Legend of The Last Dragon −第三章(6)−

リュークが想像した通り、中庭は阿鼻叫喚の巷(ちまた)と化していた。そこでは恐ろしい戦いが繰り広げられていた。正確に言うならば「戦い」ですらない。ルセールの兵士たちは果敢に槍や剣を突き立てたが、その皮膚に傷一つ負わせる事が出来なかったのである。彼らがどれだけ勇敢に立ち向かおうと、事態は酷(ひど)くなるばかりだった。相手はたいまつを投げつけてもびくともせず、かえって吐き出される炎が兵士たちを飲み込んでいく。

「シュウス陛下! お逃げ下さい!」

「セレス皇子と街へ!」

兵士たちにせがまれているのは、立派なあごひげを蓄えた人物だった。己の進退を決めかね、目の前の兵士たちの死に歯を食いしばり、その目は驚愕と憎悪に満ちている。大きな体と黒髪が、彼もやはりルセール地方の男である事を証明していたが、頭髪やひげにはもはや白いものが混じり、顔には幾筋ものしわが刻まれていた。五十を過ぎた老体には立派過ぎるのではないかという程の鎧に身を固め、手には槍を持っているが、それらが目の前の敵に通用しない事は痛いほど分かっている。彼は歯噛みをしながら、自分の跡取りとなって国を治めていくはずの皇子を見やった。

若き皇子は、父王と同じ長槍を手にし、巨大な敵を睨みつけている。その瞳に恐怖心は全くなかった。国を、家々を、人民を滅ぼしていく炎に対し、それに負けぬほどの炎をその瞳に宿し、セレス皇子は逃げるまいと両足を大きく広げて立っている。若く燃えたぎる想いが彼を下がらせようとはしなかった。

「皇子! お願いです、どうか王を連れて……」

「ルセールの皇子たるこの僕に、逃げろと? いや、僕はここを退かない。王と皇子が宮廷を明け渡して逃げるなど、レノアの奴らに笑われるぞ!」

「セレスの言う通りだ。下らぬ事はもう言うな。例え我々が死んでも、ここは肥沃な地、また人々が集い、国は再建される。だが我ら二人だけでは再建出来ん。それに、お前たちをここで置き去りにすれば、わしは残りの生涯を悔いて過ごさねばならん」

「陛下……!」

兵士は、もう僅かしか残っていなかった。金属製の鎧は、際限なく向かってくる炎に対して無力だったのである。鎖で編んだ帷子(かたびら)は、剣や槍は止めても、炎の進入は止められなかった。容赦なく鎧を焼き、隙間から入り込み、炎は中の人間を焼き尽くす。あたりには数え切れないほどの兵士が倒れ伏し、ひどい悪臭が鼻をつく有様だった。それだけでも十分身の毛がよだつ光景だが、元凶はいまだ中庭にそびえたっている。その背に、レノアの青い鎧が見えていた。

「愚かなる王よ、先の大戦で引き分けたとでも思っていたか。レノアを甘く見たな! これで決着が着く、レノアの勝利が確実なものとなるのだ!」

「これは正当な戦いではない! ルセールはレノアに屈したわけではないのだ! 今にお前たちは思い知るだろう、いかに自分たちが卑怯な手段を使っ……」

「そんな事はどうでも良い! さあ今ここに滅びるがいい、ルセールの王シュウス、そして皇子セレスよ。ここにルセールの短い歴史も幕を閉じるのだ!」

「ルセールは終わらない! 僕らが死んでもきっと残る! いつか、きっと再建されるんだ!」

「戯言だな、脆弱(ぜいじゃく)な皇子よ。死にたまえ、愚鈍なる父王と共にな。さあこれで最後だ。アルヴェイス!」

アルヴェイスと呼ばれた竜は、今にも最後の攻撃に移ろうとしていた。二つの真っ赤な瞳が燃え上がる。大きく開いた、やはり真っ赤な口に熱気が込められていく。耳をつんざくような咆哮があたりに響き渡った。

その声で呪縛から解き放たれたかのように身震いしたサーナの目に、父親と最愛の兄の姿が映る。同時に、兄セレスにも妹が見えたようだった。何か言おうとしたのかその口が開く。が、それはほんの一瞬だった。轟音とともに壮絶な炎が吐き出され、その紅蓮の炎の向こうに、国王と皇子の姿がかき消える。想像を絶する程の熱気が中庭と回廊に渦巻き、やがてそれが静まると中庭に倒れていた兵士のほとんどは真っ黒な墨のように焦げていた。

