Legend of The Last Dragon −第三章(8)−

一方のリュークも苦虫を噛み潰したような顔で歩いていた。

――ワリードなんか信用出来るかってんだ。あの野郎、言う事とやる事が一致した試しがねぇ。

情報以外には何も得られなかったせいでいらいらする。ワリードの人懐こい笑顔を思い浮かべ、舌打ちをもらした。ふと、美しい女がその目に留まる。一見したところは、一人旅の女剣士と言ったところだ。リュークは途端に笑顔になる。

「宿をお探しですか?」

素早く女の前に回ると、微笑をたたえて話しかけた。これで笑顔にならなかった女はそうはいない。リュークは自信満々だった。しかし女は突然現れた男に不審な表情を隠せないようだ。リュークはすぐに戦法を変える。後ろ頭をかきながら、照れくさそうに笑った。

「驚かせたかな、ごめんよ。でしゃばりだとは思うんだけど、宿を探しているならと思ってね。ああ失礼、俺はグレイ。よければ君の名前を聞かせてくれないか」

「宿を探してるわけでもないし、名前を言う必要もないでしょ」

リュークの予想と裏腹に、女は素っ気無く言った。結い上げた深い藍色の長髪は美しく、眉毛をきつく寄せた顔は整っている。小さな唇を引き結んでいるのできつい顔つきになっているが、微笑めばさぞや華やかだろうと思われた。細身の剣を両腰に差し、無駄のない軽装鎧を着ている。リュークの目にかなう美女ではあったが、その素振りは取り付く島もないといった様子だ。短い拒否の言葉に思わず立ち止まりかけたリュークを振り返るでもなく、早足でそのまま立ち去ろうとしている。

――それで追い払えると思っちゃいけないな。

「あんたなんかに用はない、ってところ? だけど……」

「あんたなんかに用はないわ」

真っ直ぐに前を見据えたまま、うんざりした顔で言い放つ。しかしリュークは全く動じなかった。彼女の言葉も聞こえていないかのように追いかける。なんのかんのと言いながらついてまわり、追いかけ、追いかけられながら、二人は徐々に早足になっていった。

「ほっといてよ、ついでこないで」

「俄然、興味が出てきたな」

「私は興味ないわ」

「俺はある」

「ついてこないでって言ってるでしょ!」

「そういう態度はいつか痛い目に合うぜ」

ついにはお互いに大声を出しながら小走りになった。そして二人は同時に角を曲がる。どちらも曲がった先を見ていない。案の定と言うべきか、角から出てきた人物を避けきれず、リュークは相手ともつれてぶつかり合った。転びはしなかったものの、均衡を崩してよろける。女剣士は転びそうになったリュークにぶつからぬよう身をかわし、つんと顔を背けて歩き去った。

「ちっ、あの馬鹿女……」

リュークとぶつかったのは、黒いローブをまとった男だった。フードの下から押し殺すような笑い声が聞こえる。リュークは改めてそいつに向き直った。男は手で口を覆って笑いをこらえているようだ。

「くっくっく、リュークも失敗するんだね」

「て、てめぇ! ヴィトじゃねぇか!」

「やあ」

男はフードを上げ、眼鏡をかけた顔をさらした。細い金髪が風に揺れる。

「『やあ』じゃねぇよ! なんでこんなとこにいるんだ、俺はてっきりお前が死んだと思って……」

「相変わらず早とちりだな。そう簡単に殺さないで欲しいね」

「だ、だけどな、マイオセールの家に誰もいなくて……」

「精霊たちが前々から教えてくれてたんだよ。禍々(まがまが)しい気配が近づいてくるって、予見にも出ていたしね。私の方こそ、リュークはもう死んだものとばかり思っていたな」

「死の直前までは行ったさ」

「君が王宮に忍び込む日と、精霊達が教えてくれた日が一致していたんだけどね。言うのをすっかり忘れちゃったんだな」

まるで借りた本を返しそびれた、とでもいうような気軽さだ。軽い笑い声をあげたヴィトに怒りを覚えたリュークは、精一杯の嫌味を口にする。

「お陰で俺は危うく死ぬとこだったんだけどな」

「ああ、ごめん。ついうっかり忘れていたんだよ。悪かったね」

「ついうっかりで片付ける気かよ」

リュークは積年の恨みをも込めてヴィトを睨みつける。しかしヴィトはその言葉を聞いたからといって微動だにせず、笑顔も絶やさなかった。眼鏡の奥の表情は読み取れないが、浮かべた笑顔に変化はない。リュークは、今までの経験を思い起こして「失敗したかな」と思い始めた。そして、しばしの沈黙の末、ヴィトは言った。

「悪かったと、謝っただろう?」

その口元には笑みが浮かんでいるが、目は笑っていない。静かな、しかし冷え冷えとするような響きを持った言葉に、リュークは思わずたじろいだ。リュークが怯える必然性は全くなかったが、ヴィトの有無を言わせぬ迫力に気圧されているのだ。彼は、もはや謝りたいという気さえしていた。ヴィトから目を逸らして呟く。

