Legend of The Last Dragon −第三章(8)−

鉄の門扉は開け放たれたままになっていた。あたりに兵士の姿はない。リュークが注意深く中に入ると、そこは台所のようだった。いくつもの鍋や調理道具が床に散乱していたが、不自然な静けさが漂っている。正面の扉から廊下へ出たが、やはり誰一人として姿が見えない。物音もしない。リュークは訝(いぶか)しげに目をきょろきょろさせた。

――なぜ誰もいない? 第一、静か過ぎる……。

と、突然遠くで、恐らくは町の方角だろう、猛獣の咆哮のような声が響いた。距離があるせいであまり明瞭には聞こえないが、その響きはリュークを腹の底から震え上がらせた。心拍数が、ぐんと上がる。若い盗賊は、今まで自分が聞いたことのあるどんな獣の声とも違うその声に、ぞっとするほどの寒気を感じていた。更に、建物が崩れるような音、大勢の叫び声などもかすかに聞こえる。体が固まってしまったように動かない。しかし騒音はしばらくすると小さくなり、やがて再び静寂があたりを支配した。

――何なんだよ、一体、何が起こってんだ?

両脇の石壁にそって恐る恐る歩を進めていく。宝物庫のあるあたりは、見当をつけてあった。進入したのが王宮の最南端とは言え、宝物庫まではそう遠くないはずである。リュークは何が起こっても対処できるよう、油断なく気を配りながら歩いていった。……しかし今となっては、本当にこの宝石を宝物庫に返す必要があるのかすら定かではなくなっている。先程の兵士の言葉や、恐ろしい咆哮などが気になって仕方なかった。何かが起こっているのは間違いがない。リュークは不安に駆られながら、それでもゆっくりと歩き続けた。何か恐ろしい事が起こるような予感がしてはいたが、彼は歩みを止めなかった。恐らくは、彼自身の好奇心がそうさせたのである。

そのリュークの耳に、ことっという小さな音が聞こえたのは、彼がいい加減引き返そうかという気になってきた頃の事だった。小さな音に過剰に反応したリュークは、体の半分ほどの高さまで飛びあがって、思わず剣を抜いた。冷たい汗が額から顔の横を伝う。

小さな音は、すぐ横の部屋の中から聞こえたようだった。ルセール王宮は扉で仕切る部屋はほとんどなく、この部屋も他と同様に厚い革の布が下がっているだけだった。中に何が……? リュークは緊張して喉を鳴らし、そっと中を覗く。人影は見えない。どうやら子供部屋らしく、小さな子供が遊ぶようなおもちゃが乱雑に散らかっている。彼は用心しながらその部屋の中に入っていった。もちろん剣は構えたままだ。ここでも静寂が、広い部屋の中全てに満ちていた。

「だれ? お兄ちゃま?」

突然か細い、しかし鋭い問いかけがあり、リュークはもう一度飛びあがった。もう少しで叫び声を上げてしまうところだ。破裂しそうな心臓を押さえて身構える。しかし声の主は、どう考えてもこの部屋の持ち主くらいであろうと思われる、小さな子供だった。大きなおもちゃ箱の後ろから、小さな頭が覗いている。リュークはほっと息をつき、それから驚きを隠そうと、思わず笑顔を作った。

「俺は、リュ……グ、グレイ」

「ぐぐれい? ふふ、変な名前」

「いやグレイだよ。……で、その、お前は?」

「あたし……えと、私はルセール王のむすめ、サーナ」

「王の娘?! 皇女様かよ!」

「しいいいいいいっ! 大きな声だしちゃダメ! お兄ちゃまが、しずかに、かくれてなさいって言ったんだもの」

と、慌てた様子で両手を振っているのは、幼い少女である。まだ十歳にも満たないだろう。紫がかった赤い髪が腰のあたりまで美しく波打ち、何本もの細い金鎖で飾られている。褐色の肌とすんなり伸びた手足が愛らしい。小さな身体には透けるように薄い紫絹のヴェールをまとっていた。しかし何より印象的なのは、その可愛い顔からこぼれてしまいそうなほど大きい、紅色の瞳だった。不思議な事に、光の加減によっては紫にも、群青にも見える。その大きな目を好奇心できらきらと輝かせながら、彼女はリュークを手招きしていた。不審に思う気持ちを隠し切れずに、しかしそれよりも好奇心に打ち勝てず、リュークは剣をしまって少女の隣、大きなおもちゃ箱の陰に座り込んだ。