「いやあああああああっ! !」

突如、甲高い叫び声が響く。翼の付け根に乗ったレノア兵士が振り返る直前、リュークはサーナの口を押さえて柱の影に飛び込んでいた。口を押さえているリュークの手に、サーナの熱い涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。声にならない涙は止めどなくその頬を伝い、辛い現実を認識した彼女の体は震えが止まらなかった。紅色の大きな目を見開いたまま、彼女は両手の指を強く握り合わせ、胸に押し付けている。リュークは息を殺し、サーナを抱きかかえるようにして柱にぴったりと身をつけて目を閉じた。

――頼む、見逃してくれ! 

竜の巨体が動く気配はなかったが、リュークはじっと動かなかった。恐怖のために動けなかったのである。耐え切れぬほどの緊張感と、痛いほどの静寂があたりを支配した。

どれくらいの時が過ぎたのか、リュークがもうこれ以上動かずにいるのは無理だ、と思った時、レノア兵士の声が聞こえた。

「……そこに誰がいるのか知らぬが、丁度良い。今ここで見た事をルセールの国民に知らせるんだ。お前たちの王と皇子は、確かに死んだとな」

サーナが暴れだすかと思ったリュークは、彼女を抱く両手に力を込めたが、サーナは今やぴくりとも動きを見せなかった。リュークはそれ以上彼女に構わず、柱の向こうに神経を尖らせ続けた。中庭で翼がはためく気配がし、やがてまき起こった風とともに竜が飛び去っていく。それが分かると、リュークは一生分の溜息を吐き出してサーナを解放した。しかし、放り出されたサーナは力なく、そのまま床に崩れ落ちた。

「お、おい」

その顔を涙で濡らしたまま、皇女は失神していた。長い髪がかかった顔は青ざめ、眉は強く寄せられたままだ。もはや生きる者の気配とてない王宮にこの少女を置いていく事は、リュークには到底出来なかった。あまりにも小さく軽いその身体を抱き上げる。

城下町もひどい状態だった。王宮前広場やその近くはもちろん、王都の大半が損害を受けている。家々はその一部や全体が崩れているものも多く、煉瓦の壁には焼け焦げた跡があちこちに残っていた。あたりには多くの犠牲者が倒れ、ものの焼ける臭気が鼻をついて思わず吐き気を感じる程だ。ラナの木やルセール王宮も、炎に焼かれたその姿を無残にさらしている。つい先程まで聞こえていたフィーピーの鳴き声も今はなく、遠く地平線が町中から見る事が出来るといった状態だった。

残された人々は一様に無気力である。ある者は家をなくし、ある者は家族や愛する人を失ったのだ。彼らはまだ、悲嘆か途方のどちらかにくれながら座り込んでいた。

誰も、自分たちと瓦礫(がれき)の中を縫って歩く、青年に連れられた幼い少女が、自分たちの皇女であるとは思いもしないようだ。それは彼女が王宮から出た事がないせいなのだが、例え彼女の姿が国民によく知られていたとしても、彼らの目にその姿は映りもしなかっただろう。人々は自分たちの置かれた状況に対して、ただ、呆然としていた。

彼らの前に現れたのは、あれは一体なんだったのだろうか。お伽話や幼い頃の寝物語、はたまた吟遊詩人の歌や語り部の伝説に出てくる「あれ」によく似ていた。それでも、人々は断言出来なかった。まさか生きた、動いている「あれ」が目の前に出現したなどとは……。

リュークもまた、どうして良いか分からずにいた。この数時間に起きた諸々の出来事は、今でも信じられない。けれど、それはやはり現実なのだろう。眼前に広がる光景を見れば、信じざるを得ない。それは人間の力が及ぶ範囲をはるかに超えた現象だった。そしてその結果が今のひどい城下町であり、多くの犠牲者なのである。

積み重なった瓦礫を乗り越えて行く。服の中の右手に首飾りを、左手に少女の手を握りながら、リュークは町外れへと向かっていた。

――宝石と皇女、か。俺の手には負えねえ。とにかくヴィトに相談だ。……あいつの事だ、死んじゃいないだろう。

皇女サーナも、人々やリュークと同様、いやそれ以上に無気力だった。その身に降り注いだ事全てに立ち向かえるほど、強くはない。大きすぎる衝動が感情全てを奪っていったかのように、無表情のまま、彼女はただ歩いていた。自分の手をひく若者が誰なのか、自分がどこへ連れて行かれるのか、彼女にはどうでもいい事のようだった。転んだり座り込んだりする事すら面倒で、それくらいなら歩き続ける方がまし、とでも言いたげに、彼女は時折道端の石に躓(つまづ)きながらも歩き続けた。

