Legend of The Last Dragon −第五章(6)−

「……」

聞き取れないほどの小さな声が、クレオを呼んでいる。クレオは気づかない。シキの右手がごくゆっくりと動き、クレオの服の裾をひく。かすかな声が、途切れ途切れに何かを伝えようとしていた。ようやくそれに気づき、クレオは慌ててシキの口元に耳を寄せる。彼の言葉をひとつも聞き漏らすまいと、唇を噛み締める。聞き取るのがやっと、というほどの小さな声で、シキはいくつかの単語を切れ切れに吐き出した。

「……すまない」

最後にそう言うと、シキは再び自らの意識を投げ出した。

クレオは、しばらくじっと動かなかった。しかしついに、その肩が大きく、ゆっくりと、上下に揺れる。深い息を吐き出した彼女はおもむろに立ち上がると、ぐいと目をこすった。もう一度大きく息を吸い込み、それをすべて吐く。胸の中にあった何かを吐き出したクレオの目には、強い光が宿っていた。

腕まくりをする。シキが身にまとっていた軽装鎧を、何とか外す。血を見ると首筋が冷たくなったが、頭を振って気を取り直した。手が血で汚れるのも構わず、右足の付け根に布を縛りなおす。そしてぐったりと力を失ったシキの下にもぐりこむと、クレオは、全身の力を込めて立ち上がった。

一歩、また一歩。クレオは足を踏み出す。ほんの数サッソ進んだところで、耐え切れずに膝をついた。スカートの下にはいていたタイツに血が滲んだが、それをものともせず、クレオは再び立ち上がった。少し歩いただけで、汗が頬を伝う。しかし震える膝を叱咤激励しながら、彼女はまた次の一歩を踏み出した。

息が切れる。腕にも足にも力が入らない。これ以上は無理だ。何度もそう思いながら、それでもクレオは諦めなかった。……一歩、そしてまた、一歩。クレオはシキを背負ったまま、数アルカッソを進んだのである。

それは、彼女が何度目かに倒れそうになった時だった。いや、確かに彼女は倒れた。力が抜けて、地に両手と両膝をついたのである。しかし、両肩にずしりとかかってくるはずの重みが、逆にふっと軽くなった。クレオは驚き、四つん這いのまま、顔を上げる。彼女の目には、彼女と同じ顔が映っていた。

「クリフ……! エイル!」

二人が、シキの腕と肩を支えている。クリフは半分泣き出しそうな顔で笑っていた。クレオはよろよろと這い出し、シキの体を横たえているクリフに抱きついた。

「クリフ! クリフ! クリフ……!」

それ以外の何を言えばいいのか、分からなかった。目が、次いで体が熱くなる。喉と唇が震えて、クレオは上手く喋ることが出来ないまま、子供のように泣きじゃくった。クリフも、泣いていた。汚れた顔をくしゃくしゃに歪めて、泣いているのか笑っているのか分からないような顔で、二人は抱きあっていた。互いの半身を失くしたかもしれないという恐怖から開放され、座り込んだまま、喜びに打ち震えている。

「シキ」

双子の兄妹は小さな声で我に返り、声の主を見つめた。

エイルは、シキの横に座っている。それは、本来ならば有り得ない状況だった。シキが横たわり、エイルがそれへひざまずいているのである。エイルは今まで、シキが寝ているところなど見た事がなかった。旅をしている間中、シキはエイルより後に就寝し、エイルが目覚める時には既に目を覚ましていたからだ。しかし今、シキはぐったりと目を閉じたまま、固い地面に寝かされている。エイルは震える声で、再度呼びかけた。

「シキ、目を開けろ……シキ」

クリフがその肩に手を置き、隣へ座る。クレオは、シキを挟んだ正面にしゃがみこんだ。

「ちょっと前……気を失ってしまったの。その時、とにかく村へ行って、人を呼んで、何とか村へ運んでくれって言われたわ。自分の体力が回復したら絶対に二人を見つけるから、諦めちゃ駄目だって。それから、エイル様に謝らなければって言って……」

