終わってはいないな」

「なんでだよ」

「依頼は『弟がまた城で仕事が出来るようにして欲しい』だったね? 首飾りが城に戻ってこなくちゃ、シュウス王だってガライの弟を呼び戻したりしない」

「おいおい。まさか俺に、城にまで忍び込めって言うのか?」

それを聞くと、ヴィトはおかしそうに笑った。それから、まるで子供に諭して聞かせるように言う。

「いいかい、忍び込むだけじゃないんだよ。ちゃんと首飾りを戻してきてくれなければ困るんだ。大丈夫だよ、忍び込む手はずはもう整っているから。城の地下水路が明後日、掃除されるんだ。その時に上手くもぐりこむといいよ」

「自分でやらないからって、簡単に言ってくれるよ。俺はやらないぜ、そんな仕事」

「そう。報酬の残りも全部私にくれるなんて優しいね、リューク」

「ヴィト、てめえ……」

ヴィトの表情はよく見えなかったが、笑いをこらえている様子は手に取るように分かった。彼は、リュークが困って言葉に詰まっているのを知っているのだ。リュークが断らないのもまた、彼には分かっていた。長い付き合いは、時として言葉を必要としなくなるものだ。くっくっく、と小さな笑い声を隠して、ヴィトはもう一言付け加えた。

「近衛兵がいると思うから、くれぐれも気をつけて」

リュークは溜息を吐いて髪をかきあげた。

「ああもう分かった分かった、明後日だな? じゃあ準備しとくよ。……まったく、毎回こうやってはめられてる気がする」

「私はリュークが失敗しやしないかと、いつも心配しているんだよ」

「心配だけなら誰でも出来るしな」

「嫌だなあ、昔からの友人じゃないか。そうだろう?」

「友人、ね」

リュークはやれやれというように首を振り、残りの甘蜜を飲み干した。わざとらしく格好をつけた挨拶をし、ヴィトの家を出ていく。その後姿には、何度も同じ事を繰り返してしまう自分に対する諦めが見えた。

ハーディスの陽射しが降り注ぐ。直接突き刺さるように感じるのは、町に緑が少ないせいだろうか。手で顔を隠して振り仰ぐと、いつもと変わりのない青空が広がっているのが見えた。雲もなく、ハーディスが激しく自己主張している真っ青な空。数羽のフィーピーが高い声を上げながら、勝手気ままに飛んでいるのが目に入ったが、あまりの眩しさにリュークは目線を足元に下ろした。足が、乾いた土を踏んでいく。マイオセールでは、石畳になっているのは中央に近い通りだけで、今彼が歩いているような細い路地は全て土だった。

曲がりくねった路地を通り、小さな広場をいくつも抜けていく。街全体が路地と袋小路で成り立っているので、初めてこの町に来た旅人はよく迷う。だが、リュークは迷う事なく歩いていた。

リュークは一つの町に定住した事はないが、マイオセールにはしばらく住んでいた事がある。もう七年ほど前、まだ彼が少年だった頃の話だが。それ以来、マイオセールには何度も訪れているが、迷った事は一度もない。人様の鞄や財布を持って逃げる時、自分が迷っていては話にならない。城下町の路地という路地全てを知り尽くしていると言っても過言ではなかった。

町の中央近くになると道が広くなり、石畳になる。通りもある程度は整備されているので分かりやすい。しばらく歩いていくと、大きな広場に出くわした。マイオセールの中央広場は人々の憩いの場でもあり、また日常の物を買う事の出来る便利な場所でもある。多くの家や店が円形の広場を形作っている。広場の端には、東西に向かい合う形で二つの水場が作られていた。様々な色の天幕が集まっているところを見ると、今日は月に一回開かれる大市場の日なのだろう。簡易式の店が立ち並んで通路を形作っている。客を呼び込む声や子供の笑い声が満ちている。ごくのどかな風景はまるで一枚の絵のようだ。