着いた先は城下町の中でも外れの方にあったためか、それほど被害を受けていないようだった。リュークは扉を叩き、声をかける。しかし中からの返事はない。なおも叩いてみるが、中から開ける者も、合い言葉を問う者もいなかった。

――嘘だろ、まさかヴィトまで……。

リュークは愕然とした。がっくりと頭を垂る。しかしサーナはそれを見ても相変わらず無表情で、その場にただ立ち尽くしていた。静止したその情景はまるで、舞台の一場面のようだ。突然、背後で大きな音がし、リュークの体が跳ねた様に反応する。振り返って見ると、犠牲者を山のように積んだ荷馬車が町の外へ向かって去っていくところだった。

リュークは無言のまま立ち上がり、服についた汚れをはたき落とした。冷たい表情を浮かべ、サーナを振り返る。が、しかし、すぐにその顔を歪める。

「仕方ねえか。俺もお前さんをほっとけるほど堕ちちゃいねえよ」

息を吐き出しながら言う。サーナは彼の優しい言葉にすら反応せず、突っ立ったままだ。リュークはもうそれには構わず、幼い皇女の手を引いて扉を押し開けた。家の中には、当然といえば当然だが誰もいない。椅子などの家具がそこらに倒れており、窓は開け放たれたままになっている。リュークは皇女を椅子に座らせて、棚に近づいた。それからおもむろに引き出しを、下から順に開けていく。台所へ行ってはパンなどの食料を、寝室へ移動しては防寒具などをその手に取る。必要そうな物は全て懐か、背中にかけた包みに入れた。まさしく盗賊である。だが文句を言う者はいない。優しく響く声で皮肉を言ってくれる友人はいないのだ。リュークは硬い表情のまま、一度も振り返る事なく家を出ていった。

町のあちこちから、細い煙がいまだ立ち昇っている。それは平和な日常の夕食の煙などではなく、大切なものを失った人々の涙すらを吸い取るかのような煙だった。嵐でも通過したかのような町には、焼け焦げた木の匂いと埃っぽい空気が漂っている。悪夢の象徴である煙や埃に、ハーディスの光が当たってきらめいていた。その背景には、割れた水がめや横倒しになった荷馬車、風で飛ばされた扉代わりの布などが散乱している。家の庭先などでは果樹が折れ曲がり、道端には壊れたつぼが転がっている。マイオセールの惨状を示すそれらの上に、ハーディスは惜しみなく降り注ぐ。皮肉にも、その光景にはある種の美しさがあった。

そしてまた、そこには人々の強さが徐々に浮き上がってきていた。マイオセールの民はようやく衝撃から醒め、自分が出来る事に手をつけ始めている。傷を癒せる者は走り回って治療を施し、もう二度と目覚めることのない犠牲者は街の外に運ばれていく。男たちは崩れた家々をなんとか修復しようとし、女たちは食事の支度や片付けに追われていた。虚ろだった彼らの目は、少しずつではあるが、ようやく光を取り戻しつつある。そんな街路を抜け、リュークは東の街道へ向かった。

マイオセールは平坦な荒野の真ん中に作られた円形都市である。城下町を囲うような高い壁はない。街の端には低層の人々が住む民家がまばらに建てられ、大通りがそのまま街道となって街の外へと続いている。ルセールが統一されてから、大掛かりな軍隊などに攻め入られた事がないからこそ、この作りのままで問題がないのだろう。町の近くには、街道沿いに申し訳程度の関所が設けられているだけだった。

マイオセールからは北、南西、東のそれぞれに向かって、僅かな水路を辿った三本の街道が引かれている。北は砂漠へ、やがてぶつかる山脈を越えてレノアへ。南西は海産物の獲れる港町やミチロ皇国、カルツ国へ。そして今リュークが向かっている東の街道は、ミクリナ島の絹が着く港町コーウェンまで続いていた。三本の街道以外を旅人がやってくる事はない。水もなく、気温も高い荒野を旅するだけで体力のほとんどは消耗し、延々と続く地平線だけでは方向感覚もなくなって精神力も尽きる。果てしなき荒野は、その存在だけでマイオセールを外敵から守っていたのである。

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