Legend of The Last Dragon −第三章(4)−

鉄の門扉が閉じられると、ひんやりした空気がリュークを包む。暑さは和らいだが、代わりに嫌な湿気と臭気がまとわりついた。間隔をおいて、水滴が垂れる音が響く。それと水路の流れる音以外には何も聞こえない。薄暗い通路が、先の暗闇の中に伸びている。壁の所々に設置された灯りがあたりを照らしていたが、足元は暗い。外の明るさに慣れた目を何度もしばたかせる。ようやく見えるようになってくると、リュークは水路の脇の狭い通路を歩き出した。

水路は複雑な構造になっていたが、リュークは壁に右手をつき、ゆっくりと歩いていく。やがて、掃除夫たちの声が聞こえてきた。掃除夫たちは水路の掃除に励んでいるようだが、リュークのいる通路からその姿は見えない。少し先に曲がり角があり、その先から声と、掃除用具でこする音が聞こえてくるのだった。

「いやあ、もうちょいだなぁ」

「そだなや。長くて、大変だったな」

「おいらは腰が痛くなっちまったよぉ」

「ほらほら無駄口じゃ。掃除せんと……」

「そうだったなぁ、早く終わらして、酒場で一杯やろうなぁ」

「もう後はここだけよな。さあさ掃除、掃除っと……」

リュークは掃除夫の服を脱ぎ、更にその下の自分の服も脱ぎ捨てた。下着だけになると、彼は少々口を歪め、それらを小さくたたんだ。これから起こるはずの事をじっと待つ。待ちくたびれてきた頃、それは起こった。つまり、掃除夫たちが掃除を終えて戻ってきたのである。濡れたり汚れたりする事を覚悟すれば、彼らをやり過ごすのはたやすい。すぐ横の水路に下りればいいのだ。水位はそれほど高くはない。腰のあたりまで水につかり、リュークは通路側の壁に体を押し付けた。暗い足元、しかも水路の中などには目もくれず、掃除夫たちは帰っていく。すぐに水路から出て、掃除夫の服で体を拭いた。それを水路に投げ捨て、改めて自分の服を着る。

――我ながら無駄がないぜ。

いつものように髪をかきあげ、小さな笑みを漏らしたが、すぐに真剣な表情に戻った。

「彼らが帰っていく時、衛兵たちが『さっきの掃除夫はどこだ』と聞く可能性は十分にある。そうすると、掃除夫たちは『今日来てるのはこれだけのはずだ』と答える。『じゃあ後から来たあいつは誰だ? 』という事になって……必然的に衛兵が来る、と。それまでに城に侵入していなくちゃいけないってわけだ」

言い終わる前にリュークは走り出していた。いつもの事だが、行動の素早さが成功に繋がる。

少し走るとすぐに、大きな鉄の扉が見えてきた。恐らく城への進入口である、水路の出口だろう。扉の前には衛兵と水門の門番がいる。門番はとるに足らぬだろうが、衛兵には少々苦労するかもしれない。リュークは息を整えると、腰の太い革帯から細身の剣を抜いた。衛兵がリュークの姿を見咎め、素早く構える。

「剣を抜いて近づいてくるとはいい度胸だ。どこから進入したかは知らないが、ここで死んでしまえばそれも関係ないな。行くぞ、侵入者!」

衛兵は音をたてて剣を抜き放ち、切りかかってきた。先に門番の足を止めようと思っていたリュークの思惑は外れた。衛兵の動きは素早く、その剣先をかわすのに精一杯だ。剣がかみ合い、硬い金属音が水路に響く。しかしほんの数十秒で、二人の動きが止まった。今や互いの剣を交差させ、二人は渾身の力を込めて向き合う形で静止している。睨み合う額に汗の粒が浮く。

衛兵が門番に向かって叫ぶ。

「何をぼやぼやしている! 城内に知らせろ!」

水路の門番は丸腰で、背の小さな男だった。衛兵の大声に慌てふためいている。城に侵入者が忍び込むなど、前代未聞の出来事だったのである。しばらくおろおろとしていたが、ようやく水路の脇の扉を開け、城内に姿を消した。

――ちっ、ヴィトの仕事はいっつもこうだ。簡単にいったためしがねぇ。

目前の敵を早く倒してしまわねば、城内から応援の兵が来るだろう。リュークは舌打ちをすると、相手の剣から弾き飛ばされるようにして後方に飛び退(すさ)った。互いに隙を伺う。じりじりと時間が過ぎていく。

