Legend of The Last Dragon −第五章(5)−

いつでも使えるようにくわえていた矢を口から外し、大きく息をつく。脱力感を感じながら後ろを見ると、エイルが呆然と座り込んでいた。声をかけるべきかどうかためらう。クリフは一度エイルに背を向けると、息絶えているクルイークの死体に近づいた。

ぴくりともしないのを確認し、太い前足を乗り越える。自分の何倍もありそうな頭。大きく開いた口と、光を失ってどんよりと濁(にご)った目。だらりと垂れた舌は、二サッソ以上もありそうだった。口を覗くと、その奥に矢が深く突き刺さっている。それを抜くのは諦め、もう一頭の目から矢を引き抜いた。喉に刺さった矢は折れている。結局、一本だけを手にしてクリフはエイルのところへ戻ってきた。

「大丈夫?」

しゃがみこんでエイルの顔を覗きこむ。さっきまでの姿勢のまま、エイルは視線だけをクリフに投げた。力が入らず、全身が固まって動けないようだ。

「その、さっきはごめん。王子さまなのに……」

そう言いながら、クリフは頭をかいている。反省しきりといった様子は、凛として矢を放ったクリフとは別人のようだった。エイルは口を半分開けたまま、その顔を見つめている。

「あ、いやその、申し訳ありませんでした」

慌てて膝をつき、エイルの表情を伺うように見るクリフ。だがエイルは、小さく首を振った。

「いいんだ……。誉めてとらせる……いや、違うんだ……」

か細い声で言うと、エイルはうつむいてしまった。クリフが立ち上がり、座り込んでいるエイルに手を差し伸べる。

「立てますか?」

「……うん」

「クレオとシキを探しに行きましょう」

「クリフ……敬語は、いい」

「え?」

「……さっきは本当に死ぬかと思ったんだ。だけど、助かった。クリフのおかげで助かったから……だからその、なんて言えばいいんだ? 誉めたいんじゃないんだ、その……」

「『ありがとう』でいいと思うな」

見上げると、クリフは母親譲りの優しい笑みを浮かべている。

「あ、ありがとう」

「こっちこそ! エイルが火をつけてくれたから、助かったよ。ありがとう」

エイルは顔を赤くして立ち上がり、服の埃をはたいた。クリフは持っていた矢を矢筒にしまう。それから二人は揃って背後の崖を見上げた。彼らはこの上の山道から滑り落ちてきたのである。エイルが、恐る恐る口を開く。

「ここは、登れないだろう? ……どこか上に行ける道を探さなくちゃ」

「そっか、そうだね。よしっ、早いとこ道に戻ってクレオを探そう」

二人はクルイークの死体をまわりこむようにして、岩壁伝いに歩き始めた。

あれから、どれほどの時が経ったのだろうか。クレオは泣き疲れたのか、岩のくぼみに座り込んでいた。時折すすり泣きはするが、もう声を上げて泣く元気すらないようだった。山の空気は澄んでいて、頬を撫でる夜風は冷たい。彼女は両腕で体を抱えるようにしてうずくまっていた。デュレーの方向はわかっていても、独りで歩き続ける気力も体力もない。

まるで幼い子供のように膝を抱えていた彼女が顔を上げたのは、砂利道を踏みしめる、ゆっくりとした足音が聞こえたからだった。はっとして山道を見つめる。もしかしたらクルイークが……そう思うと体が震える。くぼみの内側に体を隠すようにしてじっと見ていると、やがて足音の主が目の前の山道をやってきた。

「……!」

クレオは慌ててくぼみを飛び出した。文字通り、倒(こ)けつ転(まろ)びつ走っていく。彼女の目には、負傷した青年が映っていた。青年は足を引きずり、歩くのもやっとといった様子で、長剣を支えにしながら少しずつ前に進んでいる。

「シキ!」

走り寄ると、シキは真っ青な顔に笑みを浮かべた。

「良かった、無事だったか」

「あ、わ、私は大丈夫です。私なんかより、シキの、あ、足が……こんな……」

「最後の最後で不覚だった。俺もまだ甘いな。……それよりクレオ、エイル様とクリフはどこにいる」

それを聞いたクレオの唇がきつく結ばれ、はしばみ色の目に大粒の涙が浮かぶ。 

「分かんないの……クルイークに追われて、エイルが足を踏み外して……」

「馬鹿な!」

「ご、ごめんなさい」

シキの声の大きさに驚き、クレオが首をすくめる。

「……い、いや、すまん」

「私、怖くて……暗かったし、よく分からなかったけど、エイルを追って、クリフが降りていったの。私はもう一頭に吠えられて、夢中で走って……気づいたら、もう独りだった……」