「いやその……いいよ、もういい」

「そう、許してくれて良かった」

途端にヴィトは極上の笑顔に切り替える。

――全く、逆らえやしない……。

「何にせよ、再会出来たのは喜ばしいね。記念の祝杯でも挙げに行こうか」

「いや、実は連れがいてさ。人に預けてあるんで、そうそう長くは留守に出来ねぇんだよ」

「珍しいね、リュークが誰かを連れて歩くなんて」

「俺だって出来ればほっぽり出していきたいけどな、そうもいかない相手なんだよ。長くなるけど……いいや、歩きながら話そう」

二人は頷き合うと、リュークが来た方へと歩き始めた。リュークは人通りの多い街路を好み、ヴィトは逆に裏通りを好んだが、娼家へは結局大通りを通った方が分かりやすいようだった。リュークは人込みをすり抜けるようにしながら、ヴィトを娼家へと案内していく。もちろん、ヴィトがいようがいまいが関係なしだ。相も変わらず、まるで寄せては返す波のように、ヴィトと様々な女の間を行き来している。混雑した場所が苦手なヴィトは嘆息していたが、突然、何かを思い出したようにくすくすと笑い出した。

「何だよ?」

「さっきの事を思い出したんだ。珍しいものを見せてもらったよ。面白かった」

「あの女か。それほど俺の趣味じゃなかったさ」

「そう? それにしては随分しつこく付きまとっていたみたいだったけど」

「あいつだけに付きまとってたわけじゃない」

リュークは上着を軽く開けてみせる。その内側には膨らんだ財布がいくつも納まっていた。

娼家の広間には、この娼家の富を象徴するかのような噴水があった。ルセール地方でこうして水を流し続けるというのは随分と豪勢なことである。それほど大きくはないが、噴水は昼夜を問わず湧き出していた。広間というより中庭的な作りで、天井は吹き抜けになっている。四つ角に高い柱が建てられ、二階の回廊を支えていた。二階も一階と同様に回廊型だ。どっしりとした柱には、手の込んだ彫刻が彫られている。これもまた富を誇示する意味合いがあるのだろう。

大勢の客が広間でくつろいでいる。男女の奴隷が食事や酒などを運ぶために、客の隙間をぬって歩いていた。ラハブたちも幾人かは広間に出てきて、客とともに食事をしている。ここでは時間の概念があまりない。客は、昼も夜もなく来る。外は暗闇が支配していたが、気温はそれほど低くはなかった。むしろ昼より夜の方が、広間へ出るには適していると言えるかも知れない。湿り気のある暖かな空気と香水の甘い匂い。灯火があたりを柔らかく照らしている。吹き抜けから見上げる空にはメルィーズが多くの星々を従えて輝いていた。

「リューク、本当にここに預けたのか、かの皇女様を?」

「ああそうさ、何か問題あるか?」

「私は遠まわしに『考えなしだ』と言っているんだけどね」

「余計なお世話だ。……あれ?」

リュークの目に、先程サーナを預けたはずのラハブが横たわっているのが映っている。彼女の傍らには、事もあろうに領主であるアンワールとその側近たちが座り込んでいた。他にも幾人ものラハブが寝そべったり、客にもたれかかったりしておべっかを使っている。宴は今や最高潮といったところで、他の客は広間の隅の方で遠慮がちに飲み食いしているばかりだった。

「察するところ、彼女に預けたわけだね。あの状態では話を聞きだす事もままならないんじゃないかな。で、サーナ様は今どうしていらっしゃるだろうね?」

髪をかきあげて目を逸らすリュークを、ヴィトは呆れ顔で眺めた。リュークはヴィトと目を合わさぬようにして頭をかいている。

「しょうがないね、リュークは。昔から、最後は私が始末をつけてあげなくてはならないのだから」

「ぎりぎりまで自分の手を汚すのが嫌いなだけじゃねぇか」

「言うようになったね、リューク。……本当に、随分成長したよ。昔はよく泣いていたのにね」

眼鏡の奥でヴィトの目が意地悪く笑っていたが、リュークは聞こえない振りを装って立ち上がった。酒の注がれた杯を運んできた少年奴隷に小さく耳打ちをして、アンワールの集団を指し示す。渋り顔の少年に銅貨を数枚握らせると、少年は軽く頷いた。そのまま盆を片手に、何気なく宴に近づいていく。

しばらくその近くをうろうろとしている様子はあからさまに盗み聞きをしているようで、リュークは人選を失敗した、と頭を抱えたが、アンワールたちはそんな些末な事は気にもならぬようだった。大声で笑い、浮かれている。ラハブに気に入られようと彼らは金をばらまき、必死でおだて上げているようだ。ラハブたちの間からしばしばあがる嬌声が、吹き抜けを通って夜空に吸い込まれていく。サーナを預けたラハブも、まるで女王様気分で、男たちに気前よく笑顔を配っていた。

少年奴隷は食器を山ほど抱えて戻って来ると、リュークにひそひそと囁いた。リュークがもう一度銅貨を握らせたので、少年は満足したようだ。再び食器を抱えて店の奥へと姿を消す。

「相手は領主だし、とても席を外せなそうだってさ。酒に酔って絶好調だとよ」

「聞こえたよ。その程度の事で銅貨数枚か」

「あいつ、サーナから目を離すなって言っといたのに……」

「それより彼女の案内なしでどうやって個室へ行くつもりなのかな?」

ラハブたちの個室は、広間よりずっと奥まったところ、もしくは二階にあった。ラハブと一緒でなければ、客は個室へ入れないのが道理である。広間の柱と柱の間には衛兵たちが立っていて、勝手に個室へ行けないように見張っていた。しかしリュークは今までの失態回復とばかりに意気込んでいる。

「ヴィト、俺の職業を忘れたのか? 裏口で待っててくれ、すぐに行くよ」

そう言うと、身をひるがして娼家の奥へと消えていった。

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