城内の兵はすぐにでも駆けつけてくるだろうと思われた。が、しばらく経っても何の音沙汰もない。呼びに行った門番が入っていったきり、門は僅かに開いたままだった。それを不審に思わないでもなかったが、今はそれどころではない。リュークは戦闘経験がそれほど豊富なわけではなかった。このままではいずれやられてしまう。

リュークが思案していると、入って来た方角から、つまり街の方角から鎧のぶつかり合う音が小さく響いてきた。

――おいおい、あっちが先かよ。勘弁してくれ、ここでやられたらミナちゃんに会えなくなるじゃねぇか。アリスや、レジー、カレン、ルイス、それからさっきラナの木で会ったお姉さんだろ、それと……。

随分と気楽なようだが、実際には絶体絶命の危機に直面している事を実感しているリュークである。例え何らかの事情で城内からの応援が来なかったのだとしても、今やもう街の衛兵が駆けつけてきたのだ。衛兵はこれで三人になる。リュークの剣の腕では到底適わないだろう。リュークはなんとか出来ないかと考えをめぐらせたが、あまりいい知恵は浮かばないようだった。

――こりゃそろそろ覚悟を決めないと駄目かな。

衛兵たちは何やら大声で叫びながら走ってくるようだ。彼らが走ると鎧ががちゃつき、その音と叫び声が水路に反響する。そのせいで何を言っているのか、よく聞き取れない。しかし彼らが近づくにつれ、ようやく分かるようになってきた。

「大変だ! 大変な事になった!」

「警備兵を集めろ!」

「王にも伝令をっ!」

――あん? 侵入者を捕らえようってのとはちょっと違う雰囲気だな。

リュークと向き合っている衛兵もその異常さに気づいたのだろう。戦う相手より、突如起こった事態に気を取られたようだ。彼らは、どちらからという事もなく剣を下ろした。

二人の兵士はすぐにやってきたが、その表情は尋常なものではなかった。二人とも真剣な、いやむしろ顔面蒼白といった形相である。彼らは面当てを上げていたが、その間に見える顔には汗が幾筋も流れ、息が切れて肩が揺れていた。しかしその顔は緊張しきってこわばっている。見るからに悲惨だった。一人の衛兵が、もう片方に告げる。

「俺は王にお伝えしてくる!」

「ああ一刻も早く」

「おいどうしたというんだ、何があった」

「詳しく説明している暇はない、兵をかき集めるんだ! 竜を王宮へ入れてはならん!」

「何だって?」

衛兵とリュークの声が重なる。新たに走ってきた兵士はその声で初めてリュークの存在に気づいたとでもいうような顔をした。

「なんだ、こいつは? いやこんな奴に構っている暇はない! 早く警備兵を! 俺は街に戻らねばならん! とにかく早く行ってくれ!」

「わ、分かった」

兵士たちは城内と街に向かって、それぞれ鎧の音とともに去っていく。後には呆然と剣を持って立ち尽くすリュークが、たった一人で取り残されていた。

「竜が現れたとか言ったな。……竜、って吟遊詩人の歌や伝説に出てくるような、あれか? まさかぁ……」

マイオセールは、未曾有(みぞう)の恐怖におののいていた。

人々は体の震えを押さえる事も出来ず、声を失い、ただそれを見つめている。そうする以外に、彼らは何も出来なかった。恐怖のために身動きも出来ず、ただ見ているだけだったのである。

広場のあちこちに建てられていた店の天幕はその多くが潰れ、残りはまきあがった砂塵にまみれて埃だらけになっている。ラナの木のそばにあった椅子は横倒しになり、水汲み場になっている小さな泉は栓が壊れていた。砕けた石の間から水が溢れ出ているのが見える。ラナの枝葉がそこら中に舞い落ちていたが、それもまた泥だらけになっていた。あたりは土の茶色と埃の灰色ばかりで、いつもここに溢れているはずの、鮮やかな色彩はすっかり失われている。

大木ラナの木より高いものは、マイオセールにはない。家々は、そのほとんどが平屋なのだ。白い壁と赤い土色の屋根が連なる街並み。ラナの木だけがそれを凌駕(りょうが)している。マイオセールの、そしてルセール国の象徴と言える、ラナの木。それは堂々と、その高さを誇っていた。そしてマイオセールに住む人々は、ラナの木より高いものなど見た事がなかったのである。今の、今まで。