先ほどまでの恐怖が蘇る。どんなに堪(こら)えようとしても、頬に涙が伝う。その様子を見て、シキが荒い息の下から言った。

「クレオは、悪くない……怖かったろう、もう、大丈夫だからな」

口にする言葉とは裏腹に、シキはその端整な顔を歪めている。右足の痛みは全身に広がり、彼の強靭な身体は疲労と苦痛に侵されていた。少しでも気を抜いたら痛みで気を失いそうだというのに、彼は山道を登ってきたのである。双子を心配する気持ちはもちろんだろうが、何よりもエイルに対する忠誠心ゆえだったのだろう。そのエイルを、我が身より大切に思う主君を守れなかった事に対する自責の念は、足の負傷とは比べ物にならぬほどにシキを傷つけていた。

そのシキの思いを推し量る事は、ごく容易だった。クレオはシキの傷と表情を見比べて、どうしようもない息苦しさを感じていた。エイルは今頃どこにいるだろうか。クリフはどうしているのだろうか。二人が無事かどうかすら、定かではない。シキにとっても、クレオにとっても、掛け替えのない相手を失ってしまったのかもしれないのだ。全身に、寒気が走る。クレオは頭を振ってその考えを打ち消した。

「あの……歩ける?」

「ああ、何とか、な。……すまんが、肩を貸してくれ」

「は、はい」

シキとクレオでは、ゆうに一サッソほども身長差がある。長身のシキを支えるのは楽な事ではなかった。肩の下にもぐりこむようにして、その背中に左腕を回す。ずっしりとかかる重みが、シキの苦痛を感じさせた。クレオは必死に歯を食いしばり、泣くまいと耐えた。

――今は、何も考えちゃ駄目。とにかくデュレーへ行かなくちゃ。早く、傷の手当てを……。

何も考えるな、と言い聞かせたにも関わらず、彼女の頭の中には罪悪感が渦巻いていた。

自分は何も出来ない。シキや、アザムと呼ばれていた傭兵のように、獣と戦うことも出来ない。自分は彼らに助けてもらい、逃げ出したのだ。クリフと同じ速度で走ることも出来なかった。エイルを助ける余裕もなかった。隣を走っていたエイルが足を踏み外し、必死に手を伸ばすのを、息を呑んで見ているだけだった。何も見えない崖の下が怖くて、立ちすくんだ。自分が走り寄るより先に、クリフは崖を降りていった。クリフには、何の躊躇いもなかった……。

自分に助けを求めるエイルの大きな瞳と、呼び止める間もなく駆け降りていったクリフの横顔が、頭の中で交錯する。

――私、どうして……どうして、ここにいるんだろう。連れて行って欲しいなんて、何で言っちゃったんだろう。何も知らなかった。何も出来なかった。何も出来ない私なんか、いても足手まといになるだけなのに、何で……。

突然、左肩が急激に重くなった。支えていたはずの身体がずり落ちる。

「あ、ちょ、ちょっと……」

クレオが言っている間に、シキの身体は完全に崩れ落ちた。支えきれず、引きずられるようにして膝をついてしまう。腕の下から這い出すようにして離れ、慌ててシキの顔を覗き込んだクレオは、思わず両手で口を覆った。

「シキ……!」

シキの両目は閉じられ、顔面は完全に蒼白で、冷や汗が滴り落ちている。息は、していないようだった。

「そんな、お、起きて……目を開けて! 嫌、そんな、嘘よ!」

クレオは叫び、シキの体を揺らした。何度揺らしても、何の反応も返ってこない。ふと目をやると、右足の付け根に結ばれていたはずの布が緩んでいる。シキの右足は、腿のあたりを中心にして半分以上が朱(あけ)に染まっていた。開いた傷から血が溢れ、地面までを濡らしている。

頭から足の先までが何かに縛られたように、びりびりと痺れている。クレオはまるで自分の血がそこに流れているかのように青ざめていた。こんなひどいことがあるだろうか。あれほど強く、雄々しく、何者にも屈しなかったシキは、今、自分の眼下に打ち伏している。その顔は染める前の麻布のように白く、もはや何の表情も見て取る事が出来なかった。クレオはあまりの衝撃に、顔を覆ったままうつむいた。

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