Legend of The Last Dragon −第五章(4)−

あれから、どれほどの時が経ったのだろうか。クレオは泣き疲れ、岩のくぼみに座り込んでいた。時折すすり泣きはするが、もう声を上げて泣く元気もない。山の空気は澄んでいて、頬を撫でる夜風は冷たい。彼女は両腕で体を抱えるようにしてうずくまっていた。デュレーの方向は分かっているが、独りで歩き続ける気力も体力もない。

まるで幼い子供のように膝を抱えていた彼女が顔を上げたのは、砂利道を踏みしめる、ゆっくりとした足音が聞こえたからだった。はっとして山道を見つめる。もしかしたらクルイークが……そう思うと体が震える。くぼみの内側に体を隠すようにしてじっと見ていると、やがて足音の主が目の前の山道をやってきた。

「……!」

クレオは慌ててくぼみを飛び出した。文字通り、倒(こ)けつ転(まろ)びつ走っていく。彼女の目には、負傷した青年が映っていた。足を引きずり、歩くのもやっとといった様子で、長剣を支えにしながら少しずつ前に進んでいる。

「シキ!」

走り寄ると、シキは真っ青な顔に笑みを浮かべた。

「良かった、無事だったか」

「あ、わ、私は大丈夫、だけど、私なんかより、シキの、あ、足が……こんな……」

「最後の最後で不覚だった。俺もまだ甘いな。……それよりクレオ、エイル様とクリフはどこにいる」

それを聞いたクレオの唇がきつく結ばれ、はしばみ色の目に大粒の涙が浮かぶ。

「分かんないの……クルイークに追われて、エイルが足を踏み外して……」

「馬鹿な!」

「ご、ごめんなさい」

シキの声の大きさに驚き、クレオが首をすくめる。

「い、いや、すまん」

「私、怖くて……暗かったし、よく分からなかったけど、エイルを追って、クリフが降りていったの。私はもう一頭に吠えられて、夢中で走って……気づいたら、もう独りだった……」

先ほどまでの恐怖が蘇る。どんなに堪(こら)えようとしても、頬に涙が伝う。その様子を見て、シキが荒い息の下から言った。

「クレオは、悪くない……怖かったろう、もう、大丈夫だからな」

口にする言葉とは裏腹に、シキはその端整な顔を歪めている。右足の痛みは全身に広がり、彼の強靭な身体は疲労と苦痛に侵されていた。少しでも気を抜いたら痛みで気を失いそうだというのに、彼は山道を登ってきたのである。双子を心配する気持ちはもちろんだろうが、何よりもエイルに対する忠誠心ゆえだったのだろう。そのエイルを、我が身より大切に思う主君を守れなかった事に対する自責の念は、足の負傷とは比べ物にならぬほどにシキを傷つけていた。

その思いを推し量る事は、ごく容易だった。クレオはシキの傷と表情を見比べて、どうしようもない息苦しさを感じた。エイルは今頃どこにいるだろうか。クリフはどうしているのだろうか。二人が無事かどうかすら、定かではない。シキにとっても、クレオにとっても、掛け替えのない相手を失ってしまったのかも知れないのだ。全身に、寒気が走る。クレオは頭を振ってその考えを打ち消した。

「あの……歩ける?」

「ああ、何とかな。……すまんが、肩を貸してくれ」

「は、はい」

シキとクレオでは、ゆうに一サッソほども身長差がある。長身のシキを支えるのは楽な事ではなかった。肩の下にもぐりこむようにして、その背中に左腕を回す。ずっしりとかかる重みが、シキの苦痛を感じさせた。クレオは必死に歯を食いしばり、泣くまいと耐えた。

――今は、何も考えちゃ駄目。とにかくデュレーへ行かなくちゃ。早く、傷の手当てを……。

何も考えるなと言い聞かせたにも関わらず、彼女の頭の中には罪悪感が渦巻いていた。

何も、何も出来ない。シキや、アザムと呼ばれていた傭兵のように、獣と戦うことも出来ない。自分は彼らに助けてもらい、逃げ出したのだ。クリフと同じ速度で走ることも出来なかった。エイルを助ける余裕もなかった。隣を走っていたエイルが足を踏み外し、必死に手を伸ばすのを、息を呑んで見ているだけだった。何も見えない崖の下が怖くて、立ちすくんだ。自分が走り寄るより先に、クリフは崖を降りていった。クリフには、何の躊躇いもなかった……。