人々の眼前にそびえ立っているものは、ラナの木よりほんの少し高いだけだったかもしれない。そういう意味で言えば、高さは木とそれほど変わらないと言える。ただ、ラナの木とそれとは、あまりにも大きすぎる差があった。「それ」は、自分の意志で動くのである。

先程まで大きく広げられていた翼は、今はそのなだらかな背に沿ってたたまれていた。その全身は黒かったが、その中でも大きな翼は、どこまでも黒い。まるで、永遠の闇を象徴するかのような漆黒の翼だった。艶やかな鱗(うろこ)をその体にまとい、太い四本の足には鋭い爪を、家一軒よりも大きな胴体には長い尾を備え付けている。長い首の先には尖った顔。口は真っ二つに裂け、爛々(らんらん)と光る二つの目が、人々を恐怖の底に陥れる。喉の奥から時折漏れるのは、疑いようもない、灼熱の炎だった。

最初の衝撃と恐怖から一旦その身が解き放たれると、誰しもが悲鳴を上げ、走り出した。町中の占い師はその顔を青く染め、女は失神し、男は女と子供を抱えて家へと逃げ込む。それが何か役に立つとも思えなかったが、深く考えて行動出来る者などいはしなかった。半狂乱で髪を振り乱し、子供を呼ぶ母親の声。愛しい女を求める男の声。恐怖に泣き叫ぶ子供の声。人々の靴が石畳に叩きつけられる音と、木窓や扉が閉められる音。それらの上から、低い、唸り声にも聞こえる呼吸音と、暑く湿った息が降り注ぐ。

一際大きな咆哮が人々の足をすくませた。人々は思わず立ち止まり、もしくはへたりこんで上を見上げた。

もう一度咆哮を上げ、足を折って首を下げる。すると、翼の付け根あたりに影が動くのが見えた。その大きさと格好からして、人間であるようだ。降りてきたのが何者なのか、というのは一目で判明した。何故なら、象徴的な青銅の鎧とその胸に彫りこまれた紋章は、紛れもなく北の大国レノアのものだったからである。レノア兵士は筒状の書簡を手にしており、まだそこらに立ちすくんでいる人々に向かってそれを広げた。そして、集まるように、といった仕草をして見せる。人々は、互いの顔を見合わせながら、恐る恐る近づいていった。大きな巨体が作る影と、唸り声にも聞こえる鼻息とに怯えながらではあったが、やがて百人ほどが大きく輪を作る形になった。レノアの甲冑を身につけた兵士は、尊大な態度を隠そうともしない。

「よろしい。……さて、マイオセールの諸君」

兵士は、ざわめきが静まるのを待って、書簡を広げる。近くの家々の窓や扉が怖いもの見たさと好奇心のために、ほんの少し開けられているのを確認すると、目を細め、にやりと笑う。それからやにわに大声を張り上げた。

「さあその耳を傾け、よく聞くがいい! 『マイオセールの市民たちよ。愚鈍なる王に支配される時はもはや終わりを告げた。ルセールはレノアの守護神バダッフの加護を受ける事が許された。レノアは大陸全土に君臨し、ハーディスの守りしこの地に住む人々全てに、その深い慈悲を与えるであろう。第三十七代レノア王 グリッド=リヨール=シュレイス=レノア』!」

大きなどよめきが人々の間から立ちのぼった。その中で、若く張りのある男の声が際立つ。

「どういう事だ! つまりはレノアの支配下に入れと言う事ではないか」

「それは違う。既にルセールはレノア配下になったと言っているのだ」

「突然やって来て何を……」

「ふざけるな!」

使者の伝えた内容と、その途方もなく尊大な態度がマイオセール市民の怒りに火をつけたのだろうか。彼らは先程までの恐怖を忘れ、怒声を張り上げ始める。兵士は冷めた目で群衆を眺めやった。

「先の大戦では残念ながら両国が一つになる事は敵わなかった。だが今、ルセールの王都マイオセールを制圧する事により、レノアがルセールを保護しようと言っているのだ」

「そ、そんな馬鹿な話があるか!」

「レノアがルセールを攻めきれず、撤退したのだろうが!」

「和平条約を何だと思ってる! いきなりそんな馬鹿げた事を……」

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