LL index≫第三章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)
リュークが想像した通り、中庭は阿鼻叫喚の巷(ちまた)と化していた。そこでは恐ろしい戦いが繰り広げられていたのである。いや正確に言うならば「戦い」ですらない。ルセールの兵士たちは果敢に槍や剣を突き立てたが、その皮膚に傷一つ負わせる事が出来なかったのである。彼らがどれだけ勇敢に立ち向かおうと、事態は酷(ひど)くなるばかりだった。相手はたいまつを投げつけてもびくともせず、かえって吐き出される炎が兵士たちを飲み込んでいく。
「シュウス様はお逃げ下さい!」
「セレス様と街へ!」
兵士たちにせがまれているのは、立派なあごひげを蓄えた人物だった。己の進退を決めかね、目の前の兵士たちの死に歯を食いしばり、その目は驚愕と憎悪に満ちている。大きな体と黒髪が、彼もやはりルセール地方の男である事を証明していたが、頭髪やひげにはもはや白いものが混じり、顔には幾筋もの深いしわが刻まれていた。五十を過ぎた老体には立派過ぎるのではないかという程の鎧に身を固め、手には槍を持っているが、それらが目の前の敵に通用しない事は痛いほど分かっている。彼は歯噛みをしながら、自分の跡取りとなって国を治めていくはずの皇子を見やった。
若き皇子は、父王と同じ長槍を手にし、眼前の敵を睨みつけている。その瞳に恐怖心は全くなかった。国を、家々を、人民を滅ぼしていく炎に対し、それに負けぬほどの炎をその瞳に宿し、セレス皇子は逃げるまいと両足を大きく広げて立っている。若く燃えたぎる想いが彼を下がらせようとはしなかった。
「セレス様! お願いです、どうか王を連れて……」
「ルセールの皇子たるこの僕に、逃げろと? いや、僕はここを退かない。王と皇子が宮廷を明け渡して逃げるなど、レノアの奴らに笑われるぞ!」
「セレスの言う通りだ。下らぬ事はもう言うな。二人だけで国は再建出来ん。例え我々が死んでも、ここは肥沃な地、また人々が集い、国は再建されるのだ。それに、お前たちをここで置き去りにすれば、わしは残りの生涯を悔いて過ごさねばならん」
「シュウス様……!」
兵士はもう僅かしか残っていなかった。金属製の鎧は、際限なく向かってくる炎に対して無力だったのである。鎖で編んだ帷子(かたびら)は、剣や槍は止めても、炎の進入は止められなかった。容赦なく鎧を焼き、隙間から入り込み、炎は中の人間を焼き尽くす。既にあたりには数え切れないほどの兵士が倒れ伏し、ひどい悪臭が鼻をつく有様だった。それだけでも十分身の毛がよだつ光景だが、元凶はいまだ中庭にそびえたっている。その背に、レノアの青い鎧が見えていた。
「愚かなる王よ、先の大戦で引き分けたとでも思っていたか。レノアを甘く見たな! これで決着が着く、レノアの勝利が確実なものとなるのだ!」
「これは正当な戦いではない! ルセールはレノアに屈したわけではないのだ! 今にお前たちは思い知るだろう、いかに自分たちが卑怯な手段を使っ……」
「そんな事はどうでもよいのだよ! さあ今ここに滅びるがいい、ルセールの王シュウスよ! マイオスから続くルセールの短い歴史も幕を閉じるのだ!」
「ルセールは終わらない! 僕らが死んでもきっと残る! いつか、きっと再建されるんだ!」
「戯言だな、脆弱(ぜいじゃく)な皇子よ。死にたまえ、愚鈍なる父王と共にな! さあこれで最後だ。アルヴェイス!」
アルヴェイスと呼ばれた竜は、今にも最後の攻撃に移ろうとしていた。二つの真っ赤な瞳が燃え上がる。大きく開いた、やはり真っ赤な口に熱気が込められていく。耳をつんざくような咆哮があたりに響き渡った。
その声で呪縛から解き放たれたかのように身震いしたサーナの目に、父親と最愛の兄の姿が映る。同時に、兄セレスにも妹が見えたようだった。何か言おうとしたのかその口が開いたのが見えた。が、それはほんの一瞬の事だった。轟音とともに壮絶な炎が吐き出され、その紅蓮の炎の向こうに、シュウス国王とセレス皇子の姿がかき消える。想像を絶する程の熱気が中庭と回廊に渦巻き、やがてそれが静まると中庭に倒れていた兵士のほとんどは真っ黒な墨のように焦げていた。
「いやあああああああっ!!」
突如、甲高い叫び声が響く。翼の付け根に乗ったレノア兵士が振り返る直前、リュークはサーナの口を押さえて柱の影に飛び込んでいた。口を押さえているリュークの手に、サーナの熱い涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。声にならない涙は止めどなくその頬を伝い、辛い現実を認識した彼女の体は震えが止まらなかった。紅色の大きな目を見開いたまま、彼女は両手の指を強く握り合わせ、胸に押し付けている。リュークは息を殺し、サーナを抱きかかえるようにして柱にぴったりと身をつけて目を閉じた。
――頼む、見逃してくれ!
竜の巨体が動く気配はなかったが、リュークはじっと動かなかった。いやむしろ、恐怖のために動けなかったのである。耐え切れぬほどの緊張感と、痛いほどの静寂が満ちた。どれくらいの時が過ぎたのか、リュークがもうこれ以上動かずにいるのは無理だ、と思った時、レノア兵士の声が聞こえた。
「……そこに誰がいるのか知らぬが、丁度いい。今ここで見た事をルセールの国民に知らせるんだ。お前たちの王と皇子は、確かに死んだとな」
サーナが暴れだすかと思ったリュークは、彼女を抱く両手に力を込めたが、サーナは今やぴくりとも動きを見せなかった。リュークはそれ以上彼女に構わず、柱の向こうに神経を尖らせ続けた。中庭で翼がはためく気配がし、やがてまき起こった風とともに竜が飛び去っていく。それが分かると、リュークは一生分のため息を吐き出してサーナを解放した。しかし、放り出されたサーナは力なく、そのまま床に崩れ落ちてしまう。
「お、おい」
その顔を涙で濡らしたまま、皇女は失神していた。長い髪がかかった顔は青ざめ、眉はぎゅっと寄せられたままだ。もはや生きる者の気配とてない王宮にこの少女を置いていく事は、リュークには到底出来なかった。あまりにも小さく軽いその身体を抱き上げると、リュークは王宮を後にした。
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