自分に助けを求めるエイルの大きな瞳と、呼び止める間もなく駆け降りていったクリフの横顔が、頭の中で交錯する。

――私、どうして……どうして、ここにいるんだろう。連れて行って欲しいなんて、何で言っちゃったんだろう。何も知らなかった。何も出来なかった。何も出来ない私なんか、いても足手まといになるだけなのに、何で……。

突然、左肩が急激に重くなった。支えていたはずの身体がずり落ちる。

「あ、ちょ、ちょっと……」

クレオが言っている間に、シキの身体は完全に崩れ落ちた。支えきれず、引きずられるようにして膝をつく。腕の下から這い出すようにして離れ、慌ててシキの顔を覗き込んだクレオは、思わず両手で口を覆った。

「シキ……!」

シキの両目は閉じられ、顔面は完全に蒼白で、冷や汗が滴り落ちている。息は、していないようだった。

「そんな、お、起きて……目を開けて! 嫌、そんな、嘘よ!」

クレオは叫び、シキの体を揺らした。何度揺らしても、何の反応も返ってこない。ふと目をやると、右足の付け根に結ばれていたはずの布が緩んでいる。シキの右足は、腿のあたりを中心にして半分以上が朱(あけ)に染まっていた。開いた傷から血が溢れ、地面までを濡らしている。

頭から足の先までが何かに縛られたように、びりびりと痺れている。クレオはまるで自分の血がそこに流れているかのように青ざめていた。こんなひどいことがあるだろうか。あれほど強く、雄々しく、何者にも屈しなかったシキは、今、自分の眼下に打ち伏している。その顔は染める前の麻布のように白く、もはや何の表情も見て取る事が出来なかった。クレオはあまりの衝撃に、顔を覆ったままうつむいた。

「……」

聞き取れないほどの小さな声が、クレオを呼んでいる。クレオは気づかない。シキの右手がごくゆっくりと動き、クレオの服の裾をひく。かすかな声が、途切れ途切れに何かを伝えようとしている。ようやくそれに気づき、クレオは慌ててシキの口元に耳を寄せた。彼の言葉をひとつも聞き漏らすまいと、唇を噛み締める。聞き取るのがやっと、というほどの小さな声で、シキはいくつかの単語を切れ切れに吐き出した。

「……すまない」

最後にそう言うと、シキは再び自らの意識を投げ出した。

クレオは、しばらくじっと動かなかった。しかしついに、その肩が大きく、ゆっくりと、上下に揺れる。深い息を吐き出した彼女はおもむろに立ち上がると、ぐいと目をこすった。もう一度大きく息を吸い込み、それをすべて吐く。胸の中にあった何かを吐き出したクレオの目には、強い光が宿っていた。

腕まくりをする。シキが身にまとっていた軽装鎧を、何とか外す。血を見ると首筋が冷たくなったが、頭を振って気を取り直した。手が血で汚れるのも構わず、右足の付け根に布を縛りなおす。そしてぐったりと力を失ったシキの下にもぐりこむと、クレオは、全身の力を込めて立ち上がった。

一歩、また一歩。クレオは足を踏み出す。ほんの数サッソ進んだところで、耐え切れずに膝をついた。スカートの下にはいていたタイツに血が滲んだが、それをものともせず、クレオは再び立ち上がった。少し歩いただけで、汗が頬を伝う。しかし震える膝を叱咤激励しながら、彼女はまた次の一歩を踏み出した。

息が切れる。腕にも足にも力が入らない。これ以上は無理だ。何度もそう思いながら、それでもクレオは諦めなかった。一歩、そしてまた、一歩。クレオはシキを背負ったまま、数アルカッソを進んだ。