「で? なんで隠れてんだ?」

「りゅうがせめてきたんだって。サーナ、よくわかんないけど、お兄ちゃまがここにかくれてなさい、って言ったの」

サーナは真面目な顔だ。何度も、大きな瞬きをする。ぱちぱち、という音が聞こえて来そうなほどの長い睫毛が揺れた。盗賊と皇女は思わず見つめ合う。サーナは動かず、部屋への侵入者をじぃっと見つめている。その瞳に邪気はない。リュークは、自分が少女の大きな瞳に見入っている事に気づいて苦笑した。

「ねえ、どこからきたの?」

――俺は子供相手に何を……いやそれより竜だって? じゃあさっきの兵士が言ってたのは嘘じゃなかったんだな。……って言われてもぴんとこないけど、とにかく、とんでもねえ時にきちまったのは確かだな。こりゃ依頼どこじゃねぇや。

「ねえねえ……」

「問題は俺がどこから来たかより、これからどこへ行くかだよ」

「グレイ、どっかいっちゃうの?」

「昔の人は偉かった」

「え?」

「彼らの言う事には学ぶ事が多いんだ。古人曰く、『三十六計逃げるにしかず』ってね」

軽く片目をつぶってみせる。そしてリュークは、サーナが再び口を開く前に部屋から姿を消していた。

「さんじゅーろっけい……ってなに?」

サーナはしばらく首を傾げていた。が、一人にされて不安になったのだろう、急にそわそわし始める。彼女が部屋を出ようかどうしようかと思案していると、部屋の入り口にかけられた布が勢いよく上げられた。驚く少女の目に、顔をこわばらせた青年の姿が映る。その肩が荒い息とともに揺れていた。

「あっちはまずい、水路が崩れて台所まで水浸しだ。何が起こったか分かんないが、ここも無事じゃなさそうだぞ」

「で、でもお兄ちゃまがここにいなさいって……」

「はっきり言うけど逃げた方がいいぜ、皇女様。俺の勘じゃとんでもない事が起きそうだ。正門、水路の他に出口はあるのか?」

「えと、まちにぬけられるひみつの道があるって、お父さまが言ってたけど」

「どうやって行くんだ」

「ここを出てすぐ左にまがった先の突き当たりを右にいって、えーっと……四つあるうちのとびらの、いちばん左おくのをあけて、三つめの角を右にまがったつきあたりが中庭なのね。それでその北がわに水場があって、それにしかけがあるの」

「おいおい、覚えきれねえよ」

リュークは突然の状態に驚愕し、また慌ててもいたが、サーナの言葉に思わず笑ってしまった。身振りを加えて必死に説明するサーナの様子は、いかにも大切に育てられたお嬢様といった雰囲気で、どこまでも愛らしい。リュークの返答ももっともだと思ったのか、サーナは首を傾げて思案した。

「んーとね、とにかく中庭なの。サーナがつれてってあげる方がいい?」

「悪いがそうしてくれ。第一、お兄ちゃまがどう言ったか知れないが、お前もずっとここにいるのはどうかと思うぜ。さあ、急ぐんだ」

「う、うん」

二人が部屋を出ると、兵士の叫び声が聞こえてきた。廊下を走っていくと、騒ぎは徐々に大きくなっていく。大勢の兵士が走る音、鎧のかち合う音が響き、先程までの不気味な静寂は姿を消していた。平和なルセールでは耳にした事がないような物音に、皇女は怯えた表情を見せている。

「大丈夫だよ、この俺様がなんとかしてやるって」

リュークが冗談めかして言うと、大きな目が彼を見上げた。もう一度、「大丈夫さ」と繰り返すと、震えながらも頷く。その小さな手は、リュークの手を握りしめたままだった。

「あそこが中庭なの」

そう言ってサーナが指差す方向に、日差しが差し込んでいる廊下が見える。柱が立ち並んで回廊を作っているようだ。ここまでくれば後少し……ではあるのだが、先程から大きくなって来ている騒ぎは、その中庭あたりから聞こえて来ているのだ。リュークの胸に、黒い影がよぎる。ふと、そこに倒れている柱に躓(つまづ)きそうになり、彼は慌てて踏みとどまった。

――珍しいな、黒く光ってる柱なんて。

ルセール王宮では、その壁や柱のほとんどが漆喰(しっくい)で塗られているので白いはずなのである。彼は、長い髪をかきあげて首を傾げた。「柱」の先についているものが何なのかを確認しようとし……リュークはいつもの気取った格好のまま、一瞬にして凍結した。唇が薄く開き、青みがかった瞳が見開かれていく。サーナも、動けなくなっていた。ただ、小さな手だけが小刻みに震えている。中庭から聞こえてくる騒音も、その瞬間だけは、二人の耳に届いていなかった。

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