LL index≫第三章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)
仕事をするには深夜がいい。それも、月や星が出ていないような夜に限る。奴隷たちは藁を敷いた硬い台の上で、夜遊びに興じた主人たちは絹の羽毛布団の間で、それぞれ安らかな眠りについている頃。酒場も、街角に立って客を取る女たちさえも仕事を終える時間。そして何より、見回りの衛兵たちが交代の時間を待ち望んであくびをする頃……。そういった『やりやすい』時間帯を見つけるのが、長年の勘というものだ。自信を持って頃合いを見計らったリュークは、寝静まったマイオセールの町を音もなく歩いていた。
今日のリュークはいつもの洒落た服ではない。全身黒の、身体にぴったりした服で、いくつものポケットが縫い付けられているものを身に着けている。長い髪も大きめの帽子の中に入れられているので、邪魔になる事はない。靴は音をたてないように柔らかな、毛皮のものを選んだ。彼は夜空を見上げ、独り、呟く。
「出来れば、月が出ている方が好きなんだけど。綺麗なメルィーズが見られるからな。今日あたり満月になってるんじゃないっけ? ま、仕事には向かないけどな」
暗い路地に黒い服なら、その姿は影となり誰にも気づかれる事はない。しかしこんな夜更けに人影などありはしない。当然、計算済みだ。夜中に明かりを灯しているのは金持ちの家ばかり。そう、トーラス=マルティンのような。
トーラスという男は金持ちだったが、多くの金持ちがそうであるように、人に物を与える事が好きではなかった。一言で言ってしまえば吝嗇家(りんしょくか)、もっと簡単に言えばけち、という事である。彼は、人に食わせない分の肉を自分の腹につけていると陰口を叩かれるような男だった。ルセールで十指に数えられるほどの金持ちである事に間違いはなく、城下町マイオセールの有力者でもあったが、同時に町一番の嫌われ者でもあるのだった。
リュークが辿り着いたのは、トーラスの屋敷の裏通り。裏庭に面している壁は、その道を形作る程の長さだ。左右どちらを見ても壁の端は見えなかった。壁のところどころに取り付けられた灯火には、魔法による小さな炎がともっている。その明かりが壁伝いに延々と連なっているのだから、見ただけでトーラスがいかに金持ちか分かろうと言うものだ。リュークは石畳の道の両側に目を凝らし、誰もいない事を確かめた。
目の前の高い塀を見上げると、上空に木がせり出しているのが影になって見える。彼は金具つきの縄を取り出し、切れたりしない事を確かめると、それをおもむろに空に投げた。きつくなわれた麻縄は空気を切って飛び、すぐにがさがさっと音をたてた。手応えを確認してから手に絡め、壁にかけた足に力を込める。ゆっくりとした動作はそこまでだった。リュークは素早く、かつ無駄のない動きで塀を登りきり、再度周りを見回す。……人影はない。
広大な、という表現を使えるほどの庭に音もなく降り立ち、リュークはまた闇に紛れて走り出した。綺麗に整えられた花壇が並ぶ一帯を過ぎ、美しく咲き乱れる花を尻目に駆け抜ける。そこら中に衛兵が歩いていたが、交代の時刻である事をリュークは知っていた。抜け目なく彼らの目の届かない範囲を走り、裏口から身軽に入り込むと、颯爽と屋敷の階段を上がって二階に辿り着く。裏口と階段脇の衛兵は、ガライが呼び出してくれていた。庭に入ってからここまで、五百を数える間もない。
――ふっ、いつもながら鮮やかな手並み。……さて。ここからが問題なわけだ。
リュークは自分に言い聞かせた。彼が知っていたのは、ガライがあらかじめヴィトに渡していた情報から、この二階のどこかにトーラスの妻の宝石部屋があるという事だけだった。どの部屋が目的地なのかは天のみぞ知る、である。何故ならガライは二階に上がった事がないからだ。リュークの前に広がるのは、広間ではないかと疑う程の幅を持った廊下、先が見えないのではないかという程の長い廊下である。彼は小さく皮肉った。
「馬鹿め、こんな廊下を毎日歩いてるのか? それならもう少し痩せてても良さそうなもんだ」
