Legend of The Last Dragon −第三章(9)−

空は美しく晴れ渡り、北の方角には細いメルィーズが浮かんでいる。夜のしじまが優しくヴィトを包んでいた。このあたりは裏通りになっていて、この時間になれば人影もない。娼家の右隣は油屋、左隣は織物や絨毯を売る店で、今はどちらの裏口も閉められていた。通りは細く、すぐ先で曲がっている。

ヴィトは娼家の裏口から少々離れた木戸の脇に立っていた。身にまとった、長く黒いローブが彼の姿を闇に溶かしている。今日のような夜が、ヴィトは好きだった。少し湿っていて、暖かく、静かで、優しい夜。彼はリュークを待ちながら、物思いに耽っていた。

突如、建物の中で騒ぎが起こった。何かが倒れる音、大勢が走る音、男たちの喚き散らす声が一緒くたになって湧き上がる。それまでそこに鎮座していた静寂は一瞬にしてかき乱され、ヴィトはメルィーズを見上げて嘆息した。騒音が急に大きくなったかと思うと、扉を開け放った音が響く。続いてすぐそばの木戸が大きな音を立て、リュークが飛び出してきた。その腕に少女を抱えるようにしている。リュークはヴィトの合図に気づいてほんの少し足を止め、早口で告げた。

「最後でちょいと欲が出ちまった。ヴィトも早いとこ逃げた方がいいぜ。北の門で落ち合おう」

「待ちやがれ!」

「この悪党! ただじゃおかねぇぞ!」

娼家の裏口から数人の男たちが走り出て来た。リュークは彼らの姿を確認する前に駆け出している。その腕に抱えられたサーナは、何が起こったのか分からぬまま、目をきょろきょろさせるばかりだ。二人の姿は衛兵たちが木戸を出る前に路地の角を曲がって消えている。出てきた護衛兵たちはヴィトに目もくれず、口々に悪口雑言を吐きながらリュークを追っていった。ヴィトは再び溜息を吐き、首を横に振る。それから皮肉な笑いが口の端に浮かんだ。

「これだから、詰めが甘いと言うんだ」

続けて何やら小声で呟き、右手で不思議な形を作る。すると、いくつもの淡い光が手の上で踊った。まるで、夜の闇に溶けていたものが、ヴィトの右手に触れて光を持ったかのようだ。やがてその光の動きが収まると、そこに小さな精霊たちが姿を現わしていた。彼らは人の姿に似ていたが、その姿の半分ほどは透けていて、顔はやけに小さく、目が光っている。ヴィトの手の上で踊っていた光は、彼らの小さな目だった。

「私の頼みは分かっているね?」

ラマーたちは互いに頷き合うと、僅かな光の筋を残して飛び去っていった。ヴィトはそれを見届け、フードをかぶり直すと歩き出す。全身を覆うローブと深いフードを身につけた姿は、ラマーたちのように黒く、闇色に染まっていた。

「……とまあそういうわけで、何故だか俺が見つからなかったらしい。見当違いなとこを探してたのかな。馬鹿な奴らだ」

「無事だったのは何よりだね」

ヴィトはにっこりと笑った。半月形の、それほど広くはないが居心地の良さそうな部屋である。壁を埋め尽くすように並んだ本棚は勿論の事、机の上や、果ては床にまで本がうず高く積まれている。ヴィトの性格なのか、非常に明るく清潔ではあったが、とにかく物凄い量の本である。

革張りの椅子に浅く腰掛けたリュークが問う。

「今、ここに住んでるんだって言ったな」

問いかけられたヴィトは、ローブを脱いでくつろいでいた。いつもはローブの中で見えない、清潔そうな服と眼鏡を身につけた姿がリュークの目に映っている。

「そう。私の家ではないんだけどね。間借りという事になるかな」

「へぇ……ま、何でもいいけどな。本当に預けてっていいのか?」

「構わないよ。というより、むしろ預けていって欲しいね。君に連れまわされたんじゃ、皇女様が気の毒だからな」

いつも通りの辛口だが、その声は飽くまでも柔らかく、優しい。それだけに、反論のしようがない。相手が感情的ならばこっちも激昂してしまいそうなものだが、ヴィトはいつでも冷静だった。リュークは軽く肩をすくめる。

「ま、俺も足手まといを連れて歩きたいとは思わねぇしな。預かってくれりゃ助かる」

サーナは先ほどからリュークの隣に座り込み、目を伏せたまま黙りこくっていた。小さな右手はしっかりとリュークの服の裾を掴んだままだ。ヴィトがその顔を優しく覗き込んだが、何の反応も示さない。

「サーナ皇女、正式に自己紹介もしておりませんでしたね。私の名はヴィト=キルヒア。リュークの古くからの知り合いです。これからしばらくの間、私がお相手仕(つかまつ)ります。快適とはいかないかも知れませんが、我慢していただけますか?」

少女の前にひざまずく。しかしサーナはうつむいたまま、一言も口を利かない。ヴィトの眉が寄った。

「リューク、皇女様は無口な性格なのか?」

「いや。最初に会った時はよくしゃべったよ。……あんな事があっちゃ誰だって無口になるさ」

「それはそうだろうな。とは言え、私は会った時から一回も口を利いて頂いてないんだ。いくらなんでもおかしいだろう」

そう言われれば、とリュークの顔にも不審そうな表情が浮かぶ。リュークは髪をかきあげながら、今までの事を振り返った。

「考えてみれば、俺ももうずっと口を利いてねぇな?」

そう言って、サーナを見つめる。しかし少女は視点も定めないまま、じっと空を見つめているばかりだった。ヴィトは、と見返ると、机に向かって何やら探し物をしている様子である。

