LL index≫第三章(一気読み) (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14)
後ろで鉄の門扉が閉じられると、ひんやりした空気がリュークを包む。暑さは和らいだが、代わりに嫌な湿気と臭気がまとわりついた。間隔をおいて響く、水滴が垂れる音以外、何も聞こえない。薄暗い通路が、先の暗闇の中に伸びている。壁の所々に設置された灯りがあたりを照らしていたが、足元は暗い。外の明るさに慣れた目を何度もしばたかせる。ようやく見えるようになってくると、リュークは水路の脇の狭い通路を歩き出した。
水路は複雑な構造になっていたが、リュークは壁に右手をつき、ゆっくりと歩いていく。やがて、掃除夫たちの声が聞こえてきた。掃除夫たちは水路の掃除に励んでいるようだが、リュークのいる通路からその姿は見えない。少し先に曲がり角があり、その先の明かりの方から声と、掃除用具でこする音だけが聞こえてくるのだった。
「いやあ、後ちょいだなぁ」
「そだなや。長くて、大変だったな」
「おいらは腰が痛くなっちまったよぉ」
「ほらほら無駄口じゃ。掃除せんと……」
「そうだったなぁ、早く終わらして、酒場で一杯やろうなぁ」
「もう後はここだけよな。さあさ、掃除掃除っと……」
リュークは掃除夫の服を脱ぎ、更にその下の自分の服も脱ぎ捨てた。下着だけになると、彼は少々口を歪め、それらを小さくたたんだ。これから起こるはずの事をじっと待つ。待ちくたびれてきた頃、それは起こった。掃除夫たちが掃除を終え、リュークのいる方に戻ってきたのである。濡れたり汚れたりする事を覚悟すれば、彼らをやり過ごすのはたやすい。すぐ横の水路に下りればいいのだ。水位はそれほど高くはない。腰のあたりまで水につかり、リュークは通路側の壁に体を押し付けた。暗い足元、しかも水路の中などには目もくれず、掃除夫たちは帰っていく。すぐに水路から出て、掃除夫の服で体を拭いた。それを水路に投げ捨て、改めて自分の服を着る。
――我ながら無駄がないぜ。
いつものように髪をかきあげ、ふっ、と笑みを漏らしたが、すぐに真剣な表情に戻った。
「彼らが帰っていく時、衛兵たちが『さっきの掃除夫はどこだ』と聞くかも知れない。そうすると、掃除夫たちは今日来てるのはこれだけのはずだと答えるんだろうな。じゃあ後から来たあいつは誰だ? という事になって……必然的に衛兵が来る、と。それまでに城に侵入していなくちゃいけないってわけだ」
言い終わる前にリュークはもう走り出していた。ここからの行動の素早さが今回の成功にかかっているのである。少し走るとすぐに、大きな鉄の扉が見えてきた。恐らく城への進入口である、水路の出口だろう。扉の前には衛兵と水門の門番がいる。門番はとるに足らぬだろうが、衛兵には少々苦労するかもしれない。リュークは息を整えると、腰の太い革帯から細身の剣を抜いた。衛兵がリュークの姿を見咎め、素早く構える。
「剣を抜いて近づいてくるとはいい度胸だ。どこから進入したかは知らないが、ここで死んでしまえばそれも関係ないな。行くぞ、侵入者!」
衛兵は音をたてて剣を抜き放ち、リュークに切りかかってきた。衛兵の動きは素早く、先に門番の足を止めようと思っていたリュークはその剣先をかわすのに精一杯である。剣がかみ合い、硬い金属音が水路に響く。しかしほんの数十秒で、二人の動きが止まった。二人は今や互いの剣を交差させ、渾身の力を込めて向き合う形で静止している。にらみ合うお互いの額に、じわじわと汗のつぶが浮いてきた。と、衛兵が門番に向かって叫ぶ。
「何をぼやぼやしている! 城内に知らせろ!」
水路の門番は丸腰で、背の小さな男だった。衛兵の大声に慌てふためいている。城に侵入者が忍び込むなど、前代未聞の出来事だったのである。彼はどう対処していいか分からず、おろおろとしていた。しかしようやく水路の脇の扉を開け、城内に姿を消した。
――ちっ、ヴィトの仕事はいっつもこうだ。簡単にいったためしがねぇよ。
目前の敵を早く倒してしまわねば、城内から応援の兵が駆けつけるだろう。リュークは舌打ちをすると、相手の剣から弾き飛ばされるようにして後方に飛び退った。二人は、互いの隙を伺う。じりじりと時間が過ぎていく。
城内の兵はすぐにでも駆けつけてくるだろうと思われた。が、しばらく経っても何の音沙汰もない。呼びに行った門番が入っていったきり、門は僅かに開いたままだった。それを不審に思わないでもなかったが、今はそれどころではない。戦闘経験がそれほど豊富なわけでもない。このままではいずれやられてしまうだろう。と、リュークの来た方角から、つまり街の方角から鎧のぶつかり合う音が小さく響いてきた。
――おいおい、あっちが先かよ。勘弁してくれ、ここでやられたらミナちゃんに会えなくなるじゃねぇか。アリスや、レジー、カレン、ルイス、それからさっきラナの木で会ったお姉さんだろ、あと……。
随分と気楽な事を考えているようだが、実際には絶体絶命の危機に直面しているリュークである。例え何らかの事情で城内からの応援が来なかったのだとしてとも、今やもう街の衛兵が駆けつけてきたのだ。衛兵はこれで三人になる。リュークの剣の腕では到底適わないだろう。リュークはなんとか出来ないかと考えをめぐらせたが、あまりいい知恵は浮かばないようだった。
――こりゃそろそろ覚悟を決めないと駄目かな。
衛兵たちは何やら大声で叫びながら走ってくるようだ。彼らが走ると鎧ががちゃつき、その音と叫び声が水路に反響する。そのせいで何を言っているのか、よく聞き取れない。しかし彼らが近づくにつれ、ようやく分かるようになってきた。
「大変だ! 大変な事になった!」
「警備兵を集めろ!」
「王にも伝令を!!」
――? 侵入者を捕らえようってのとはちょっと違う雰囲気だな。
リュークと向き合っている衛兵もその異常さに気づいたのだろう。戦う相手より、突如起こった事態に気を取られたようだ。彼らは、どちらからという事もなく剣を下ろした。
二人の兵士はすぐにやってきたが、その表情は尋常なものではなかった。二人とも真剣な……いやむしろ顔面蒼白といった有様である。彼らは面当てを上げていたが、その間に見える顔には汗が幾筋も流れ、息が切れて肩が揺れていた。しかしその顔は緊張しきってこわばっている。見るからに悲惨な様相だった。走ってきた二人のうち、一人がもう片方に告げる。
「俺は王にお伝えしてくる!」
「ああ一刻も早く」
「おいどうしたというんだ、何があった」
「詳しく説明している暇はない、兵をかき集めるんだ! 竜を王宮へ入れてはならん!」
「何だって?!」
衛兵とリュークの声が重なる。新たに走ってきた兵士はその声で初めてリュークの存在に気づいたとでもいうような顔をした。
「なんだ、こいつは? いやこんな奴に構っている暇はない! 早く警備兵を! 俺は街の様子を見に戻らねばならん! とにかく早く行ってくれ!!」
「わ、分かった」
兵士たちは城内と街に向かって、それぞれ鎧の音とともに去っていく。後には呆然と剣を持って立ち尽くすリュークが、たった一人で取り残されていた。
「竜が現れたとか言ったな。……竜、って吟遊詩人の歌や伝説に出てくるような、あれか? まさかぁ……」
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