廊下には大理石の柱が立ち並び、それらには皆、豪華な彫刻が施してあった。天井には大きく立派なシャンデリアが吊るされているが、それは非常に高価なガラスで作られている。数え切れないほどの蝋燭(ろうそく)には、全て灯がともっていた。床には真っ赤な絨毯が敷き詰められている。また、そこここに大きな騎士や女神といった彫刻が並べられていた。絢爛(けんらん)豪華だが、無駄遣いの極地と言っても過言ではないだろう。その廊下を眺めて、リュークは思わず、屋敷に入ってから何度目かのため息をついた。トーラスの美的感覚は、リュークのそれとはあまりにも違っていたわけである。
とはいえ、仕事中であることを思い出したリュークはすぐに気を取り直し、そっと歩き出す。まずは、裸体の人魚像の脇にある一つ目の扉に耳をつけた。中からは人の話し声が聞こえる。どうやら衛兵の休憩室のようだ。二、三人の声がトーラスの悪口で盛り上がっている。毛皮の靴をはいた足は絨毯の上をすべるように進み、扉の前を無事、通り過ぎた。柔らかな絨毯は足音を吸い取ってくれる。こりゃいいや、とリュークは声を立てずに笑った。
一つが終わると次の扉、そしてまた次、とリュークはどんどん進んでいく。時には中が宝石部屋かどうか確認するために、扉を開けなければいけない時もあった。見回りの衛兵をかわすために、彫刻と壁の隙間に挟まったりもした。心地よいとすら思える緊張感が、彼を楽しませてくれる。リュークは根っから、盗賊なのだった。
二階の全てを見回る時間は無かったが、問題はなかった。リュークは既に一つの部屋を宝石部屋と見定めていたのである。長い廊下にはいくつもの通路があったが、廊下の中ほどにあるそれは、すぐ先が行き止まりになっていた。そこには衛兵が一人立っていたのだが、そいつが守っている扉は他の扉と違い、分厚い金属製だったのである。衛兵が一人だけというのは妙だ、そう思ったが、次の瞬間には打ち消した。
――屋敷の守りが厳しければ厳しいほど、中は手薄なもんさ。間違いない、あそこが目指す部屋だ。
しかし、衛兵を避けてあの部屋に入るのは困難そうだった。衛兵は扉のすぐ前に立っているし、廊下を睨みつけている。横や後ろから近づく道はない。狭い通路の突き当たりに部屋があるからである。彼は少々困ったような顔を作り、思案気に髪をかきあげた。
ところで、衛兵のフランコは今日、とても不機嫌だった。今日は彼の誕生日であり、家族と婚約者が家で祝ってくれるはずだったのに、彼自身はこんな所で他人の宝石の見張りである。自分が守っているのが大事な物である事は当然知っているし、給料をもらっている以上文句も言えないが、何も今日でなくても……と彼は思っていた。仕事は仕事、きちんとやらねばと思ってはいても、深いため息が彼の知らぬ間に吐き出されるのであった。今は何時なのだろう。後どれくらいで交代になるのだろう。あたりには人気もない。自分は一人、いつまでここにいなくてはならないのだろう……。彼の悩みは尽きない。その内、彼の口からは小さく文句が漏れ出した。
「第一、ルーチォだって今日は暇だって言ってたんだ。何も俺がここの見張りじゃなくたっていいんだ。あーあ、誰か替わってくれんかなぁ」
「いいぜ、俺が替わってやろう」
「えっ? だ、誰だ!」
フランコが通路の先、曲がり角の方に向かって剣を抜いた瞬間だった。鈍い音と共に頭に強い痛みを感じて、彼は倒れた。応援を呼ぶ声を上げる間もなく、くたくたと崩れ落ちてしまう。後に立っていたのは、華やかに装飾された室内灯から舞い降りたリュークだった。リュークは見えない観客に向かって気障なお辞儀をすると、フランコの腰のあたりから扉の鍵を見つけて、さっさと中に入っていく。
入ったと思うとすぐに出てきて、あまりに簡単な仕事だ、とでも言うように肩をすくめた。その手には例のサファイアの首飾りが、天井から吊り下げられた美しい室内灯の明かりで輝いている。それが本物である事を確かめる術はなかったが、部屋の中にあったサファイアは全て持って来たのだから間違いはないだろう。リュークはそれを無造作に、他のサファイアでいっぱいのポケットに突っ込んだ。それからしばらくして、リュークは何の痕跡も残さずに――と言ってもフランコはもう見張りをしていなかったが――マルティン家を後にしていた。盗みは、入るより出る方が楽なものである。
「狙いは正確に、且つ迅速に、って事さ」
そう言うとリュークは不敵な笑みを浮かべ、闇の中に消えていった。
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