「なら! それなら、今すぐに起きて謝れ!」

透き通った青い瞳を潤ませて、少年は大きな声で言い放った。クレオにではなく、シキに向かって叫んでいる。

「早く目を開けるんだ、私に謝る事があるのだろう! それなら……いつまでも寝ているんじゃない!」

「エイル……」

「私の命令だぞ、目を開けろ! 開けろったら!」

シキの身体に乗りかかるようにして、エイルは何度も叫んだ。溢れてしまった涙を拭う事もせず、むしろそんな事には気づいていないかのように、訴え続ける。息をしてはいるものの、横たわるシキの表情は、安らかとはいい難い。出血は何とか止まっているが、傷は深く、治るまでには恐らく長い時間がかかると思われた。クリフとクレオは何も言えずに黙り込んでいたが、ふとクレオがエイルを見つめる。エイルはしゃくりあげながら、激しく目をしばたいた。

「エイル、ねえ、こういう時のための魔法はないの? 意識を取り戻すとか、傷を治すとか、そういう魔法があれば、シキは助かるわ」

「……そんな、便利なものじゃない」

涙で汚れた顔をこすりながら、エイルは説明した。

「魔法といっても何でも出来るわけではない。限度がある。傷を治すなんて、自然の力に反している。魔法は元々、自然の力に術者の力を加えて、より大きな力を出すものだから、自然に反することは出来ないのだ。それに、術法を唱える者にはとてつもない負荷がかかる」

「負荷って?」

クリフが首を傾げる。

「つまり……ものすごく大変だって事だ。火をつけるのも、水を呼ぶのも、人間の能力を超えていることだろう。術の力を無理やり引き出しているんだ。やり方を知ってるからと言って、誰にでも出来る事じゃない」

「そうなんだ……」

クレオが小さく呟く。エイルは目をそらして続けた。

「それに、意識を取り戻させるのは難しい。本人が願い、力を加える事ができないから」

「じゃあどうすれば……」

「……あ!」

「エイル? 何か思いついたの?」

「うん……いや、ちょっと待て。……よし、そうだ、いや……うん、だとすれば、もしかして……出来るかも知れない」

両眼を中空に据えたまま、エイルは必死に考えをめぐらし始めた。そしてついに、何かを決意したような顔を双子に向ける。

「やってみないと分からない。でも、出来るような気がするんだ」

「僕らに手伝える事はある?」

「私が魔法を唱えている間、シキを呼んで欲しい。眠っている意識に声が届けば、目を覚ましやすいから。それから、もし上手くいってシキが目を覚ましても、痛みは消えない。意識を呼び戻せるかも知れないというだけだから。怪我を治す魔法はないんだ。だから、歩くのを手伝ってやらないといけない。クリフとクレオに、手伝って欲しいんだ、頼む」

必死に言ってから、エイルは気づいた。人に何か頼みごとをするのは、これが、初めてだということに。それは命令でも、指示でもなかった。彼は心から、二人に懇願していたのである。まさか自分がそんなことをするなんて、と戸惑っているエイルには全く気づかず、クリフとクレオは間髪入れず頷いた。

「分かった!」「分かった!」

二人の力強く、迷いのない様子にエイルは震え、目に涙が浮かんだ。しかしそれを抑え、平静を装ったまま言う。

「シキの眠っている意識に呼びかけながら、衝撃を与える術法を同時にやろうと思う。やったことがないし、可能なのかも分からないが……出来るような気がするんだ」

シキの額にかかった黒髪を横へどけ、右手の中指をそっと置く。左手も、そこへ添えた。両手をやりにくそうに組み合わせ、複雑に形作る。何度も深呼吸をして、小さな声で呟く。エイルは、ゆったりとした長い詠唱と、歯切れのよいいくつかの単語を交互に口にしていった。一生懸命なエイルと、呼吸もほとんどしていないようなシキを見比べながら、双子はシキに呼びかけ続ける。

「お願い、目を覚まして。シキ、目を開けて」

「戻ってきて下さい、お願いだから……」

何も起こらずに時間が経っていくのは、例えようもなく怖かった。しかし三人の誰もそれを口にはせず、ただ自分が出来る事だけを根気強く、延々と繰り返した。クリフとクレオは、シキを呼んでいる。何度も、何度も。エイルは、何かを唱え続けている。集中力を途切らせぬよう、必死で。三人とも、願いはたった一つである。

――そして、東の空が薄ぼんやりと白み始めていった。

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