「ちょっとばかり試させて頂こう」

その手に小さな水差しを携え、ヴィトは再びサーナの前にひざまずく。水差しにはねじれた棒のようなものが数本入れられていた。その内の一本を右手に取ると、左手で空に文字を書くような仕草を見せる。

「何をするつもりなんだ?」

「私は本来精霊使いだからね、こういった術法はあまり得意じゃないんだけど」

「答えになってねぇよ」

「黙って見ていてくれないか」

軽くいなされ、リュークは肩をすくめる。ヴィトはそれに全く取り合わず、眉根にしわを寄せている。何かを念じてでもいるようだ。しばらくすると、先ほど空に書いた文字がほのかなゆらめきを持ってその姿を現した。右手に持った棒で絡めとるようにすると、それはすぐに霧散してしまう。ヴィトはその棒をサーナに握らせた。

「サーナ皇女、何かお言葉を……」

サーナはその棒を握ったまま、首を横に振った。ヴィトはしばらく待っていたが、諦め顔で立ち上がり、道具を机に戻す。

「駄目か」

「何が駄目なんだよ」

「術法は上手くいったのだけどね……。どうやら彼女は言葉を亡くしてしまったようだよ」

「しゃべれねぇってのか?」

ヴィトは黙って頷き、サーナは不安そうにリュークを見上げる。リュークは、彼女を安心させようとしたのか、自分でも知らぬ内にその頭にそっと手を置いた。

目の前に広がる、黒く不吉な翼。真っ赤に燃え立つような恐ろしい瞳と、吐き出される炎の海。その向こうに消え行く、父と兄の姿。サーナは全身の汗を感じて飛び起きた。悲鳴すら上げなかったが、息を切らしてその小さな胸に手を当てる。激しい動悸。しばらくしてから、ようやく深い溜息を吐く。何度も激しく瞬きをしてみたが、結局止めようもなく後から後から溢れ出す涙で、目の前が霞む。声を上げることはなく、小さな嗚咽を幾度となく漏らして彼女は泣いた。

しばらく泣くと、気持ちが落ち着いたのか、周りを見渡す。小さな部屋。人の気配はない。自分が寝ていた寝台の横に小さな窓があり、それが明かり取りになっているようだった。はっきりとした時間は分からないが、ハーディスが見えないところを見ると、もうだいぶ昼に近いのだろう。

窓から一羽の黒い鳥が飛び込んできた。彼女がかけている布団の上に止まると、翼をたたんでくちばしを差し入れる。そっと手を伸ばすと慌てたように羽を広げたが、危害を加えられるわけではないと悟ったのか、窓のふちに止まりなおした。サーナは唇の端に、ほんの少し笑みを浮かべて、その様子を見守っている。

王宮の中庭にある噴水にも似たような鳥が何羽も来ていた。あの頃の事が思い出される。まだそれほど時間が経ってはいないのに、もうずっと昔の事のようだ。浮かんだ微笑を消して、彼女は物思いに耽った。

「サーナ、お前は僕が守るよ。お父様もお母様も、みんながお前を愛してる。もちろん僕もだよ? 僕はまだ子供だけれど、絶対立派な王になって、お前をずっと守ってあげる。ねえサーナ、いつかはお父様がいなくなって、僕が王になって、お前もどこかの皇子様と結婚する日が来るんだろうね。でもね、いつも僕はお前のそばにいるよ。どんなことがあっても、僕がいるから大丈夫だよ」

兄の言葉はいつも彼女を励ましつづけていた。幸せな生活ではあったが、忙しい両親が毎日のように彼女にかまっていられるはずもなく、いくら大勢の臣下に守られていても、その寂しさを隠せなかった日々。そばにいてくれたのはいつも兄だった。外に出たいといって困らせた時も、父王の大切な本を破いた時も、母の服を着て怒られた時も、かばってくれたのは兄だった。サーナにとって、兄は永続的な存在であり、常に自分のそばで自分を愛しつづけてくれるものだったのだ。その感情は幼い彼女の中で、愛情にも似たものであっただろう。しかしその兄はもういない。あの時、何かを言いかけた表情のままで……炎の渦の中に消えていったのだ。彼女の頬に、再び涙が伝う。

部屋の扉が開く音がし、彼女は慌てて涙をぬぐって振り返った。

「起きていらっしゃいましたか。もう昼ですよ。お腹も空く頃合だと思いますが」

計ったかのように、サーナのお腹が鳴る。サーナは赤く染まった顔を恥ずかしげに背けた。

「お腹が空くのは良い事ですよ。さ、食事にしましょう」

そう言って笑うヴィトの顔を見ると、少しは気が晴れてくる。先程までの暗い考えは少しの間忘れることにして、彼女は気を取り直した。ともかく今は、生きなければならない。何をすればいいのか全く分からないけれど、ただ落ち込んでいても仕方がないのだ。サーナは自分にそう言い聞かせた。

食事の準備がされている部屋に行くと、リュークの姿がない。サーナは小首をかしげて、ヴィトの服をひいた。言葉を発することが出来ない彼女の気持ちを察したのか、ヴィトが口を開く。

「リュークがいないのが不安ですか?」

サーナは、首を縦に振った。

「彼は北へ向かいました。彼にはやる事があると、その成否が世界の運命を分ける事になる、という予見の結果です」

今度は、首を傾げてみせる。

「少し難しかったですか。サーナ皇女、リュークはもういません。ただ、いつか戻ってくるでしょう。あなたに出来る事は待つ事です。希望を捨ててはいけません。いいですね?」

小さく頷いて食卓に近寄り、サーナは椅子に腰掛けた。ヴィトはその顔に微笑を浮かべて、自分も食卓についた。

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