市では水や食料品を始めとして、様々な商品が売られていた。リューイー地方から運ばれる海産物などが扱われているのも、ルセールの特徴だ。特有の臭みを感じながら、リュークは天幕と人々の間をすり抜けていった。突然、服を引かれて振り返る。小さな女の子が花かごを持って立っていた。その子に小さな銅貨を一枚握らせ、青い花束を買う。女の子は大袈裟に頭を下げると、また次の客の服を引っぱりにかかった。こんな光景も、マイオセールでは日常の一風景だ。

広場の北側には立派な大木が立っている。英雄マイオスの偉業を称えるために植えられた、ラナの木だ。樹齢は既に二百年を経過しているという。太い幹のそばにいくつか木製の椅子が置かれていた。待ち合わせや恋人同士が愛を語る場所にも使われている。一人の青年が、若く綺麗な女と寄り添って幹に寄りかかっている。女と目が合ったリュークは、片目だけで軽く瞬きをしてみせた。それから素早く青年の後ろに回り込み、その肩越しに花束を差し出す。もちろん、極上の笑顔付きだ。

「な、なんだ、てめえは!」

「その透き通るような青い瞳には、この花が似合う。そして、こんな男より俺の方が、美しい貴女には似合うと思いませんか」

「貴様!」

「ありがとう……お花、もらっておくわ」

「おいっ!」

怒鳴る男には目もくれず、リュークは彼女に向かって、もう一度片目をつぶる。女の頬が一段と紅くなった。

中央広場を抜け、王宮の壁伝いに歩いていくと小さな川に出る。川は道に沿って細く流れているが、王宮に近づくにつれて、次第に太くなっていった。その脇を歩いていくと、最後には高い壁にぶつかる事になる。王宮の周りを囲う壁だ。

ルセールでは、レノアのように高い建物を建てる習慣はない。レノア城は高い塔をいくつも備えた堅固な造りだが、ルセール王宮は簡単な造りの二階建てである。全体の形は、城下町と同じくいびつな円形。上空を飛ぶフィーピーからは、丸い城下町の中心に丸い王宮があるという面白い光景が見えるのだろう。王宮の北側には大きな中庭とそれを囲むような回廊があり、南側に多くの部屋が並ぶ。更にその周りを、高い壁が囲っていた。

川と壁に沿って水門へと向う。ルセールの陽射しはこれでもかというほどに彼を照らしていた。太陽神ハーディスは、山脈の北と南で随分性格が違うようだ。北の地方では、暑い季節でもハーディスは温厚で、礼儀をわきまえた紳士である。しかし山脈より南では、年中情熱的な愛に満ちていた。フィーピーの高い鳴き声と、水の流れる軽やかな音だけが、その場の涼しさをかろうじて演出している。

壁に作られた水門から、静かに水が流れ出している。水門のそばには鉄の扉が作られていた。その前に衛兵が立っている。二人とも軽装鎧を身につけ、兜をかぶり、手には長い棒を持ち、腰には剣を帯びていた。「怪しい者は何人たりとも近づかせん」とでもいった風情で目を光らせ、時折立ち位置を交代している。

「そこまで厳しくしないでもいいだろうに」

リュークは小さく呟いた。もちろん、衛兵たちには聞こえない距離で。相変わらず厳しい警戒態勢を維持している彼らに対し、リュークは案を練るでもなく、悩む風でもなく、堂々と歩いていった。なんの躊躇いもなく、衛兵たちに近づいていく。付近には、他に誰も歩いていない。リュークが真っ直ぐに歩いてくるのを見て、二人の衛兵は手にした棒を威圧的に突き出した。当然といえば当然の対応である。

「貴様、何者だ! ここが地下水路への入り口と知ってきたのか」

「はあ……。あの、掃除しにきたんでね。わし、遅刻してしまいよったんで、仲間は先に来てると思うんですが」

「ギルドからきた掃除夫か?」

「へぇ」

「ならば証明書を見せるがいい」

「これでさぁ」

「……よし、通れ!」

――証明書の偽造くらい、お手の物さ。

いつの間に着替えたのか、掃除夫の格好をしたリュークは少し背を丸めて礼を言った。目の前で、水路への扉が開かれていく。

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