それは、彼女が何度目かに倒れそうになった時だった。いや、確かに彼女は倒れた。力が抜けて、地に両手と両膝をついたのである。しかし、両肩にずしりとかかってくるはずの重みが、逆にふっと軽くなった。クレオは驚き、四つん這いのまま、顔を上げた。彼女の目に、彼女と同じ顔が映っている。

「クリフ……! エイル!」

二人が、シキの腕と肩を支えている。クリフは半分泣き出しそうな顔で笑っていた。クレオはよろよろと這い出し、シキの体を横たえているクリフに抱きついた。

「クリフ! クリフ! クリフ……!」

それ以外の何を言えばいいのか、分からなかった。目が、次いで体が熱くなる。喉と唇が震えて、クレオは上手く喋ることが出来ないまま、子供のように泣きじゃくった。クリフも泣いていた。汚れた顔をくしゃくしゃに歪めて、泣いているのか笑っているのか分からないまま、二人は抱きあっていた。互いの半身を失くしたかも知れないという恐怖から開放され、座り込んだまま、喜びに打ち震えている。

「シキ」

双子の兄妹は小さな声で我に返り、声の主を見つめた。

シキが横たわり、エイルがそれへひざまずいている。それは、本来ならば有り得ない状況だった。エイルは今まで、シキが寝ているところなど見た事がなかった。旅をしている間中、シキはエイルより後に就寝し、エイルが目覚める時には既に目を覚ましていたからだ。しかし今、シキはぐったりと目を閉じたまま、固い地面に寝かされている。エイルは震える声で、再度呼びかけた。

「シキ、目を開けろ……シキ」

クリフがその肩に手を置き、隣へ座る。クレオは、シキを挟んだ正面にしゃがみこんだ。

「ちょっと前……気を失ってしまったの。その時、とにかく村へ行って、人を呼んで、何とか村へ運んでくれって言われたわ。自分の体力が回復したら絶対に二人を見つけるから、諦めちゃ駄目だって。それから、エイル様に謝らなければって言って……」

「なら! それなら、今すぐに起きて謝れ!」

透き通った青い瞳を潤ませて、少年は叫んだ。クレオにではなく、シキに向かって。

「早く目を開けるんだ、私に謝る事があるのだろう! それなら……いつまでも寝ているんじゃない!」

「エイル」

「私の命令だぞ、目を開けろ! 開けろったら!」

シキの身体に乗りかかるようにして、エイルは何度も叫んだ。溢れた涙を拭う事もせず、むしろそんな事には気づいていないかのように訴え続ける。息をしてはいるものの、横たわるシキの表情は、安らかとはいい難い。出血は何とか止まっているが、傷は深く、治るまでには恐らく長い時がかかると思われた。クリフとクレオは何も言えずに黙り込んでいたが、ふとクレオがエイルを見つめる。エイルはしゃくりあげながら、激しく目をしばたいた。

「エイル、ねえ、こういう時のための魔法はないの? 意識を取り戻すとか、傷を治すとか、そういう魔法があれば、シキは助かるわ」

「……そんな、便利なものじゃない」

涙で汚れた顔をこすりながら、エイルは説明した。

「魔法といっても何でも出来るわけではない。限度がある。傷を治すなんて、自然の力に反している。魔法は元々、自然の力に術者の力を加えて、より大きな力を出すものだから、自然に反することは出来ないのだ。それに、術法を唱える者にはとてつもない負荷がかかる」

「負荷って?」

クリフが首を傾げる。

「つまり……ものすごく大変だって事だ。火をつけるのも、水を呼ぶのも、人間の能力を超えていることだろう。術の力を無理やり引き出しているんだ。やり方を知ってるからと言って、誰にでも出来る事じゃない」

「そうなんだ……」

クレオが小さく呟く。エイルは目をそらして続けた。

「それに、意識を取り戻させるのは難しい。本人が願い、力を加える事ができないから」

「じゃあどうすれば……」

クリフが言いかけると、エイルが小さく息を呑んだ。

「エイル? 何か思いついたの?」

「うん……いや、ちょっと待て。……よし、そうだ、いや……うん、だとすれば、もしかして……出来るかも知れない」

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